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このコロナ禍で、録画した映画を観る機会が以前より増す。
先日は「地獄の黙示録」のファイナルカット版を観ました。
ジャングルのシーンがとても美しいので、ドローイングを始めることにした。
こんなに映画観るなら描きながら見る方がいい。
「地獄の黙示録」は子供の頃に父に映画館に連れて行かれて、一緒に観た。
まぁチンプンカンプンだったわけです。
ベトコンが何かを知った今なら味わえる。そしてこれは河川版のロードムービーだと思います。
映像がめちゃくちゃ美しい、のだけれど美しさの中に狂気と残酷さが潜んでいて
それを意識しながら観る。自分が安全な場所に居ることを確認しながら、です。
その前に観た戦争映画でもちょっと引っかかったことがある。
『ハクソー・リッジ』(Hacksaw Ridge, 2016米)
これは第2次世界大戦の沖縄戦で、多くの兵士を救った米軍・衛生兵の実話。ストーリーはその人物の子供時代から描かれます。
まぁそれはいいとして、問題は私自身にあります。
後半の残虐な沖縄戦のシーンでは、何故か米軍側の立場にいる自分に気づきました。
日本兵が敵に見える、何故でしょうか?ありえないことです。
これが刷り込みなのだと気づき、恐ろしくなりました。
私は日本人なので、日本兵が殺害されるシーンは当然耐えらないはずなのに
米軍の主人公に感情移入し、米軍の応援をしてしまっている。
これには主人公のルックス、せりふ、子供時代からのエピソードなど多くの情報が
作用していると思います。
そしてこんなことが日常にもあるのだと思う。
広告・宣伝、うわさ話、陰口。自分にバイアスを駆けないことに一苦労です。
生きることは本当に戦いだと思う。
人間は人間を操作したい生き物でしょうか?
そのバイアスから逃れることはできないのでしょうか?
操り人形のようにならないためには、常に疑い考える必要があり、それが唯一の武器かもしれません。
でもまぁそんなことしてたら、日本の社会では嫌われますね。疲れるし。
逆に楽して生きたいなら、操られていれば良いのかもしれません。
そういう人には日本は優しい国だと思います。どっちがいいかな?
優れた映画は、観る体験を通していろんな事を教えてくれますが、
かといって次に気になるのは、放送スケジュールに何らかのバイアスがかかっていないか、です。
(以前より戦争映画の放送が増えた気がするのは気のせいか…)