箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

2学期あとわずか

2017年12月15日 13時16分04秒 | 教育・子育てあれこれ


本日、昼休みに、吹奏楽部が中庭コンサートを行いました。

B棟とC棟の間の中庭(東側)は、1年から3年の教室ベランダから、一望できます。

3年生は給食に慣れていますので、演奏開始のときには、たくさんの生徒がベランダに揃っていました。

しかし、まだ給食準備に慣れていない1年生は、演奏開始時には、ほとんどベランダに出ていませんでした。

2年生は、3年生より少しは遅かったですが、ベランダに出てきました。

そして、全校生徒がベランダから見おろすなか、吹奏楽部の演奏が進んでいきました。

給食後の昼休みなので、限られた時間でしたが、大勢の生徒が演奏を応援して、手拍子をしたりで盛り上がりました。



このコンサートがやってくると、2学期が終わりに近づいていると感じます。

来週は、生徒には「箕面子どもステップアップ調査」を行います。

また、期末懇談が午後に4日間あります。保護者のみなさまには、年末のお忙しい中ですが、ご出席くださいますようお願いします。

いつまでも好奇心

2017年12月14日 19時22分22秒 | 教育・子育てあれこれ


魅力のある人には、共通点があると思います。

それは好奇心をもっているという点です。

年齢を重ねていくと、ともすれば保守的になりがちです。新しいことを受け入れにくくなります。

若い人から学ぶということが苦手になるようです。

でも、私は若い教職員と日々接していて思うのは、若いので経験が足りないことは、確かにありますが、一方で柔軟な面に感心させられることもあります。

たとえば、若い人のITCの扱いは吸収力が高いので、すぐに使いこなして授業に取り入れています。

それに対して、ベテランの人は扱いが苦手で、若い教職員に教えてとあまりいいません。

それは、もったいないと思います。知らないことには、気おくれしなくてもいい。

人は、知らないことに出会ったら、喜ぶくらいの方がいいと思います。

これは、若い人も同じです。

経験が少なくて、まちがうことがあっても、ベテランのいうことを取り入れたら、教職員として成長していけます。

魅力的な人ほど、好奇心が旺盛です。

三中の教員の中には、初任から数年以上がたっていても、私が少しでもその人の授業を見にいくと、「気づかれたことを教えてください」とコメントを求めてくる人がいます。

そのような教員は、好奇心があり、感情も豊かです。

私はそんな人と接して、その人が感情豊かに、生徒のこころを揺さぶる教員になってくれたらいいなと思います。

知らないことに出会えたことを喜んでいる教員をみて、自分も好奇心をもち、日々学んでいきたいと思います。

すさんだ環境では心もすさむ

2017年12月13日 15時54分09秒 | 教育・子育てあれこれ


今日は、教室の空気検査でした。

これは、教室中の二酸化炭素の濃度を測定するもので、学校薬剤師に来てもらいます。

法令で決まっている検査です。

同じく、夏には空気中化学物質検査も行いました。

1年生1クラス、2年生1クラスを数回にわたり測りましたが、CO2濃度は適正値で良好な環境でした。


さて、上に掲げた写真の2枚目ですが、この教室はロッカーの上に何も置かず、たいへんスッキリとしています。

また、掲示物も整然と貼られています。

床にゴミも落ちていない。

このようにスッキリした教室環境は、とても大切です。

散らかった環境では、生徒はゴミが落ちても平気になりやすいのです。

学習環境が散らかったりしているのが常態化すれば、生徒の心はすさんでいきます。

学校の環境美化は、とても重要だと思います。

12.12三中の一日

2017年12月12日 20時06分39秒 | 教育・子育てあれこれ



今日は、1限で1年生の福祉体験学習で、全盲の三上さんからの話を聞きました。

実際の大阪市営地下鉄のホームでのアナウンスの録音を引用して、視覚障害者に行われている配慮について教えていただきました。

点字を入力するパソコンのキーボードを、プロジェクターでスクリーンに映し出し見せてもらいました。

彼は、1985年に、全国市町村発の全盲図書館職員に採用されました。

いまは、豊中の中学校のスクールサポーターや箕面学園高校の点字講師をつとめています。

今日は、代表生徒が三上さんにつきそって、実際に体育館の生徒の中を、歩く介助をしました。

三上さんは、視覚障害者を街でみかけたら、ぜひ声をかけ、いっしょに歩いてほしいと、生徒に体験を交えて、語っておられました。



また、本日は午後に、吹奏楽部への市長表彰があり、1年生から3年生23名の吹奏楽部員が出席しました。

これは、今年の夏以降、北摂大会コンクール、大阪府コンクールと勝ち進み、関西大会出場銀賞を受賞、また大阪府マーチングコンテスト銀賞を受賞したことで、箕面市の名声を高めたことに対して、表彰を受けたものです。

