12月7日 NHK海外ネットワーク
インドの人権活動家 カイラシュ・サティヤルティさんがノーベル平和賞を受賞。
貧しい家庭の子どもが家計を支えるために働かされる児童労働を無くすことを訴えてきた。
カイラシュ・サティヤルティさん(60)は30年以上にわたって児童労働を無くすための取り組みを続けている。
きっかけは幼いころに見た光景だった。
(サティヤルティさん)
「私と同じくらいの5歳か6歳の子どもが学校に通わず靴を磨く姿に衝撃を受けた。
その姿に怒りを覚えるのと同時に居心地の悪さを感じた。」
インドの貧しい家庭では家計を支えてもらうため幼いころから子どもを働かせることも少なくない。
その数は政府が把握しているだけで400万人以上にのぼる。
背景には
いまだ国民の3人に1人が1日約150円未満の貧しい生活をしている現状がある。
サティヤルティさんは大学卒業後大学の教員として働いていたが
貧しい子どもたちを救いたいと仕事を辞めNGOを立ち上げた・
警察や行政機関と共に工場などに次々と踏み込んでは奴隷のように働いている子どもたちを救いだしてきた。
子どもの救出は容易ではない。
抵抗する雇い主に銃で脅されるなど危険な目に合いながらも活動を続けた。
救出した子どもの数はこれまでに約8万人にのぼる
救いだした子どもが再び労働を強いられないようにサティヤルティさんのNGOでは保護する施設も運営している。
施設に来たばかりの子どもの中には過酷な環境で働かされ心に大きな傷を負った子どもも多くいる。
「心配しなくていいよ。
もう解放されたでしょう。
君はもう自由の身でしょう。
それともまだ奴隷?
奴隷じゃない。
君は自由だ。
遊んで楽しむことが出来る。
これが自由ということだ。」
(サティヤルティさん)
「子どもたちにはまず自由とは何かを知ってほしい。
そして他の人を信頼する気持ちを取り戻してほしい。」
施設では子供たちが失った教育の機会を与えることに力を入れている。
国語や数学など学校に通うために必要な知識を教えている。
この施設を巣立った若者も活動を支えている。
そのひとりで大学生のキンシューさん。
車を洗う労働をさせられていた8歳の時に保護されてこの施設で育った。
大学で機械工学を学ぶかたわら
休みの日には施設を訪れ子どもたちに勉強を教えている。
(キンシューさん)
「この施設に来て勉強し子どもらしく生きるチャンスをもらった。」
(サティヤルティさん)
「児童労働は読み書きができない親の問題
貧困の問題など多くの要因が絡んでいる。
社会・政府・企業などすべての人が協力して取り組まなければならない。
児童労働の撲滅は私の人生をかけた使命。
生きている間に世界から無くなってほしい。
そうできると信じている。」
12月7日 BIZ+SUNDAY
アジアンエリート
いま大きな課題に直面している。
日本の大学にやってきている留学生が他の国に奪われる事態が起きている。
経済紙が調べた企業の人事部が注目する大学。
東京大学などを抑えて1位になったのが立命館アジア太平洋大学APURithumeikann Asia Pathific Unibersityである。
APUは大分県別府市にある。
アジアを中心に80の国と地域から留学生を受け入れている。
グローバル企業で通用する人材を育ててほしいという経済界の強い後押しで2000年に開校。
これまでに1700人以上が日本企業に就職してきた。
しかしここ数年留学生の獲得が難しくなっている。
(立命館アジア太平洋大学 近藤祐一入学部長)
「競争はかなり厳しくなっている。
大学同士の戦いと同時に
国同士が留学生を分捕りあう時代に入っている。」
日本へ留学する学生は10年前と比べあまり伸びていない。
一方 急激に増えているのが韓国。
日本へ来る留学生が奪われる形になっているのである。
なぜ韓国に留学する学生が増えているのか。
そこには国家戦略がある。
インチョンに開発された経済特区。
ここに10を超える大学を誘致。
奨学金を充実させアジアンエリートを集めている。
(ベトナムからの留学生)
「将来はLG サムスン ロッテといった韓国の大企業に就職したい。
はっきり言って日本の時代は終わった。」
さらに大学の周辺にはバイオやITなどに力を入れる最先端の企業を誘致。
すでにサムスン ポスコ LGなどグローバル企業50社が進出している。
大学を卒業したアジアンエリートを企業に送り込む戦略である。
(サムスン・バイオエピス 運営管理部部長)
「我々はバイオ分野に特化しているのでその分野で優秀な学生を育成してもらえれば我々の役に立つ。」
