わたしは中学生のとき、クラスで公害をテーマにした劇を演じました。
脚本は夏休みの間にクラスメイトの女子生徒が創作したものでした。
富山県の神通川上流からカドミウムが流され、その水を飲んだり、魚を食べた人がイタイイタイ病で苦しむというストーリーでした。
イタイイタイ病は、腰や肩、ひざなどの痛みから始まります。 症状が重くなると骨折をくり返すようになるのが特徴で、全身を襲う痛みの中、動けなくなって寝こんでしまいます。
日本の高度経済成長期当時に重化学工業か発展した負の側面として、四日市ぜんそく、水俣病、新潟水俣病、イタイイタイ病は、日本の四大公害病として、国を挙げて対策を講じる時代の始まりの頃でした。
中学生も高い意識をもっていたように思います。
さて、環境庁は今年の5月1日に、水俣病患者団体と懇談会を行いました。
長年、苦しみ続けた患者・遺族らから、生の声を聞くのが懇談会の目的でした。
ところが、環境省の役人が、各団体の発言時間を3分間に制限した上に、発言中の遺族のマイクをその3分で突然切るという扱いをしました。
公害対策は、国が責任をもって取り組むべき課題です。
環境省の前身の環境庁は1971年、高度経済成長のなかで生み出した公害病、とりわけ水俣病の救済に国が取り組むという意思表示として発足した歴史があります。
だから水俣病は環境省のいわばスタートラインとも言えるものです。
環境省の役人は公害病からの救済に全力をあげるという国家公務員のスピリットは忘れ去られてしまったかのように思えてなりません。
それに、マイクを切ったという事実を事件としてすぐにメディアが取り上げなかったのも、報道側の感覚が錆びついています。
この後、マイクを切ったことへ批判の声が高まり、環境省は1週間後に水俣を再び訪れ、大臣らが謝罪したのでした。
その時点になってやっと事の重大性に気がついたメディアは、よってたかって報道しました。
公害病は50年たった今も終わっていません。
公害病に苦しむ人がいる限り、国の対策は続くのです。
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