表彰式に欠席の生徒2名をふくめ、一人ずつに個人名の宛名のついた表彰状が送られました。おめでとうございます。

教師は対人関係専門職

2017年12月11日 13時59分26秒 | 教育・子育てあれこれ



私たちが使う言葉は、もろ刃の剣です。

相手を喜ばせることもできますが、傷つけることもあります。

思春期の中学生は傷つきやすいのです。

教師の何気ない一言で、生徒を傷つけることがあります。

そうなると、たいへん。

とくに、生徒の思いや心情に、土足で踏み込んだときや教師の感性が鈍っていて、「いま、ここでそれを言うの」と、生徒が思うことがあります。

私も、教職を重ねるほどに、学級担任ほど、その子を知らないので、三中の子にはかなり気を遣います。

担任の一言に傷ついた生徒のことを聞くと、その担任と話して、どこがどう誤っていたのかを考えるようにします。


一方、子どもを笑わせせることはかなりむずかしいです。

ジョークやおもしろいことを言って、笑わすのなら、さほど難しくはないです。

しかし、笑顔にするのは、その子のこころにエネルギーを注入しなければならないので難しいのです。

そのためには、その子やその子のうしろにある背景を理解しておく必要があります。

この意味で、プロの教師は、子どもに学習をさせるプロであることはいうまでもなく、対人関係のプロでなければ務まらないと思うのです。

「タマネギは人を泣かせることができる。
しかしながら、人を笑わせることができる野菜は、まだ発明されていない。」


アメリカの喜劇俳優であるグルーチョ・マルクスは、そう言いました。

彼は、「悲劇よりも喜劇の方が難しい」とつぶやいたそうです。

うなずきの効果

2017年12月10日 08時44分55秒 | 教育・子育てあれこれ


先日、教職員の研究会で、私が発言して意見を述べていると、斜め前にいた女性の教員が、「ウンウン」とうなずきながら聞いてくれていました。

全校朝礼で、私が話すと、三中の子は顔を上げて、じっと聞いてくれます。
なかには、やはりうなずきながら聞いてくれる子もいます。

うなずきながら聞いてくれると、またうなずきのうまい人に出会うと、こころのなかで嬉しくなりす。

うなずきのうまい人は、絶妙のタイミングで首をたてに振ってくれます。「そうですね」という気持ちが伝わってきます。

話し手はさらに話しやすくなります。こころがのってきます。

もし、よい話ができたとするなら、それは、話し手だけで成し遂げられたのではありません。

話し手の「わかってほしい」という気持ちと、素晴らしい聞き手がつくる共同作業たと思います。

なぜそれほどよいタイミングでうなずくことができるのでしょうか。

それは、聞き手の相手をこころから理解したいという気持ちに支えられているからです。

この生徒は理解しようとしてくれている。私の話を受け止めようとしてくれている。

このように感じて、私のこころは温かくなります。

理解しようとしてくれる生徒が多いほど、わたしは若い子どもたちから、エネルギーをもらい、イキイキとしてくる自分に気づくのです。

うなずきは、日常生活でのありふれた行為であり、あまりその効果を考えないですが、とても深い行為だと、考えます。

話すことが苦手な人もいるでしょうが、聞き手にまわり、相手を知りたいという気持ちさえあれば、よいうなずきはできるのだと思います。




15歳までの育ち

2017年12月09日 13時04分25秒 | 教育・子育てあれこれ


今日は、桜ヶ丘保育所の「はっぴょうかい」でした。

保護者の方も、わが子の発表を一目見ようと、たくさん来られてました。

なかには、三中の生徒の保護者もお見かけしました。

つまり、保育所の子どもの上のきょうだいが三中にいるということです。

子どもたちの一生懸命な発表の姿が印象的でした。大きな口を開け、大きな声で歌っていました。

その光景を笑顔で見守る保護者、記録しようと写真やビデオをもちながら喜んでおられる保護者の方をお見かけしました。

日々お仕事で、休みの日には、このようにわが子の応援に来られます。

