銀座六丁目交差点から引き続き中央通りを京橋方面へ散策していきます。平日とは言え正午前の銀座中央通りは多くの通行人で混雑しています。銀座地区の中央通りの歩行者天国は土曜・日曜・祝日の午後0時から夕方(午後5時か6時)まで実施されています。そのうち歩行者天国の銀座も散策してみたいです。銀座六丁目交差点から北側のブロックは「旧京橋区の尾張町二丁目」と呼ばれていたエリアです。
ここ銀座六丁目交差点で中央通りとクロスしている通りを「交詢社通り」と言います。この通りに面した銀座六丁目に「一般財団法人 交詢社」の交詢ビルディングが建っており、通りの名前にも採用されています。交差点から有楽町側へ進んで2ブロック進んだ場所に建物が立っています。
上の写真の中央に写っているビルが交詢ビルディングです。「一般財団法人 交詢社」は1880年(明治13年)に福澤諭吉が提唱し、結成された日本最初の実業家社交クラブである。名称は「知識ヲ交換シ世務ヲ諮詢スル」に由来します。慶應義塾の同窓会メンバーを中心として社則を草案し、林金兵衛が構想に関わり、宇都宮三郎から煉瓦家屋を譲り受け、1880年1月25日に青松寺(東京芝区愛宕下)で交詢社の発会式が行われ、24名が常議員となりました。
自由民権運動が盛り上がった明治時代、憲法制定が課題になると憲法案を発表したり、第3次桂太郎内閣に対抗する護憲運動の拠点になるなど、政治的な運動を率先して行ってました。2011年(平成23年)7月1日より一般財団法人へと移行しました。
銀座6丁目界隈を散策していきます。衣料品や食品その他のお店の看板が密集している町並みが続いていますが、それさえも「洗練されている」と感じてしまうのが銀座のすごいところだと思います。歴史の浅い繁華街である新宿や渋谷との差は、そういう所に出てくるのだと思います。1980年代から90年代にかけて新宿や渋谷が流行の発信地となったことによって「銀座は凋落した」としばらく言われていましたが、最近では再び銀座が注目され始めているそうです。
松坂屋銀座店の前を散策していきます。道路を挟んだ向かい側を見ると「ユニクロ銀座店」が入居している「ギンザコマツ東館」の建物が見えてきました。もともとこの場所には昭和21年(1946年)に創業者である小坂武雄氏が創業した洋服店「小松ストア」が建っていました。戦後の全国的なモノ不足な世の中に夢を見せたいという思いから、ここ銀座の地にお店を立ち上げたそうです。
創業者である小坂武雄氏の父親は、1903年に東京市が現在の日比谷公園を開園するにあたり公園敷地内で洋風レストラン「日比谷松本楼」を開店させた小坂梅吉氏です。梅吉氏は銀座で食堂を経営しており、小松家は戦前から銀座の街に縁があったそうです。ちなみに小松ストアの「小松」とは「小坂」と「松本楼」の頭文字を取って名付けられたそうです。
古い銀座小松ビルは平成20年(2008年)に取り壊されて、その後再開発工事が行われていましたが、今年平成24年(202年)に「ギンザコマツ」として開業しました。中央通りに面した東館にはユニクロとして首都圏初のグローバル旗艦店である「ユニクロ銀座店」が、隣接して建っている西館には「DOVER STREET MARKET GINZA」が入居しています。
「銀座五丁目交差点」で中央通りは「みゆき通り」とクロスしています。この先は「旧京橋区の尾張町一丁目」界隈を散策していきます。和光銀座や三越百貨店のある銀座四丁目交差点はすぐそこにあるので人通りも激しくなってきました。
銀座五丁目交差点脇に立っている建物は「ニューメルサ銀座五丁目店」というファッションビルです。「メルサ」は名古屋鉄道のグループ企業であり、1967年(昭和42年)に床面積で当時東洋最大の規模を誇った「名鉄バスターミナルビル(3階と4階に日本初の立体バスターミナル、「名鉄バスセンター」があることから命名)」が竣工した際に、地下1階から地上6階を使用して開業しました。
銀座界隈にはここ銀座5丁目の「銀座ニューメルサ」と銀座2丁目の「メルサGinza-2」の二つの店舗が存在します。1971年(昭和46年)10月に東京都中央区に「東京メルサ(現在のメルサ銀座2丁目店)」をオープンし、その後1977年に竣工した「中村積善会ビル」に銀座ニューメルサがオープンしました。ちなみにメルサとは「Meitetsu Elegance Ladies Shopping Avenue」を略したものだそうです。
銀座五丁目交差点からズームで撮影してみると銀座和光の建物が見えました。
昭和5年まで「尾張町交差点」と呼ばれていた「銀座四丁目交差点」に到着しました。区画整理により現在の晴海通り北側の4町域を銀座一丁目〜銀座四丁目に編入します。また現在の晴海通り南側の9町域を統合して銀座五丁目〜銀座八丁目とし、同時にこれら「銀座」地区と外堀に挟まれた18町域を統合して銀座西一丁目〜銀座西八丁目としました。この時点での銀座一丁目〜銀座四丁目は、東西南北をそれぞれ現在の三原通り、西五番街、晴海通り、桜通りに囲まれた四角形にあたります。
和光銀座の歴史を振り返るには、明治14年(1881年)に服部金太郎が創業した「服部時計店」(現:セイコーホールディングス)まで遡ることになります。次回の記事で日本一の地価を誇る銀座四丁目交差点の一等地に建物を構える和光銀座の変遷について述べてみたいと思います。
銀座四丁目交差点からズームで銀座三丁目方向を撮影してみました。ここから北側は百貨店などが密集しているので人通りはさらに激しくなります。
今回散策した場所は昭和5年に銀座地区に編入されたエリアです。