箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

光と色をつける

2019年10月15日 06時53分00秒 | 教育・子育てあれこれ






中学3年間は、長いといえば長いですが、短いといえば短く、あっという間に過ぎてしまいます。

白い無地のキャンバスに、3年間でどんな模様や絵を描いていくか。

子どもは誰しも、中学時代はその子なりに、ドロドロした人間関係に悩むこともあります。

それが、のちにその生徒の中学時代のアルバム・思い出になります。

無色透明な絵にはなりません。

楽しい日々、悩んだ日々、うれしい日々、悲しい日々を過ごすのが、思春期の中学時代です。

その中学時代のキャンバスに光と色をつけるのは、本人ですが、教師でもあります。

生徒とともに喜び、悲しみ、楽しみ、共に時間を過ごすことで、キャンバスには光がさして、さまざまな経験を重ね、色づいていくのです。




台風19号の被害から思う

2019年10月14日 20時01分00秒 | 教育・子育てあれこれ





台風19号によりたくさんの河川が決壊して、甚大な被害が明らかになってきました。

過去最大級の台風とは聞いていましたが、これほどまでの大惨事になるとは想像できませんでした。

写真の上は、私の家の近くの谷間の川で、昨日台風通過後の小川の流れで、いつもより強い流れでした。

この川は猪名川の源流ですが、このような川がたくさん流れ込み、大河を形づくります。

大雨でたくさんの川の水が大幅に増水して一本の大河になったとき、想定を超える水量と勢い、エネルギーとなり、氾濫します。


東日本大震災以降「想定外」という言葉が盛んに使われますが、自然災害はいつも想定を超えるのです。このことを、台風19号は私たちに突きつけています。

科学が発達して、たとえばAIが普及したとしても、大自然の威力には、私たち人間はなす術がないことを思い知らされます。


私たちにできるのは、科学万能に乗っかるのではなく、被害を受けた人たちの心情に想いを馳せ、他者を大事にすることだと考えます。

中学生も、他者とつながり、憂いに寄り添う人になってほしいのです。

憂の横に人が寄り添うことを「優(しさ)」というのです。




特性を長所にする

2019年10月13日 17時20分00秒 | 教育・子育てあれこれ










生徒にもいろいろな特性の子がいます。

あまり細かいことは気にせず、なんでも前向きに考える子がいます。

しかし、他人からの視線を気にして、自分が周りからどう思われているかを気にしすぎる生徒もいます。

とくに今の時代は、まわりの雰囲気を敏感に感じ取り、それに応じた対応をとることに価値を置く傾向があります。

たとえば、「空気を読む」ことを大切にしたり、「空気を読めない」ことを「KY」と揶揄する状況がある中では、敏感な子にとってはクラスにいることが大きな苦痛になることもあります。

授業中に顔を上げずにノートをとらない生徒に、先生が注意をします。

しかし、その子の本音はクラスメートの視線が気になり、顔を上げることができないという点にあります。

教科担任が、「それは、あなたの考えすぎよ。自意識が強すぎるよ」と言って真剣に受け止めてくれない場合もあるでしょう。

こうなると、その子はだんだん教室にいづらくなります。保健室に言ったり、遅れて登校してきたりすることにもなります。

その生徒から話を聞くと、「教室が怖い」、「頭では教室に行きたいと思うけど、教室が近づいてくると、足が止まってしまう」。

「教室に入っても、まわりの視線が気になり、下ばかり向いている」

「廊下ですれちがう学年の友だちの視線も怖い」

その視線には、「この子何をしているんだろう」「変わった子だ」と思われているのでないかというネガティブな感情が頭から離れない。

自分を変えようと思うけど、変えられない。誰かから言われた一言に悩んだり、自分が他人からどう思われているかが気になり、毎日疲れてしまう。

そんな生徒には、他の生徒より情報をキャッチするのが敏感で、その敏感な点は、鈍感でないというあなたの強みであるという点を伝え、気になった視線は安全だと気づいてくれるような機会をもつこと。