国家戦略としてアジアンエリートを育て囲い込む韓国。
将来アジア市場で活躍してもらうことで韓国経済の成長につなげようとしている。
(韓国教育部 留学生担当 イ・ジュヒチーム長)
「韓国が成長するためには留学生の活躍が欠かせない。」
激しさを増すアジアンエリートの獲得競争。
APUでは留学生性確保のため70人にのぼるリクルーター部隊を設けた。
世界30か国を直接訪問しエリートの獲得を目指す。、
今年 大学はある国に初めてリクルーターを派遣した。
ヒマラヤ山脈の東にあるブータン。
高い教育水準が特徴である。
(APUリクルーター フナキ・カイツウさん)
「他の国も来てない感じがするので。
いい原石を見つけたら日本のためになる。」
ブータンの教育水準が高いのは国が国際的に活躍できる人材を育てようとしているからである。
高校までに授業料は無料。
ほとんどの授業は英語で行われている。
この日リクルーターが訪ねたのはブータンでも有数の進学校。
日本企業の初任給を紹介し留学を呼びかけた。
ブータンの大学初任給の約7倍にのぼる。
(高校生)
「話を聞いてすごく魅力を感じた。」
「留学するなら日本に決まりね。」
日本への留学に興味を持ったブータンの高校生たち。
大学では今後もアジアンエリートの獲得に力を入れて行こうとしている。
(APUリクルーター フナキ・カイツウさん)
「子どもたちからメールアドレスをもらっているので今からフォローする。
僕としてはうれしい成果になるのではないかと思う。」
12月7日 BIZ+SUNDAY
アジアに進出した企業はこれまで主に日本人の社員をサポートする通訳として留学生を採用し活用してきた。
しかし最近では留学生を“アジアンエリート”と位置付け
幹部候補として採用する企業が増えている。
現地で事業を拡大していくためにはその国の商習慣を詳しく知る留学生の方がビジネスを優位に展開できると考えている。
東南アジアの有望市場ベトナム。
20年前に進出した三谷産業。
空調設備や化学製品の製造・販売。
年商は700億円にのぼる。
ベトナムでの売り上げは年々増え続けている。
現在 現地の子会社の社長は日本人だがベトナム社会にさらに食い込み業績を伸ばすため
将来ベトナム人を社長に起用したいと考えている。
(三谷産業 ベトナム法人 三浦秀平社長)
「ベトナム人による会社経営・管理というものを目指して今から準備していかないと
我々がいくら現地化・事業拡大したいと言ってもおそらく数年でしりすぼみになってしまう。」
社長候補の一人として3年前採用されたグェン・フォン・マイさん(32)。
マイさんは入社する前九州の大学に留学。
企業のビジネス戦略や人事管理を学んできた。
その経験を日本の企業で生かしたいと入社した。
(グェン・フォン・マイさん)
「長く勤めれば成長できる。
出世できる。」
アジアンエリートのマイさんはいまビジネスの最前線に立っている。
ベトナムでのビジネスの成功のカギは政府との交渉にあるがこれまでに日本人駐在員は苦戦してきた。
そこで会社はベトナム人のマイさんを抜擢。
マイさんが担当するようになってからなかなか会えなかった政府の役人にも会えるようになった。
(グェン・フォン・マイさん ハノイ市計画投資局で)
「ベトナムに進出して20年の記念パーティを開催します。
ベトナム市場の最新情報をぜひ話していただけないでしょうか。
重鎮の方に参加してほしいのです。」
(グェン・フォン・マイさん)
「最初に
“仲良くやっていきましょう”
というところからスタートしないと物事がうまく進んでいかない。
役所の人とうまくコミュニケーションをとれるようになったら頼みごとがあっても積極的にお願いできる。」
(三谷産業 ベトナム法人 三浦秀平社長)
「彼女は今回通訳ではない。
我々と一緒に会社を組織を作っていく。
そういう目的で彼女を採用している。」
将来マイさんを社長にしたいと考える会社はベトナム人従業員のマネジメントも任せている。
マイさんは従業員の働き方を抜本的に見直したいと提案した。
(グェン・フォン・マイさん)
「就業規則というものが無いので
そういうものいらないですかね。
こういうことは守ってくださいとか。」
会社では日本の大学でビジネスの起訴を学びベトナムの商習慣に詳しいマイさんにさらなる活躍を期待をしている。
(本社の人事担当)
「作ったらいいんじゃないの。
マイさんなら作れるよ。」
(グェン・フォン・マイさん)
「日本の制度でも現地の制度でも
従業員が幸せにならないと会社に長い間勤めてくれない。
