
私たちは、とかく「結果」で子どもをほめたり、叱咤激励したりします。
子どもが出した「結果」に対して、「よくがんばったね」「もっとがんばりなさい」などです。
こんなエピソードがあります。
それは、習字の先生です。
手本をみて、書いた子どもが半紙をもって先生に見せにいきました。
「この程度の字では、私はほめませんよ」
なんと、キツイ言葉かと思われやすいのではないでしょうか。
その子は手本通り忠実に書いていました。まねて書く力を十分に発揮していたのでしょう。
でも、この習字の先生は、評価をする基準を、その子の変化に置いていたのです。
しかし、そのは先生の言葉を聞いてもへこみませんでした。
むしろ、手本通り書いていることを先生は認めてくれていると感じとりました。
おそらく、先生は「守破離」をその子に期待していたのではないでしょうか。
手本に忠実に書くことから、それを破り、手本を離れ、その子らしい字を書いているかどうかをみての、先生の言葉だったのでしょう。
その先生は、たぶん、その子その子に応じて評価の言葉を変えていたのです。
一生懸命書いても手本通りに書けるのがやっとの子もいます。
一生懸命書いたら、その子独特の字が書ける子もいます。
同様に、100mを走っても、速く走る子とそうでない子がいっしょに走ります。
速い子でも、手を抜いて走ると抜かされます。
競争なので、当然速く走る子に注目が集まります。
でも、視点を変えて、一生懸命さをを基準にすれば、一位と最下位があることを十分に認めたうえで、一生懸命取り組んだことを認めてもらえば、子どもは自分を嫌いになったりはしません。
「結果」だけで評価すれば、どんなに力を出しても、ある程度までしかできない子どもは、一生懸命やっても、どうせダメなんだからと思ってしまうでしょう。
「どうせダメ」と言う言葉を子どもから聞くのは残念です。
そのときどきに応じた言葉のかけ方で、子どもは自分への自信を高めたり、なくしたりします。