それにより、まわりの視線が気にならなくなることも実際にあるのです。

生徒の特性は短所だと感じられやすいですが、かえって長所だと捉えることができるよう、周りの大人は配慮していくべきでしょう。

(本文の内容と写真は関係ありません。)

追い風を知る

2019年10月12日 10時46分00秒 | 教育・子育てあれこれ







台風19号のため、今日予定されていた箕面市立中学校の体育祭は延期になりました。

なにぶんにも大型台風で、雨の心配もありますが、昨年9月4日の台風被害を思い出しています。


三中にはとなりのポプラの大木が倒れてきて、玄関のフェニックスの木が被害を受けました。

さて、そんなことを思い出しながら、今日は風についての話題を提供します。






向かい風か、追い風かで、記録が左右されるスポーツ競技があります。

とくに陸上競技の短距離走は、その最たるものです。

追い風は、通常有利に働きます。

ランナーも追い風のときは、それを感じながら走ります。

ただし、それは自分の進行方向を知っているからです。

陸上競技やスポーツだけでなく、なにか事業やプロジェクトを進めるという、ほかのケースでも追い風は好都合に働きます。

しかし、向かい風は、「逆風」となり、ものごとを進める悪条件になります。

ただし、一つ言えることは、

方向性を持った人しか“追い風”を知ることはできない。

はっきりとした目標を持っていれば、その時の状況が「追い風」なのか「向かい風」なのかがわかるのです。

目標が明確でない場合は、追い風を自分に有利につけることができません。

この意味でも、何事にも目標をもつことは大切です。

無敵の笑顔

2019年10月11日 07時40分00秒 | 教育・子育てあれこれ








台風が近づいており、今日はどんよりとした曇り空です。

おそらく、晴れの空と曇りの空のどちらがいいかと問われたなら、晴れの日と答える人が多いでしょう。

また、雨の日はもっとイヤだと答える人が多いでしょう。

しかし、天気の悪い日ほど、輝くような笑顔でいることがいいのです。



楽しくて笑顔になるのではないのです。

笑顔でいることで、楽しくなるのです。

私は、市内の8校の中学校をまわり、授業の観察指導をしていますが、中学生の笑顔に接すると、救われた気持ちになります。

中学生の笑顔は「無敵」です。

人育ての秘訣

2019年10月10日 06時54分00秒 | 教育・子育てあれこれ






教育で中学生を育むことも、仕事で人を育てることも、基本的に同じであると、私のは考えています。

その秘訣は、
任せて、期待して、見届けること

であると思います。


学校では、教職経験の少ない若手教員が増えています。

今までミドル年齢の教員が担っていた仕事は、その年齢に該当する人が少ないため、校務の要職を若手教員が担当することもあるのが、今の学校です。

その人に任せ、不必要な介入やかまいすぎをしないこと。

そして、その人の成長に期待してサポートすること。

さらには、仕事の進捗をちゃんと見守ること。

それは、私のいまの仕事である教育専門員での教職経験の少ない人への指導にも当てはまります。

「こうしなさい」というよりも、「どうしたらいいか」を引き出して、そのサポートをしていくのです。



このこさは自主性を育まなければならないという思春期の中学生の教育にも、通じる点があります。

委員長やキャプテンについた子には、任せて、成長を期待して、指導者が責任をもって見届けることで育ってくれます。




たわいもない会話ができる先生

2019年10月09日 12時51分00秒 | 教育・子育てあれこれ







「おはよう」

「元気かな?」

「英語の先生から聞いたけど、この頃がんばっているらしいね」

「きのう、地域の祭で活躍していたね」

どこの中学校にも、このように、生徒と自然な会話ができる先生がいます。

生徒は先生からから、このように話しかけられるのを楽しみにしていると見えることもあります。

生徒には、話しかけられる準備ができているという感じてす。

そのように話しかけることができる先生は、はじめからこんな関係を築いていたのではないのです。

生徒一人ひとりについて、その子が関心のあることや興味をもっていることを把握していて、自然に話しかけることができるのです。

話しかける話題は、たわいのないことかもしれません。