この子たちの中で、10年後には三中の生徒になる子もいます。




その後は、とどろみの森学園へ移動して、三中野球部の箕面リーグの観戦に行きました。

じつは、この箕面リーグから、箕面市立中学校野球部は、一斉に「準硬式」から「軟式」にかわっています。

三中も秋から軟式で練習してきました。今大会は、移行した軟式野球の練習試合の意味あいがあります。

三中対四中の試合でしたが、ここでも保護者の方が大勢応援に来られていました。

保育所であっても、中学校であっても、子どものことを思う親の気持ちにかわりはありません。


いまの三中生も、幼いときから、このようにして大きくなってきたことを思うと、わたしは今までお子さんを育てあげてこられた喜びが伝わってくると同時に、そのご苦労に思いを馳せ、ねぎらいともに、敬意を表します。


1年生 福祉へのプレリュード

2017年12月08日 16時04分53秒 | 教育・子育てあれこれ



本日6限、1年生は3学期の「福祉体験学習」の入口として、箕面市社会福祉協議会の職員さんに来てもらい、お話を聞かせてもらいました。

今日は、福祉、ボランティア活動のおおまかな話をしてもらいました。

これからの福祉体験学習の「前奏曲」の学習でした。

その話の中で、ボランティアの活動4原則を教わりました。

①自発性 わたしからはじまる

②公共性 皆が喜ぶ

③無償性 見返りを求めない

④創造性 必要とする活動を創り出す




クイズもありました。

「次の9個の点を一筆で全部通る図形を描きましょう」

正解した生徒がいました。

はみ出すことを思いつくことの大切さ。視野を広くすると、気づかなかったことに、気がつく。

このことを、講師の方からききました。

いま、箕面市内に障害者手帳を持っている人が4000人、なんらかの障害のある人が5000人。

9000人といえば、箕面市民の15人に1人が障害をもっています。


講師の方からの問いに対して、手をあげて、自分の意見を述べる生徒がいました。

姿勢を正して、三角座りして、食い入るように話に聞き入る1年生の態度に、私は感心しました。

2040年には、65歳以上の高齢者はいまの240万人から278万人に増えると聞きます。

福祉、ボランティア活動は、社会の特別な領域や活動ではなく、みんなにとって必要になります。




結果だけでの判断はキツイ

2017年12月07日 19時03分37秒 | 教育・子育てあれこれ



私たちは、とかく「結果」で子どもをほめたり、叱咤激励したりします。

子どもが出した「結果」に対して、「よくがんばったね」「もっとがんばりなさい」などです。

こんなエピソードがあります。

それは、習字の先生です。

手本をみて、書いた子どもが半紙をもって先生に見せにいきました。

「この程度の字では、私はほめませんよ」

なんと、キツイ言葉かと思われやすいのではないでしょうか。

その子は手本通り忠実に書いていました。まねて書く力を十分に発揮していたのでしょう。

でも、この習字の先生は、評価をする基準を、その子の変化に置いていたのです。

しかし、そのは先生の言葉を聞いてもへこみませんでした。

むしろ、手本通り書いていることを先生は認めてくれていると感じとりました。

おそらく、先生は「守破離」をその子に期待していたのではないでしょうか。

手本に忠実に書くことから、それを破り、手本を離れ、その子らしい字を書いているかどうかをみての、先生の言葉だったのでしょう。

その先生は、たぶん、その子その子に応じて評価の言葉を変えていたのです。

一生懸命書いても手本通りに書けるのがやっとの子もいます。

一生懸命書いたら、その子独特の字が書ける子もいます。


同様に、100mを走っても、速く走る子とそうでない子がいっしょに走ります。

速い子でも、手を抜いて走ると抜かされます。

競争なので、当然速く走る子に注目が集まります。

でも、視点を変えて、一生懸命さをを基準にすれば、一位と最下位があることを十分に認めたうえで、一生懸命取り組んだことを認めてもらえば、子どもは自分を嫌いになったりはしません。