雇用者からも被雇用者からも納得できる制度が出来たらいいと思う。」
(三谷産業 ベトナム法人 三浦秀平社長)
「日本側が何を言いたいか
何をしたいか
自分自身が理解して咀嚼して伝えていく。
そういうことでのブリッジ役。
そういう意味でも彼女には期待している。」
12月7日 BIZ+SUNDAY
現在放送中の“マッサン”。
大正から昭和にかけて日本で初めてウイスキーを作った夫婦の物語。
マッサンブームにあやかろうと12月2日にアサヒビールが開いた会見。
ハイボールを氷点下に冷やす新しい飲み方を提案した。
(アサヒビール 平野伸一専務取締役)
「今までになかった付加価値。
どんどん拡販していきたい。」
何故氷点下に冷やすのか。
それは4年前に発売した氷点下のビールが若者たちに大ヒットしたからである。
アサヒビールではウイスキーを飲む若者が減るなか
新たな客層の開拓につなげたいとしている。
(アサヒビール営業)
「若者が温度に対してものすごく敏感。
温度帯っていうのは若者の見る目は間違いなくある。」
(外食チェーン)
「ウイスキー慣れていない人の入口にはとてもいいかもしれない。」
(アサヒビール 平野伸一専務取締役)
「エントリー層である20代30代にどんどん入ってもらいたい。」
一方 業界一位のサントリーはこの秋からハイボールに果汁を加えた飲み方を提案している。
オレンジやグレープフルーツを加えたハイボールで女性を取り込む戦略である。
「フルーツが入っていると飲みやすくて何倍でも飲めちゃう気がする。」
(サントリー酒類 鳥井賢護ウイスキー部長)
「女性も含め若い方々にアピールできればいい。」
ジャパニーズウイスキーは最近世界的なコンクールで数々の賞を受賞していて
国際的にも高い評価を得ている。
東京新橋にあるシングルモルトバー。
壁一面にはスコットランドを中心に世界のウイスキー300種類以上がすらり。
オーナーに埼玉のウイスキーを勧められた。
(ムーンサンシャイン オーナー 佐野充さん)
「樽ごとに全然タイプが違うが
力強い 甘い 柔らかいタイプがある。」
最近ではジャパニーズウイスキーの品質が見直され客も増えている。
(ウイスキー歴30年以上)
「最近 日本のウイスキー上手いなと思う。
よくなった、
この10年で。
バラエティーも選択肢も多い。」
(ムーンサンシャイン オーナー 佐野充さん)
「初めてモルトウイスキーを飲み人も
『こんなにおいしいの』って方ものすごく多くいる。
市場としてはこれから大きくなっていく。」
12月1日 キャッチ!
11月26日 和紙がユネスコ国連教育科学文化機関の無形文化遺産に去年の和食に続いて登録された。
岐阜県 「本美濃紙」
埼玉県 「細川紙」
島根県 「石州半紙」
いずれも日本の伝統的な和紙の手すき技術が対象となっていて
“和紙作りを通して地域社会のつながりを生んでいる”というのが登録の理由である。
世界から注目されることのなった日本の和紙。
フランスのある男性がこの文化の素晴らしさを伝えようと南フランスの町で活動している。
フランス南部のアルル。
人口約5万人でユネスコの世界遺産もある歴史ある町である。
かつて後期印象派絵画の巨匠ゴッホがその最盛期を過ごし
“日本のように美しい”と称したとも言われている。
そのアルルでいま日本の和紙文化が静かに広がっている。
今年オープンした美術館の一角に和紙で作られた便せんや帽子などの作品が展示されている。
素材の和紙を手掛けた ブノワ・ドゥドニョンさん。
妻のステファニーさんとともに和紙を作り始めて2年になる。
(和紙職人 ブノワ・ドゥドニョンさん)
「これは和紙で作った帽子です。
日本の“柿渋”という色です。」
ドゥドニョンさんは大手の製紙会社に勤めていたが
4年前に組織の再編成に伴い職を失った。
妻から「せっかくなら天然の素材を生かした和紙を作ってみたら」と勧められたのをきっかけに
和紙職人として新しい人生をスタートさせた。
和紙の原料にしているのは“こうぞ”。
フランスではなじみの薄い植物だが
この“こうぞ”こそ柔らかくも強い和紙の品質を生み出すドゥドニョンさんにとってのまさに宝物なのである。
(和紙職人 ブノワ・ドゥドニョンさん)
「“こうぞ”の枝を切るときは
最高品質の和紙を作るためにより良いものを選ぼうと集中します。」
ドゥドニョンさんは4年前
日本で本格的に手すき和紙の技術を学ぼうと家族とともに島根県に渡った。
フランス政府の援助も受けて
合わせて1年間をかけてユネスコの無形文化遺産に登録されている石州半紙の技を学んだ。
(和紙職人 ブノワ・ドゥドニョンさん)