しかし、そんな先生の会話は、そのことそのものが大切なのではないのです。

生徒が話しやすい先生だと思うことに意味があるのです。

いざ本当に話したいことが先生側にあるとき、ふだんから話せる関係にないなら、中学生はおそらく「べつに、何もない」と返答をかえすでしょう。

ある日、変わった服装をして来た生徒に「なんや、その服装は」と言うと、「べつにいいやろ、よう似た服装をしているやつは他にもいるやろ」と拒絶します。

しかし、ふだんから話しかけられて、会話をしている先生になら、注意に対して素直に応対します。

生徒とのコミュニケーションがうまくいっている先生は、生徒が話しやすい関係
や状況をふだんからつくっているのです。

それは先生からの働きかけです。先生の方から、生徒のほうにチャンネルを合わせに行っているのです。

そんな先生は、生徒のことをじつによく知っています。

職員室で聞こえてくる他の先生どうしの会話をよく聞いています。

そして、いざその生徒と出会ったときに、その子にいちばん適した話しかけができるのです。


精一杯のレスポンス

2019年10月08日 09時26分00秒 | 教育・子育てあれこれ









教育専門員は、2,3年目の教職経験のある教員の授業を参観して、そのあと授業を振り返って、指導をします。

昼休みや放課後に職員室にいると、生徒が訪ねてきます。

学校にもよりますが、だいたい私の席は職員室の入り口に近いところにあります。

8校の中学校を回っていると、どこの学校もたいていは、「○年○組の○○です。○○先生はおられますか」とか「クラスボールを借りにきました」、「○○教室の鍵を貸してください」とやってきます。

そうすると、生徒の心情が伝わってくるのて、私は自然と体が動き出します。


職員室のドアを開ける前に、ためらいなく入ってこれる生徒もいます。

あふれんばかりの笑顔で入ってくる子もいます。

でも、中には、ちょっと緊張して、立ち止まってから、服装を正して、少しの勇気を出してから扉を開ける生徒もいます。

かなりの勇気を奮って、扉を開け大きな声を出している子もいます。

そんな中学生に言いたいことは、「扉は自分で開けるのだ」ということです。

何事も、じっとしていただけでは変わらないのです。

とにかく、やってみようと、自分から行動を起こすことが大切だと思います。

そして、勇気を出して、訪ねてきた子には、こちらも精一杯のレスポンスをしたいと思います。



石を見よ

2019年10月07日 06時53分00秒 | 教育・子育てあれこれ
 
 
 
人が生活していく中には、うれしいこともあるだろうが、悲しんだり、憤りを覚えることもあります。
 
生徒が学校生活を送るのは、楽しいことばかりではないでしょう。
 
悲しいこともある。残念に感じたり、腹が立つこともあります。
 
 
とかく、人間関係は難しく、うまくいかないこともあります。
 
 
腹の立つときは、石を見るのです。
 
何十年も、何百年も黙って座り続けてきた石を思う。
 
濁った世の中に座り続けてきた石を思えば、自分の気持ちがどうしてもコントロールしにくいとき、石を見ると心が落ちつきます。
 
そして、少し心が落ち着いたら、自分の心の中にあった石を心の外に放り投げてみましょう。

多様な人が共に生きる道徳

2019年10月06日 08時04分00秒 | 教育・子育てあれこれ







みなさんは、お子さんにどんな人になってほしいと、お考えですか。

我慢強い子になってほしい。

人に優しい人になってほしい。

健康でいてほしい。

ものごとを最後までやり抜く人になってほしい。

親御さんは、いろいろとお考えでしょう。

そして、これらは親によって違うでしょうし、私はそれでいいと思います。

子どもに期待することは、いろいろあるのが当然ですし、一つに決めるものではもありません。

ところが、いまの学校の「教科」になった道徳では・・・

「より高い目標を立てて、希望と勇気をもって、困難なことがあってもくじけずに努力を続け、ものごとをやり抜く」と小学校5年・6年の目標に示されています。

また、「自分の考えや意見を相手に伝えるとともに、それぞれの個性や立場を尊重し、いろいろなものの見方や考え方があることを理解し、寛容の心をもって謙虚に他に学び、自らを高めていくこと」と中学校の目標に示されています。(学習指導要領「道徳」)