「結果」だけで評価すれば、どんなに力を出しても、ある程度までしかできない子どもは、一生懸命やっても、どうせダメなんだからと思ってしまうでしょう。

「どうせダメ」と言う言葉を子どもから聞くのは残念です。

そのときどきに応じた言葉のかけ方で、子どもは自分への自信を高めたり、なくしたりします。

自分が好き

2017年12月06日 12時31分54秒 | 教育・子育てあれこれ


きのうのブログで、「自分は自分」と思える子について述べました。

この「自分は自分」と思える子は、自分の長所も短所もすべて自分だと思えることです。

このような子は、「自分のことが好きですか」と聞かれたら「好きである」と答えます。

自分を好きな子は、部活で試合に負けたときでも、自分の力が足りていなかったと現実をうけとめ、次はがんばろうと意欲を高めるでしょう。

ところが、自分を好きでない子は、試合に負けたら、自分はやってもダメなんだと思ったり、練習してもムダと思うかもしれません。

または、試合に負けたことを他人のせいにすることもあります。

こうして、自分を見つめることをしなくなり、さらに自分のことが好きでなくなり、自信や意欲を下げてしまいます。

このようにみていくと、「自分を好きになる」ことが、いかに大切であるかがご理解いただけるでしょう。

教育の専門用語では、この「自分が好き」という感情を「自己肯定感」とか「セルフエスティーム」と言います。

子どもがありのままの自分を愛して、まわりの人たちを愛して、自分の力を社会で役立てるように伸びていくことを「成長」と呼びます。

教育や子育ての極意は、「自分を好きになること」、そんな子どもを育むことだと考えます。

自分は自分と思える

2017年12月05日 09時05分38秒 | 教育・子育てあれこれ


一般的にいって、小学校高学年から中学生にかけて、子どもたちに「自分のことを好きですか」と問うと、多くの子が「好きでない」と答えます。

それは、親やまわりが考える理想の子どもと、自分の落差を感じ、ある意味の劣等感をもつからでないかと、考えます。

三中生の場合、昨年度のステップアップ調査では、その傾向が出ていませんが、過去の調査結果には現れていました。


赤ちゃんなら、親の顔を見て笑ったり、お腹がすくと泣き、満足したら眠る。劣等感など関係ありません。

しかし、小学校高学年から中学生になると、だんだんまわりの価値観を知るようになると、それにあてはまらない自分に自信をなくしていき、自分を好きでなくなるのでしょう。

とりわけ、勉強ができるかできないかは、自分が好きであるかどうかに、大きな影響を与えます。

しかし、勉強ができる、できないは、一つの差であり、そこから生まれる差別感が問題です。

一生懸命学習に励むことは大切ですが、勉強ができる、できないは人間としての価値に差はあるません。

頑張って「進学校」に入るという夢と、勉強は得意でなくても人に喜んでもらう仕事に就きたいという夢に、人間的価値の差はありません。

中学生は、いったん「自分が好き」という子は減りますが、学年が進むにつれ、友だちとの比較ではなく、「自分は自分」と思えるようになります。



いじめをどう定義するか

2017年12月04日 16時57分13秒 | 教育・子育てあれこれ


いじめの定義は、時代とともにかわってきています。

【いじめの定義の変遷】

1986年度
自分より弱い者に対して一方的に、身体的・心理的な攻撃を継続的に加え、相手が深刻な苦痛を感じ、学校としてその事実を確認しているもの
⬇️
1994年度
自分より弱い者に対して一方的に、身体的・心理的な攻撃を継続的に加え、相手が深刻な苦痛を感じているもの。個々の行為がいじめに当たるか否かの判断はいじめられた児童生徒の立場に立って行う

⬇️
2006年度
当該児童生徒が一定の人間関係のある者から心理的、物理的な攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じているもの
⬇️
2013年度
児童生徒と一定の人間関係のある他の児童生徒が行う心理的または物理的な影響を与える行為(インターネットも含む)で、行為の対象の児童生徒が心身の苦痛を感じているもの

以上の定義は、文科省の「児童生徒の問題行動調査」、「いじめ防止推進法」から引用しました。



いまのいじめの特徴は、三中でも見受けられますが、いじめる子どもといじめられる子どもが固定化していないという傾向があります。

いじめる側にあった子が、ある日、いじめられる側になる場合があること、つまり、立場の流動性が見られます。

そして、必ずしも強い者が弱い者という力関係によらない、いじめが起こります。

(もちろん、少し前に多発したような、力関係をもとに、一方的に、継続的に攻撃を加えるいじめもあります。)