「日本で技のなかで最も難しかったのが“流しずき”です。」
2年前に帰国して間もなくアルル近郊の工場跡を専用の工房にした。
ドゥドニョンさんはより質の高い和紙を目指すとともに
フランスで和紙の魅力を伝えたいと考えている。
工房にはいまアメリカのニューヨークで織物や布地などの生地のデザインを学んだ女性が通っている。
“流しずき”の技法から生まれる美しい和紙に魅せられ
和紙と組み合わせた作品の展示会をパリで開こうというのである。
(デザイナー C・ベンセルさん)
「和紙には広い可能性を感じ強いインスピレーションを受けます。」
ドゥドニョンさんの活動のおかげでこの地域で和紙への関心は急速に高まっている。
友人の女性は先月生まれたばかりの娘のために和紙でできた折鶴のモビールを部屋に飾った。
(友人 C・エングェンさん)
「和紙を作って本やノートを作ってみたい。
和紙が大好きです。」
自然の風景を撮影するのが専門のフランスの写真家は
来年春の個展で伝統的な手すき和紙に印刷した作品だけを展示する計画である。
(写真家 J・ロシェさん)
「まるで風景画のような出来栄えです。
和紙で作る写真は素晴らしい試みだ。」
フランスでは貴重な美術品の修復に和紙が使われている例もある。
パリの国立高等美術学校では
島根県の石州半紙や岐阜県の本美濃紙を20年以上にわたって修復に使ってきた。
(美術品保存責任者 L・ケリュックスさん)
「和紙はとても美しく
繊維は長くとても強いので修復には最適なのです。
彼の和紙も素晴らしくいつか修復に使ってみたいです。」
ドゥドニョンさんの将来の夢は子どもたちの世代に手すき和紙の素晴らしさを伝えていくことである。
(和紙職人 ブノワ・ドゥドニョンさん)
「フランスでは和紙がまだよく知られていないので普及のための教育活動をしたい。
服飾などにも和紙の利用を広げたいし
環境に優しい点もアピールしていきたい。」
フランス唯一日本で伝統の手すき和紙の技術を習得したドゥドニョンさん。
南フランスの小さな町を拠点に和紙文化の普及に力を注いでいる。
12月12日 編集手帳
生意気盛りの男の子が物知りぶりをひけらかし、
父親をへこませる。
落語『焼き塩』である。
「あのな、
『十二月十二日』と紙に書いて表に貼っといたら盗人(ぬすっと)が入らへん、
石川五右衛門が釜茹(かまゆで)に された日やさかい」
関西ではいまも、
その風習が一部の地域に残るという。
あんた方には輝ける偶像にあたる人の命日なのだから、
悪さはおよし。
説諭をこめ た習わしらしい。
窃盗や詐欺は断じてご免だが、
「盗む」が悪い意味ばかりとも限らない。
魅力ある人に心を盗まれるのは快感だろう。
暇を盗む(=わずかの時 間をやりくりする)才覚は褒められていい。
選挙戦も残すところ2日である。
野党第1党が「政権交代」を掲げていないことや、
立候補者の数が少ないことなど から、
有権者の投票意欲がどれほどのものか、
投票率への影響が心配されている。
大泥棒の命日にちなんできょうは、
暇を盗んで候補者の声に耳を傾け、
誰かに心を盗まれてみるのもいいだろう。
芝居の五右衛門は南禅寺の山門上から嘆声を放つ。
「絶景かな、絶景かな」。
国の姿の絶景も、
家計簿の絶景も、
一票を眠ら せていては拝めない。
12月10日 編集手帳
のちに“学問の神様”となる菅原道真が、
不惑の坂を越えて官吏の登用試験に合格した橘風という人物を祝った詩がある。
〈四十二年 初めて及第す/まさに 知るべし 大器晩成の人と〉(『菅家文草』)
将棋の強豪アマ、
今泉健司さんがプロ編入試験に合格した。
くしくも橘風さんと同じ42歳…と書きたいところ だが、
そうそうコラム書きの都合どおりにはいかず、
ただいま41歳である。
新人プロ棋士としては戦後最年長、
大器晩成の人には違いない。
介護施設で働いて いる。
そこで接するお年寄りの声援を糧に、
将棋盤に向かってきたと聞く。
中学生でプロ入りした羽生善治名人や渡辺明王将もいるように、
あまたの天才がひしめき合う世界である。
険しくとも至福の山坂だろう。
人生の醍醐味(だいごみ)は寝台列車の旅にも似て、
“到着”にあるのではなく、
どこかを目指して走る一瞬一瞬のなかにあるという。
どうか、
いい旅を。
遅咲きの人に励まされて勇躍わが身を、
さて、
どの方面に旅立たせよう。
〈小(しょう)器(き)われ晩成もせず永らへて凡器を抱(いだ)き安らかに生く〉(新村出(しんむらいずる))。
とりあえずは愛誦(あいしょう)の一首をひとりつぶやく。
12月4日 キャッチ!