なんと長い文でしょうか。文科省の書く文は、いつも長文です。

そして、こんな子ばかりだとどうするのかと、私は思います。

ある価値観を押し付けられるのは、多様性とは真っ向から対立するのではないか。

いろいろあり、いろいろな人がいて、ちがっているからおもしろいのではないかと思います。

学校での道徳の授業では、どんな人も自由に、平和に、共に生きるためにこうしましょうという合意としてのモラルをつくりだす。

こういった道徳であるのがいいと、私は考えています。


算数から数学へ

2019年10月05日 12時39分00秒 | 教育・子育てあれこれ






先日の中学校1年生の数学授業参観で、あらためて感じたことがあります。

ミカンとリンゴを合わせて15個買いました。そのうちミカンは5個買いました。リンゴは何個買ったでしょうか。

算数では15−5=10で10個です。
となります。

数学では、ミカンをa個買えば、リンゴは(15−a)個買いました。
と考えます。

文字が入ってくると、この段階で「わからない」となる子がいるのがふつうです。

なおかつ、ミカン1個は100円で、リンゴ1個は200円で、全部で2500円はらいました。ミカンとリンゴはそれぞれ何個ずつ買いましたか。

となると、100a+200(15-a)=2500 という方程式を解きます。
これを解いて、a=5なのでミカン5個、リンゴ10個となります。

端的に言えば、算数は総じて具体的思考であり、数学は抽象的思考が必要になります。(小学校4年生ごろから、抽象的思考の学習は少しずつ始まってきます。)

この具体的思考から抽象的思考に本格的に移行する段階で、難しさを感じて「わからない」となる子が出てきます。

いわば、小から中へ移るときの思考のハードルのようなものです。

実際、先日参観した中1の数学の授業では、このミカンとリンゴの問題を方程式を使って解く段階で、「わからない」とつぶやいていた生徒がいました。

多くの中学校の数学科教員は、ここをうまくくぐらせることに心をくだき、授業をしています。

すると今度は、方程式の便利さに気がつき数学的な知的好奇心を高める子が出てきます。


努力は希望につながる

2019年10月03日 08時46分00秒 | 教育・子育てあれこれ









10月に入り、消費税が10%に引き上げられました。

9月のある日、車の販売店を訪問しましたが、接客テーブルは満杯で、商談が進んでいるようでした。

車のような高価な買い物は税率が2%ちがうだけでも、かなりの出費を抑えることができます。

そんな高価な買い物でなくても、電車の定期券売り場はかけこみの購入者が9月末に列を作っていました。

また、ス―パーではトイレットペーパー・ティシュペーパーの買い込みなど、少しでも出費を抑えようとする人が多くいました。

1973年のオイルショック時を思い起こしました。

あの当時は、「石油がなくなる→トイレットペーパーがなくなる」というデマというか風評に人々が煽動されて、多くの人が買い占めしようと躍起になり、店頭からはトイレットペーパーが消えました。

