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7月下旬の快晴の天気の平日、JR新橋駅前から中央通り(国道15号線)を歩いて銀座一丁目へ向かいます。新橋駅の銀座口から外堀通りを汐留方面へ歩いていきます。外堀通りの大通り沿いは証券会社や銀行などが密集しているビジネス街となっていて行きかう人々もビジネスマンばかりです。
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外堀通り・昭和通りと中央通り(第一京浜・国道15号線)がクロスしている「新橋交差点」にやってきました。ここで左へ曲がって中央通りへ向かいます。正面に建っている汐留シオサイトの「東京汐留パナソニックビル」は2012年4月に実施されたパナソニックグループの拠点再編において、これまで港区の芝にあった東京支社の建物を売却して、東京の拠点機能を「旧パナソニック電工ビル」であったこのビルに集約されたものです。
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首都高速道路の効果橋を渡って港区新橋一丁目から「中央区銀座八丁目」の界隈へ進んでいきます。これまでこのブログでは千代田区・中央区・港区の散策は「東京都心部」というカテゴリーで一括りにしていましたが、やはり千葉県に住んでいる緑にとってこの都心三区の散策が圧倒的に多くなってしまいます。なので一週間ほど前に思い切って東京都心部カテゴリーを5つに分けてみました。これからは銀座・京橋・日本橋を中心とした中央通りや中央区全域は「都心三区(中央通・銀座)」に担当させます。
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首都高速道路の高架橋をくぐれば「銀座八丁目交差点」となります。首都高速道路の高架橋の下の空間には「ギンザナイン1・2・3号館」というショッピングストリートが存在します。このショッピングストリートには住所が定められてはいないそうなので、便宜的に「銀座九丁目」と呼ばれることがあるそうです。
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前回の中央通りの散策では有楽町側の歩道を散策したので、今回は築地側の歩道を散策していきます。銀座は東へ一キロほど歩けば東京湾(というより隅田川の河口)に出ることができるので、結構涼しい風が吹いてきます。東京の内陸部よりもさわやかな雰囲気の中を散策することができます。とはいってもこの日は全国的に猛暑日だったので関係なかったですが。
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銀座八丁目から七丁目にかけての中央通りには外国人観光客の観光バスが多く列をなす光景が近年見られたものですが、やはり2011年3月11日以降減ってしまったそうです。とは言っても徐々に最近は戻ってきているとか。
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銀座八丁目交差点周辺は1930年(昭和5年)3月4日に銀座地区に編入されるまで「京橋区の南金六町」と呼ばれていました。現在の東京都中央区銀座8丁目7番地から同10番地のうち、東を三原通り、西を西五番街に挟まれた部分の南半分にあたります。
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ズームで撮影すると「銀座七丁目交差点」と隣接して建っている「資生堂ザ・ギンザ」が見えてきました。江戸期には東海道の起点から見て芝地域への入口に位置し、汐留川にかかる新橋(芝口橋)の両岸で「芝口」を冠した地域です。当時、隣接して存在した幕府拝領地「金春屋敷」をやがて併合し、同屋敷の下女たちに端を発する「金春芸者」あるいは「新橋芸者」と呼ばれる芸妓の本拠地でした。銀座地区でありながら歴史的に見ると新橋のビジネス街とのつながりが深い場所なのですね。
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1872年(明治5年)の銀座大火以降には銀座煉瓦街が建って近代化が進み、「日本初」の近代的建築物、店舗がこの地に登場します。「日本初のビアホール」である「恵比寿ビヤホール」が1899年(明治32年)に5番地(現在の銀座8丁目9番)に、「日本初の映画専門館」と「日本初の撮影所」を開いた「日本最古の映画会社」である吉沢商店は13番地(現在の銀座8丁目10番)に、「日本初のカフェー」とされるカフェー・プランタンは1907年(明治40年)に銀座煉瓦街(5番地-10番地)に生まれました。
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東芝の創業者である田中久重が1875年(明治8年)に9番地(現在の銀座8丁目9番)に開いた工場は、「東芝発祥の地」とされています。このほか、1894年(明治27年)には3番地(現在の銀座8丁目8番)に千疋屋フルーツパーラーが、1899年には4番地(現在の銀座8丁目8番)に帝国博品館勧工場が建ちます。当時としては西洋の文化を多く取り入れたお店や工場は珍しかったので、大きな話題となったそうです。
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「銀座七丁目交差点」に到着しました。背後に写っているビルは「SHISEIDO THE GINZA」、本社社屋の建て替えや東京銀座資生堂ビルの一部改装などと一体で進める「資生堂-銀座 未来計画」の一環として2011年5月14日に開業しました。この地は1872年(明治5年)9月17日に日本初の洋風調剤薬局として福原有信が東京・銀座に「資生堂薬局」創業したという資生堂発祥の地です。
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南金六町の町名の由来は、江戸期に京橋川の南に芝田金六が長屋を開き、1657年(明暦3年)の明暦の大火の後に一帯を「京橋金六町」(のちの木挽町1丁目、現在の銀座1丁目のうち昭和通りより東部分)と称するようになり、その飛地と考えられています。1923年(大正12年)9月1日の関東大震災を経て、1930年(昭和5年)3月4日には、北に隣接する「出雲町」とともに「銀座八丁目」に改称し、「南金六町」の町名は消滅しました。
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資生堂発祥の地として名高い「銀座七丁目」を散策していきます。1930年(昭和5年)の銀座地区編入前はこの界隈は「竹川町」と呼ばれていました。江戸時代の幕府医学所、明治維新後の大学東校(現在の東京大学医学部)で西洋薬学を学んび、卒業後に海軍病院薬局長となった福原有信は文明開化の雰囲気漂う銀座七丁目の地に、日本初の洋風調剤薬局「資生堂」を創業しましす。
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薬局から始まった資生堂が化粧品事業へと本格的に舵を切り始めるのは大正時代になってからです。1897年(明治30年)に化粧品業界へ進出、高等化粧水「オイデルミン」発売します。1916年(大正5年)に新製品の開発のほか、商品の品質保証などを行う「試験室」が銀座七丁目に作られました。昭和から戦前にかけては化粧品のシェアをさらに伸ばしていく他、全国に独自の販売網を整備する「販売会社制度」の開始、レストランの運営や洋菓子などの販売を行う資生堂食品販売会社(のちに資生堂パーラー)の設立など事業を広げていくことになります。
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スウェーデンのアパレルメーカー「ヘネス・アンド・マウリッツ」は1947年に婦人服を専門としたメーカーとして創立しました。低価格な衣料品や一部高級志向品を中心に全世界で展開を始め、日本では2008年9月13日に1号店として銀座・中央通りに進出しました。高級志向が強い銀座界隈において「H&M銀座店」は低価格志向という意味では目立つ存在です。
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JR新橋駅周辺と銀座八丁目は目と鼻の先です。