バイオハッキング。
ハッキングには“高い技術力を駆使してシステムを操る”という意味もあって
遺伝子やDNAの君佳枝技術などを使って新しい働きや個体を作ることをアメリカで“バイオハッキング”と呼んでいる。
日本では合成生物学の分野でこの研究が行われている。
いまアメリカではこのバイオハッキングに科学者だけでなく多くの一般市民が取り組んでいる。
バークレイ・バイオ研究所ではバイオハッカーたちが生物の構造を詳しく調べ
植物のDMAを詳しく解明したり
リサーチに使う安価な機器を作ったり
バッテリーを作るために海藻を使う方法を探っている。
(研究者)
「電気を作っているのではなくためているんです。」
バイオハッキングの研究室は増えているが学校での研究とは限らない。
そこでは生物学を専門的に学んだ人もそうでない人も世界を変えるかもしれない研究に取り組んでいる。
新しい研究が大学や民間施設に比べ気軽に行われている。
私たちは市民科学者です。
あるグループは遺伝子組み換え酵母を開発する費用を集めるためにネット上にビデオ映像を投稿した。
この酵母は成長することでチーズのたんぱく質を作り出します。
異端とされていた科学がいまや正統な科学となっている。
スタンフォード大学ではバイオハッキングを正式に合成生物学とする新しい研究室を作った。
研究を行うのは博士号取得者と学部生の有志。
この分野の先駆者であるエンディ教授が責任者である。
(スタンフォード大学 ドリュー・エンディ教授)
「持続的な形でモノを作るためには実生活と協調する方法が必要です。」
エンディ教授は
生物学を活用し芸術作品や地球にやさしい建築資材を作る元シェフの芸術家ロスさんに注目している。
ロスさんはキノコにおがくずやピーナッツの殻などのセルロース廃棄物を与えて再生可能な資材を作り出し
椅子やレンガを作っている。
(芸術家 フィリップ・ロスさん)
「キノコを全く違うものに変えることが出来るのです。」
“森や海、砂漠などの自然は私たちの手本となる。
巨大なパワーを生み出す生態系
そしてそのしくみは私たちがもっと創造的になれることを教えている”
とエンディ教授は言う。
(スタンフォード大学 ドリュー・エンディ教授)
「キノコを使って携帯電話や電子製品を作れたらどうでしょう?
もちろん最初は部品
でもあとは未知数です。」
サンフランシスコのバイオハッカーはより現実的な目標を目指している。
ビデオで研究資金の約50万ドルを集めた。
イカのDNAで植物を暗闇で光らせる研究のためである。
道を照らすのに樹木が使えたらどうですか?
共同設立者のエバンズさんは生物学者ではなくマーケティングが専門である。
(グローイングプラント アントニー・エバンズさん)
「DNAの指令によって発光する有機体を使い生物を光らせることが出来ます。
ネット掲載の微生物を光らせる遺伝子情報からDNA配列データを入手。
それをアプリを使ってDNAを複製するごく単純なことです。」
植物はまだかすかにしか輝かないが
エバンズさんによると
2年後にはその明るさは数万倍になるそうである。
すでに多くの人がこの技術に投資し植物を購入している。
しかし無秩序なバイオハッキングは環境や人間に危険をもたらすとして反対する人もたくさんいる。
その1人が環境保護団体のメンバーのパールズさんである。
彼女は
バイオハッキングの分野は未成熟で自由にさせてはおけないと言う。
(環境保護団体 ダナ・パールズさん)
「実験で扱っている細胞が流出したらどう処理していいかわかりません。
新しい分野でわずかな知識しかなく規制も安全評価もされていません。」
しかしエンディ教授は
現時点で明確な規制がなくともバイオハッカーは安全に配慮し
司法当局も安全な実験のために協力していると言う。
(スタンフォード大学 ドリュー・エンディ教授)
「管轄する組織がないから規制がないわけではありません。
サンフランシスコのFBI事務所は安全に配慮して実験を行っているが
チェックする捜査員を配備しています。」
倫理や合法性をめぐる議論はまだ始まったばかりである。
その道筋はバイオハッカーたちの自然システムを探る研究のなかで見えてくる。
11月30日 NHK海外ネットワーク
オペラ発祥の地イタリアでこの冬のシーズンの公演が始まった。
イタリアのオペラ界では多くの劇場が厳しい経営を強いられている。
ユーロ危機後の景気の低迷が続く中で政府はオペラをはじめとする文化・芸術活動への支援を大幅に削減した。
オペラを楽しむゆとりのある人も減っていて観客数はのび悩んでいる。
中でも苦境に陥っているのが130年の伝統を誇り
今年来日公演も行ったローマ歌劇場である。
ローマ歌劇場では11月27日に今シーズンの舞台が華やかに幕を開けた。
初日の演目は王子に恋した妖精の運命をえがいたドボルザークの“ルサルカ”。
実はこの歌劇場はほんの数日前まで存続の危機に直面していた。
国やローマ市からの補助雄金に運営費の半分以上を頼ってきた歌劇場。