その時代とは違い、いまは消費者も情報を吟味して賢明に考えます。

一般の消費者は、少しでも出費が抑えたいと思い、税率の低い間に、並んででも買っておこうとするのです。

中学1年のときの国語の教科書で習い、いまでも鮮明に覚えている言葉があります。それは、「生活の知恵」という語句です。

国語の先生が「生活の知恵にあたる具体的な例には、どんなことがあるでしょうか?」と問いました。

クラスメートの一人が「家計簿をつけること」と答えました。

その通りです。消費者が少しでも高い品物の購入を抑え、出費を節約して過ごしたいという気持ちは、あれから半世紀ほどたっても変わらないのです。

それが庶民感覚というものなのかもしれません。庶民は少しでも出費を抑えようという当然で、自然な感覚をもっています。

それは、人々が行う「努力」の一つなのです。

だから、今回のような「駆け込み購入」を誰もが批判することなどできません。それは人々の涙ぐましい努力なのです。

さて、私は、「努力」についてしばしば生徒たちに言っていました。

「努力は無限大の可能性を開く」とか「努力は成功を保証しないが、成長を保証する」などです。

きょうは、消費税10%前の「駆け込み購入」にあわせて、次の言葉をお示しします。

努力している人は希望を語るが、怠けている人は不満を語る。

努力している人は、「明日が少しでもよい日になればいいね」という切なる、またはほのかな願いをもっているのです。

しかし、消費税引き上げに納得できない人、誰かのせいにしている人は、「勝手にきめて」と不満に思うだけです。

ひるがえって、中学生も同じです。

少しでも成績を上げたいので学習に努力している生徒や部活でうまくなりたいと努力している生徒は、不満など言いません。希望をもっているからです。

しかし、怠けている生徒は、多くの場合、誰かのせいだとか外的要因に不満をこぼすことが多々あるものです。

「先生の教え方がまずいから」「ちょっとうまいからって、自分だけがいい子になって・・・」など他者のせいにすることが往々にしてあります。

先行き不透明で、これから将来の生活に不安を感じやすい、今という時代だからこそ、中学生には希望を語る大人になってほしいと願います。


花は咲くときに咲く

2019年10月02日 06時31分00秒 | 教育・子育てあれこれ




いまは、彼岸花が咲くシーズンです。

私の家の近くでも彼岸花が、今を盛りと咲き誇っています。

上の写真は、昨年2018年の9月22日、猪名川町で撮影したものです。

また、私の家の庭には、白い彼岸花が今咲いています。

赤色の彼岸花(曼殊沙華)は、「情熱・独立」などが花言葉です。

白色の彼岸花は、「再会を楽しみに待つ」などを表すそうです。






一方、この写真は今年の10月に入ってからの赤色の彼岸花です。

今年は彼岸花が咲くのが少し遅くなっています。

このように、花が咲く時期は、年によって変動するものです。

そこで、ひとつの教訓が出てきて、私たちがその言葉から学ぶことができます。


「誰とも競わなくてもいい。花は咲くべき時に咲くのだから」。


いつも、せっかちで焦りがちで、よく他者と自分を比べる人は、この言葉をかみしめてみるといいでしょう。

中学生には、この言葉を通して、「自分を信じて、焦らずしっかりと学ぶことが大切です」と伝えたいと思います。

学ぶとは考えること

2019年10月01日 08時10分00秒 | 教育・子育てあれこれ






私は中学生のとき、理科の問題で、写真のように、「コップ一杯に水を張り、氷が入っていて、氷が溶けると水がコップからこぼれるか」という問いで、なぜこぼれないのかをだいぶん考えたことがあります。

当時、かなり真剣に考えたことを覚えています。


じつは、「なぜだろう」と感じて、その答えを探そうとするのは、学習の根本です。

いろいろなことに疑問をもち、考えるほど、学びは深まります。

学習といえば、知識を教わり、暗記してテストに臨むというのは、今でも大切な学習のしかたです。

しかし、学習者がなぜだろうと考えることも、いまの時代、大切な学力になります。



学校の授業でも、生徒たちが考える機会をできるだけ設けています。

しかし、教員の意識では、まだ教えて知識を授けることだけに傾注している旧態依然とした学力観の人もいます。

その教員に、生徒に考えさせ、その考えを表現することができる授業になるよう、いま私は教員を指導することを、自分の使命だと感じて指導にあたっています。


多く訊ねる者は、多く学ぶ。

人間、向上するためには、いろんなことに疑問を持つよう、たくさん問いかけることが求められると、私は自覚しています。