このような、いじめの実情を受け、定義も変遷してきたわけです。

そして、いまでは、インターネットを使ったいじめも、看過できない深刻な問題となっています。

いずれにせよ、受け手側が、心身の苦痛を感じていれば「いじめ」になります。

なおかつ、大津事件のあと、「いじめ防止対策推進法」が成立しました。

いじめにより、子どもの生命や財産に損害が起きたときには、「いじめ重大事態」と位置づけ、「いじめ調査委員会」が組織される仕組みが整いました。

三中では、今度も引き続き、生徒の自主活動として、「いじめZERO」の活動に取り組んでいきます。


冬の木立のように

2017年12月03日 13時58分50秒 | 教育・子育てあれこれ




写真の左側は、杜の都・仙台市の樹木。
緑がたわわに茂った樹木は、素敵である。
じっと見入っていると、落ち着いた気分になる。

しかし、葉っぱがすべて散り果てた樹木も神秘的で、いとおかし。


木の枝と枝をの間には、冬空がみえる。その冬空は澄み切って、星は美しい。

冬には、凍えるような寒風が枝だけになった樹木に、容赦なく吹きつける。

それを知りながら、樹木は晩秋に敢えて葉をすべて落とす。

そして、霜に降りそそがれ、寒風に吹かれながら、枝には新芽のつぼみを蓄え、じっと春の訪れを待つ。

これが、「冬の木立(ふゆのこだち)」である。

3年生は、冬の木立のような我慢強さで、受験に挑んでほしい。





「2040年」を展望して

2017年12月02日 11時48分59秒 | 教育・子育てあれこれ



先日、研修で聞いた話。

1980年に、14歳までの全国の子ども人口は207万人いました。

それが、2017年には、104万人まで減少しました。

一方、65歳以上の高齢者は、1980年に61万人いました。

ところが、2017年には、240万人まで増えました。

そして、2040年には、子どもは67万人になり、高齢者は278万人になるだろうと予測されています。

23年後に、わが国では、いかに少子高齢化が進むかがわかります。

また別の視点から見ると、化学技術の進歩は、飛躍的に進みます。

とくに、IT革命、なかでも人口知能(AI)が今後も発達してきます。

人口知能の発達には、近年の脳科学の発達が影響しています。

いま、私たちがもっているスマホやタブレットは、30年前のデスクトップパソコン5000台分の情報を扱うように進化したとか。


そして、人口変動と化学技術の進展により、これからの社会の課題は変化していきます。

以上の話を、講師の先生が話されました。




そこで、私は考えました。どのような社会の課題が出てくるのかを。

認知症の高齢者が増え、独り住まいの老人も増えるでしょう。孤独死が今以上に社会の課題となるでしょう。

これから先、労働人口は減り、人口知能が人に代わり業務を担う分野も生まれるでしょう。

人不足を補うため、化学技術の進歩が埋め合わせていくことになるでしょう。

2040年には、いまの三中の生徒は、30歳代後半の年齢になります。

そのような時代に対応すべく、いま以上に「個の確立」が、教育に求められるようになるかもしれない。

社会の流れから、こぼれ落ちないように、自分で何でもできる力を持つように、子どもたちが強いられることになるという危惧を、私はもちます。



しかし、考えてみれば、人間は人とつながり、集団で暮らすことで生きてきました。

信頼と共感は、人類が生きていくためのメカニズムです。

赤ちゃんが、親を見つめ、表情をまねるようになるのも、身近な人とかかわりをもとうとする本能です。

人間は、本来、そういうものです。

しかし、化学技術が進歩して、人と面と向きあわなくても生きていける社会になりつつあります。

私たちは、感情や気持ちを交流することで、ふれあいを感じ、豊かな生活を感じることができます。

人との関係性のなかに、個は存在し、依存の先に自立は存在します。

そのような生き方に価値を定める人になってほしいと思います。きたる2040年に備えて。





Christmas Wish

2017年12月01日 16時54分35秒 | 教育・子育てあれこれ



今日の放課後には、「English Circle」を、英語コミニケーション教室で行いました。

集まった生徒は、雪の結晶を思い思いの形に切り取り、作りました。

3人のALTと英語科教員がつき、すべて英語を話しながらの活動です。

結晶を作ったあと、願いごとを書き込みました。

たとえば、I want to eat many candies.

など、自分の願い(wish)を生徒は書いていました。