補助金を大幅に削られたため劇場側はこの秋大胆なリストラを団員に示していた。
(10月3日 ローマ歌劇場の会見)
「オーケストラと合唱団員全員の解雇が決まった。」
毎月決まった額の給料を支払ってきた団員200人全員を年内でいったん解雇。
来年からは出演回数に応じて報酬を支払うという案だった。
歌劇場の赤字は去年1年間だけで19億円。
公演回数を増やすことなどで赤字を埋めようとしたもののそれだけでは足りず
劇場側は団員のリストラに踏み切ろうとしたのである。
合唱団でバリトンを務めるフランチェスコ・メリスさんは入団して32年。
伝統ある歌劇場の舞台を支えてきた。
(合唱団員 フランチェスコ・メリスさん)
「私たちは音楽にかかわっているからこそ誇りを保て充実感も得られる。
みんなで少しずつ我慢して危機に立ち向かって行く。」
しかし職を失うことになろうとは想像すらしていなかった。
30万円の月給無くして妻と娘2人の暮らしをどう守っていくのか途方に暮れたと言う。
音楽監督のロベルト・ガッビアーニさんは
開幕直前になっても皆練習に集中できていなかったと振り返る。
(合唱団の音楽監督 ロベルト・ガッビアーニさん)
「合唱団員はみんな自分たちの将来は真っ暗だと動揺していた。」
団員らは街頭でデモを繰り返し
働く場とイタリアが生んだ文化を守るよう訴えた。
リストラという最悪の事態だけは回避したい。
劇場側と何度も交渉を続けた。
開幕の直前になってようやく合意が成立。
団員の解雇は見送られたが
そのかわり劇場のスタッフ全員のボーナスが削減されることになった。
経済的には厳しくなるもののオペラを続けられる。
メリスさんたちはその喜びをかみしめながら開幕に向け再び練習に打ち込み始めた。
そして迎えた初日の舞台。
満場の拍手で幕を閉じた。
(観客)
「すばらしかった。
オペラにはイタリアの歴史と私たちのDNAが詰まっている。」
「メンバーたちが頑張って経営が良い方向に行くことを祈っている。」
伝統の歌劇場を景気の荒波からいかに守っていくか。
華やかな舞台の陰でオペラにかかわる人たちの苦闘が続く。
11月25日 キャッチ!
もと肉料理が好まれるオーストリアだが
近年は健康志向などから肉を一切食べない人が人口の1割にのぼっていると言われている。
肉の代わりとして大豆への関心が高まっている。
ウィーン近郊のレストラン。
テーブルには伝統的な料理が並ぶ。
オーストリアの代表的な肉料理シュニッツェル。
いわゆるカツレツ。
しかしこの店では通常使われる仔牛や豚の肉を一切使っていない。
代わりに使われているのが大豆。
店では大豆の粉をしっかりと固めることで肉のような触感を再現した。
(来店客)
「味は普段食べる肉とほとんど変わらずおいしかったです。」
一方 今年6月にウィーン市内にオープンしたスーパー。
客層を主にベジタリアンなどに絞った専門店である。
健康志向の高まりや動物愛護の観点からオーストリアでは約10人に1人が肉を食べないと言われている。
そうしたなかで肉の代わりに重宝され始めているのがタンパク質が豊富なうえに低カロリーな大豆。
店には500種類以上の大豆に関連する商品が並んでいる。
(買い物客)
「さまざまな食べ物があるのに動物を殺す必要はないと思います。」
(スーパー店長)
「大豆製品はいろいろあり特にヨーグルトが人気です。
大豆の需要は増えていきますから市場も大きくなると思います。」
ウィーンでは肉や魚を一切食べない人たちの見本市が初めて開かれ約100ものブースが設けられた。
こうした市場は拡大を続けていて業界関係者によると
その市場は日本円にして90億円にも上ると推定されている。
見本市で料理を披露する料理研究家のエリザベート・フィッシャーさん。
この日は実際に豆腐を作って見せた。
ベジタリアンのための料理本など40冊以上の本を執筆してきたフィッシャーさん。
今から30年余前 近所のベジタリアンレストランで豆腐料理を初めて食べ
その味に驚かされたと言う。
(料理研究家 フィッシャーさん)
「豆腐に感動し食べたレストランで働くことにしました。
豆腐は私のキャリアに影響を及ぼしました。」
実はオーストリアは大豆を通して日本と深い関係があることで知られている。
さかのぼること今からおよそ140年前のウィーン万国博覧会(1873年)。
日本が農産物の一つとして大豆を紹介したことがヨーロッパに大豆が渡るきっかけになったと言われている。
その後国内で生産されるようになった大豆は近年の関心の高まりに伴って
現在は年間10万トン余が生産されている。
これは10年前の2倍以上にあたり
オーストリアはいまヨーロッパで大豆の生産が盛んな国のひとつになっている。
フィッシャーさんは生産農家や加工業者で作るオーストリアの大豆協会の副会長を務めている。
“畑の肉”と呼ばれる大豆の様々な可能性を学ぼうと
10月には協会のメンバーらと日本を訪問。
1週間余にわたって生産や加工の現場まで視察した。
