11年前の今日、2011年3月11日、東北地震が起こりました。
被災地では、震災前まで「あたりまえ」だった生活ができなくなりました。
被災地の人たちは電気、ガス、水道、雨や風をしのぐことができる住居のありがたさなどを思い知りました。
さらには、家族がいっしょに食事をとれることの大切さをあらためて感じた人も多かったのです。
私の家は、昔は米づくりをしていました。
「ご飯はお茶碗に米一粒も残さないように食べなさい。残すともったいないよ」とおじいちゃん・おばあちゃんから教えられました。
ですから、今でもそれがわたしの習慣になっています。
祖父母は戦後の貧しい昭和時代を生き抜いてきたので、身にしみて食べれることのありがたさを伝えてくれた教訓だったと思っています。
しかしながら昭和末期の頃には、日本経済はバブルを経験し、おびただしい量のものがあふれる時代になりました。
食べ物に関しても、「豊食日本」「飽食日本」となり、ものは溢れているが、心は貧しくなり、荒んでしまったのではないかと、わたしは思います。
コロナ災禍が延々と続く今日、人間関係はギスギスしたものとなり、他者への寛容さが薄くなりつつあります。
いま一度私たちにとって大切なことは何かをふりかえってみたいと思います。
それはものや人への感謝であると思います。
わたしには、感謝については中学生にしばしば話していた言葉があります。
それは、「与えて恩を忘れ、受けて恩を忘れず」または「与えた恩は忘れても、受けた恩は忘れるな」です。
感謝というものは、代償やみかえりを求めるものではないのです。でも、自分がしてもらったことのありがたさは忘れてはならないという戒めです。
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