子どもは本来、型にはまるものではないのですが、今の日本では、社会が子育てに高い要求をしていると思うことがあります。
昭和時代には、子ども同士のけんかや遊んでいて何かを壊すというようなことは、よく町で見られた光景です。
保護者も地域の人も、ゆったりと構えていました。子どもを怒ったり、叱ったりはしましたが、「まあ、子どもがすることだから、しかたないよね」と構えていました。
しかし、今の時代では、世間からの「まなざし」を受け、親は子どもが傷つくことなく、だれにも迷惑をかけないようにしなければならないというプレッシャーを感じています。
でも、子どもはそんなふうには育たなくて、親が悩んだり、頭を抱えているのが今の子育て事情です。
本来、子育てとは集団で行う活動であり、近所や地域の人といっしょに親が育てました。
そこでは、親がいまほどわが子に手をかけないものでした。世間からの親への「まなざし」も、それほど強くなかったものです。
ところが、子どもは器用なもので、なかには、高い要求に応えていける子もいます。
ところが、子どもは器用なもので、なかには、高い要求に応えていける子もいます。
行儀よく乗り物に乗り、学校では先生の言うことに口答えせず、学習にがんばる子もいます。
だから、ちゃんとできない子の場合、その親はすごく焦ります。「なんでちゃんとできないの!」と責め立てます。
だから、ちゃんとできない子の場合、その親はすごく焦ります。「なんでちゃんとできないの!」と責め立てます。
また、みんなが同じでないといけないという価値観を背負っています。
いまの子育ては、こういった意味で、難しさを増しています。
いまの子育ては、こういった意味で、難しさを増しています。
いっぽう、私たちは「個性を大切に、多様性を認める」という現代の社会の価値観の中で生きています。子どもたちにもそれを求めます。
しかし、みんなが同じであるように望むのは、「個性尊重」や「多様化」よりも「均一化」という言葉がピッタリきます。
私たちは、多様性と言いながら均一化に価値観のベクトルを向かせているということは、最低限自覚だけはしておきたいところです。
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