「日本に行って私たちはまだまだこれからだと感じました。
大豆や豆腐の使い方
料理について本当に勉強になりました。」
フィッシャーさんは定期的に自宅で料理教室を開き大豆を使ったオリジナルの料理を教えている。
「オーストリアの伝統料理ではハムなどを燻製にします。
今回は豆腐の燻製です。」
この日の料理は豆腐のマリネ。
燻製にした黒い豆腐にしょうゆを加えオリーブオイルや赤ワイン
さらにスパイスを足して豆腐に味をつける。
味付けした豆腐を鉄板で軽く焼き黒パンの上に。
野菜を乗せてオーストリアの人たちにも親しみやすい味に仕上げた。
(参加者)
「健康的な生活には豆腐が最適と聞き
どう料理するのか見たくて参加しました。」
「大豆はいろいろな料理方法があり様々な味付けができるのが魅力的です。」
大豆から受けられる恩恵を多くの人に知ってもらいたい。
フィッシャーさんは食材としての大豆の魅力をさらに広めようと意気込んでいる。
(料理研究家 フィッシャーさん)
「いろいろなところで多くの人に大豆を食べてもらいたいです。
実食で大豆の魅力を知ってもらうのが一番だと思います。」
11月23日 BIZ+SUNDAY
11月22日、23日に台湾で開催された若い女性向けのファッションショー。
コンセプトはいまや世界共通語となった“カワイイ”。
流行のカワイイファッションを身につけ颯爽と舞台を歩くのは日本と台湾のトップモデルたち。
会場には台湾の若い女性を中心に2日間で約4万人が集まった。
今回のイベントではファッションだけでなく日本の様々なカワイイ商品を体験し購入できる。
カワイイ浴衣の試着
キラキラ輝くピンクのデジタルカメラ
そして400年の歴史を持つ伝統工芸品の有田焼。
展示されているのは大きさ10㎝ほどの豆皿。
形もデザインも様々で会場でもひときわ注目を集めた。
仕掛け人のイベントプロデューサー 永谷亜矢子さん。
なぜ故伝統工芸品を“カワイイ”で売り込むのか。
(イベントプロデューサー 永谷亜矢子さん)
「女の子のニーズがファッションやビューティーに集中したいたものが
食、雑貨、アートに広がってきている。
きれいな洋服を着るより
朝はいいアサイ-飲みたい
グラノーラ食べたい
いい枕で寝たい
女の子たちのニーズも多種多様で変わってきている。
そこのニーズに合わせていいものを提供する。
カテゴリーに合わせて提供することが非常に重要だと思う。」
若者に人気のファッションショー“東京ガールズコレクション”のチーフプロデューサーとして活躍。
世界中にカワイイを浸透させた
いわばかわいいカワイイ文化のパイオニアの永谷さん。
伝統工芸品が持つカワイイ要素をうまく引き出すことが海外に売り込む際の武器になると考えている。
(イベントプロデューサー 永谷亜矢子さん)
「アジアの女の子のニーズに合う商品が豆皿。
すごいたくさん種類がある。
アジアの女の子たちは小さいお皿にものを乗せたりするのが好き。
流通・ブランドイメージの確立をさせていくときも何もニーズがないものをマーケットに乗せるのは難しい。
すごくカワイイと親和性があるというのも選んだ理由。」
有田焼の産地もこのイベントに大きな期待をかけている。
美術品としての知名度は高いものの実用品としてはあまり使われなくなってきている有田焼。
売上は1990年以降減少を続け
去年はピーク時の8分の1にまで落ち込んでいる。
永谷さんが注目した豆皿は地元の窯元たちが若者にアピールしようと作ったもの。
江戸時代 調味料を乗せるために使われていた小皿を再現した。
(佐賀県陶磁器工業協同組合 田中涼太副理事長)
「“有田焼って高級だよね”とか“ちょっと手に届かないよね”というイメージがあると思う。
今はこんな感じのもありますよというのをもう一度見せたい。」
永谷さんはイベント前のPRにも力を入れている。
台湾の情報番組で日本の若い女性に広がる和食器を取り入れたカワイイライフスタイルを紹介したのである。
(イベントプロデューサー 永谷亜矢子さん)
「いま有田焼
実は和食器ガール・クラフトガールというのが
女の子の中で和食器がすごい流行っているという特集を組んで
イベントで展示・販売してそのあとも番組でフォローする。
イベントでそこだけの接触・タイミングだとなかなかアピールできない。
やっていかないといけないのはブランディングと流通。
継続的に発信・ブランディング・流通開拓していくことが非常に重要。
そこをチャレンジしている。」
世界に打って出るのが難しいと言われてきた日本の伝統工芸品。
永谷さんはカワイイを全面に出して売り込むことで今後も伝統工芸品の海外進出をサポートしたいと考えている。
(イベントプロデューサー 永谷亜矢子さん)
「ファッション・ビューティー・雑貨・フード
ジャパンクオリティーは非常に質が高いと思っている。
地方の物産品はプロモーション手段がない。
CMを打つお金もない。
海外に輸出していかないと流通量は上がらない。
プロモーション・流通させる手段がなかったりする。
