多くの人が学校時代に「一斉指導」を経験したものと思います。1教室に30人から40人の児童生徒がいて、同じ教科書を使い、同じ内容を学習した人がほとんどだったと思います。
この「一斉指導」はいつから始まったのでしょうか。
日本では明治時代になると、国民すべての人が初等教育を受けることが必要と考えられるようになりました。
それ以前の「寺子屋」に代表される教育機関では、大勢の子どもが同じ部屋に居合わせていましたが、学習は個別指導でした。教材も一人ひとりに応じてちがうものを使っていました。
多くの時間は、子どもは自分のペースで自学自習をしていて、先生(師匠)は子どもを一人ひとり呼んで、少しの時間をとって個別指導をするのがふつうでした。
ところが、近代化をめざす日本では、いわゆる「富国強兵」のために、江戸時代とはちがった近代国家が必要とする知識を身につけさせ、その中から秀でた人材を登用しようとしたのでした。
では、全国津々浦々で、大人数の子どもたちにどうやって教育をするか。
個別指導はそれぞれの子どもには手厚くできるが、一人の教師が何人もの子どもをみるのは無理である。
そこで学級をつくり、40人なら40人全員を相手に同じ教材を使い、同じ時間で学習する「一斉指導」が行われるようになったのでした。
明治期には80人ぐらいの子どもを一つの教室に入れ、教師の人数を少なくして財政的負担を軽くする教育をするようになったのでした。
一斉指導は安くつくだけでなく、効率よく一定の知識技能を広く子どもたちに身につけさせることができるという長所をもっています。
そのような一斉指導ではどういうことが起きたのでしょうか。
たとえば、「今からこの問題を10分でやってみましょう」と教師が指示します。
すると10分かかってもまだ答えが出ない子どもは、10分後には「はい、鉛筆を置いて」と言われ、さらに「まだできていない人もいったん前を向きます」と教師から言われ、学習を途中で中断することになります。
では10分より早く終わった場合には、10分になるまで待たされます。
このとき、10分でできなかった子は「できない子」、10分以内でできた子は「できる子」となってしまいます。
7分でできた子は「できる子」に入るのですが、10分になるまで「待たされる子」となり
ます。
10分でできなければ、途中までしかできていないのに次の活動へ移らなければならないのに、待たされる子は退屈な時間を過ごし不満足感が残る。
これが一斉指導の基本的な欠点です。
もちろん、教師はその欠点を克服しようと、さまざまな工夫を実践してきましたし、今もしています。
なお、クラスづくりの面から見れば、40人の持ち味を活かして、大人数のダイナミックな人間関係の学級集団づくりができるというメリットはあります。
この子どもの発言が次の子どもの発言につながり、学習が深まっていくという醍醐味は、授業研究をしている教員でないとわからないかもしれませんが、一斉授業のメリットです。
ただ、学習活動に関して言えば、子どもは一人ずつ学習に取り組むペースはちがうので、そのちがいが有利にはたらき、その子らしさで学び、それぞれに学力をつけていけるように教師は授業づくりを研究し、実践しなければなりません。
いまの学校教育の授業では、子どもたちに「個別最適な学び」を実現することが、文科省により推し進められ、各校で実践をすすめています。
そのとき、理解度や学習のペースなど、それぞれにちがっている子どもにとって、ちがいが不利にはたらかず「個別最適な学び」となるよう、学校・教師は「個に応じた指導」の授業づくりをすすめなければならないのです。
ただ、学習活動に関して言えば、子どもは一人ずつ学習に取り組むペースはちがうので、そのちがいが有利にはたらき、その子らしさで学び、それぞれに学力をつけていけるように教師は授業づくりを研究し、実践しなければなりません。
いまの学校教育の授業では、子どもたちに「個別最適な学び」を実現することが、文科省により推し進められ、各校で実践をすすめています。
そのとき、理解度や学習のペースなど、それぞれにちがっている子どもにとって、ちがいが不利にはたらかず「個別最適な学び」となるよう、学校・教師は「個に応じた指導」の授業づくりをすすめなければならないのです。
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