そこのひとつの機会として使ってもらえればいいと思う。」
11月23日 NHK海外ネットワーク
イスラム世界で過去の時代にあった奴隷制度の復活をイスラム国が内外に宣言した。
標的にしたのはイラク北部に住む少数派のヤジディー教徒。
「悪魔を崇拝している」などいわれのない非難を受け
歴史的にも迫害されてきた人々である。
イスラム国はこのヤジディー教徒の女性たちを性的な対象として売買し国際的な批判を浴びている。
イスラム国によって人身売買の対象にされた15歳のヤジディー教徒の少女。
今年8月 住んでいたイラク北部の村がイスラム国に襲われ両親や兄弟とともに拘束された。
(人身売買されたヤジディー教徒の少女)
「8月3日の朝にイスラム国が村を襲った。
男性は山に連れて行かれ銃で殺され
私たち女性は捕まえられた。」
多くが難民となっているヤジディー教徒。
イラクに約50万人が暮らしているとされているがイスラム国によって住む場所を追われた。
男性は次々に虐殺され
女性は戦闘員の間で性的な対象して売買されている。
少女もシリアの都市ラッカにある女性たちを売買するマーケットに連れて行かれた。
(人身売買されたヤジディー教徒の少女)
「私や姉を含め100人ほどのj生たちが大きな住宅に連れて行かれた。」
少女は3つある部屋のひとつに閉じ込められた。
女性たちには1000ドルから1500ドルの値段がつけられたと言う。
「住宅の中にはリーダーの男がいて金と引き換えに女性を引き渡していた。」
インターネット上に掲載された映像にはイスラム国の戦闘員とみられる男たちが拘束した女性たちを買うことについて話している。
「俺は青い目の娘なら高くても買う。」
「俺なら緑の目の女だ。
ルックスにもよるけどね。」
「ヤジディーの女が早く欲しいよ。」
部屋に閉じ込められてから5日後
少女はパレスチナ人の戦闘員に売られ自宅へ連れて行かれた。
「男は一緒に来なければ殴ると言って私を連れて行った。
私は泣いたがどうしようもなかった。」
このときは使用人が助けてくれ
着いたその日に家からは逃げ出すことができた。
しかし見知らぬ土地ではいくあてもなく女性を売買するマーケットに戻らざるを得なかった。
「もちろん怖かったけどそこしか知らなかった。
『なぜ戻ってきたのだ』と聞かれ男に殴られたからと答えた。」
こんどは別の戦闘員に売られた少女。
イスラム教への改宗を強要され二度と戻らないと覚悟を決めた。
「家にあった麻薬を男の紅茶に入れた。
30分ぐらいしてのぞいてみたら眠っていたので逃げだした。」
少女はイスラム国の支配地域を抜け出したあと兄と落ち合い
難民キャンプのあるイラクの都市までたどり着けた。
しかし母と姉の行方は分かっていない。
父親はイスラム国に殺害されたと聞かされた。
親戚の元に戻った今も恐怖は消えず心が安らぐことはない。
イスラム国から逃げてきた女性たち。
その多くは少女と同じように心に深い傷を負った。
市の中心部にある総合病院。
精神科には避難生活を送るヤジディー教徒の女性が1日に30人以上訪れている。
(ヤジディー教徒の女性)
「耐えられない。
毎日のように悪夢を見て生きていくことがつらい。」
診察を受ける女性の約4割がPTSD心的外傷ストレスを抱え中には自殺を考える人もいると言う。
(総合病院の医師)
「15歳~40歳くらいまでの若い女性が最も深刻な状況にある。
性的な被害を受けた女性たちは自分の家族にも相談できない。」
イスラム国に尊厳を踏みにじられた女性たち。
生きる希望を失いつつある。
(人身売買されたヤジディー教徒の少女)
「学校で勉強を続けたかった。
でもイスラム国が私たちの暮らしをめちゃくちゃにした。
夢と希望はもうありません。」
12月4日 編集手帳
草野球の打席に向かいながら、
手にしたバットに「さあ、行くぞ」とささやく。
買った宝くじを撫(な)でて、
「頼んだよ」とつぶやく。
人が命なき無生物に語りかけるとき、
心には何かしらの夢が宿っているようである。
その姿は見えなくても、
「達者でな」と冬空を仰いだ人もあろう。
きのう、
小惑星探査機「はやぶさ2」が打ち上げられた。
皇后陛下のお歌にある。
〈その帰路に己れを焼きし「はやぶさ」の光輝(かがや)かに明かるかりしと〉。
今度の2号が無生物のような気がしないのは、
わが身を滅ぼして探査の使命を果たした先代のけなげな最期が人々の琴線に触れたからだろ う。
はやぶさ2は太陽系や生命の起源に迫るべく、
6年がかり、
往復52億キロ・メートルを旅して小惑星から岩石を持ち帰る。
〈天地(あめつち)の 神も助けよ草枕旅ゆく君が家に至るまで〉(万葉集、巻第四)。
遠くから無事を祈るしかない。
帰還する2020年暮れといえば、
東京五輪の余熱さめやらぬ頃である。
日本はどんな姿になっているだろう。
折しも、
それを占う衆院選のさなかである。
「達者でな」と送り出した空から、
「あなた方こそ」と声がする。
12月2日 編集手帳