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8月中旬の真夏の平日、JR新橋駅の銀座口から海へ向かって道なりに進んでいきます。汐留シオサイトの高層ビル群の中を抜けて、首都高速都心環状線の高架橋の下を通ると、目の前に「浜離宮庭園」の広大な緑地帯の敷地が見えてきます。この日は東京都心部の気温は34度、日焼け対策や水分補給など万全の対策で散策していきます。
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今回の浜離宮庭園の散策は、首都高速都心環状線汐留出入り口前の「大手門橋」を渡って敷地内に入り、芝生広場、お花畑、汐入の池・回遊式庭園の順に散策していきます。南門橋の銀座側には「古刹名勝及び特別史跡 旧浜離宮庭園入口」という、立派な石造りの案内板が設置されていました。
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築地川に架かっている「大手門橋」を渡って敷地内へ進みます。この橋は浜離宮庭園の観光客を乗せた観光バスの駐車場になっているそうですが、この日は一台も止まっていませんでした。この橋は関東大震災後の大正15年(1926年)に、震災復興として新たに架け直されました。
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大手門橋の橋上から築地川・下流側を撮影してみました。やはり、この季節は夏特有の匂いが立ち込めているので、先へ進むことにします。
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「特別名勝」と「特別史跡」として国からダブル認定されている「浜離宮庭園」は東京都によって管理されています。一般300円、65歳以上150円で園内を散策することができます(小学生以下及び都内在住・在学の中学生は無料)。
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大手門橋を渡って枡方地形となっている門前広場を抜けると目の前に「大手門」が建っています。石造りの重厚な雰囲気の大手門の先には緑地帯の緑が広がっていて、セミの泣き声が至る所から聞こえてきます。橋から門にかけての枡方地形といい、江戸時代の城郭技術に共通した部分が多く見受けられます。
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緑の住んでいる千葉県北西部の東京のベッドタウンでもあまり聞かなくなったセミの鳴き声に圧倒されながら敷地内に入っていきます。
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振り返って大手門を撮影してみると、大きな石垣が門に沿って広がっています。「大手門」という名前は皇居にも同じ名前の門がありますが、この浜離宮庭園は徳川家宣が6代将軍になった際に、将軍家の別邸にして江戸城を守る役割でもある出城として造成されました。また、徳川家の「軍港」としての性格もあり、大名庭園がベースの割には城郭技術が多用されているのも、そのためなのです。
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大手門の石垣の脇にあった管理事務所で300円を払って散策していきます。順路に沿って「迎賓館跡地」へ向かいます。
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江戸時代初期のこの地は日比谷入江に程近い芦原でした。1654年(承応3年)に甲府藩主の徳川綱重がこの地を拝領し、海を埋め立てて別邸を建てます。その後は甲府藩の下屋敷として使用されました。このため「甲府浜屋敷」、「海手屋敷」と呼ばれるようになります。
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振り返ると汐留シオサイト「電通本社ビル」の巨大な建物がそびえ立っています。
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綱重の子である徳川家宣が6代将軍になると、将軍家の別邸とされます。浜御殿と改称して大幅な改修が行われ、茶園、火薬所、庭園が整備されました。とくに徳川家斉と家慶の頃は、将軍の鷹狩の場でした。幕末には幕府海軍伝習屯所でもあったそうです。慶応2年に着工した石造洋館が明治2年に外国人接待所「延遼館」として竣工しました。
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もともとは徳川の海軍の中枢として建設された「延遼館」は、明治維新後に迎賓館としての役割を担うことになります。明治時代にお雇い外国人として来日した「ジョサイヤ・コンドル氏」の設計によって改修された西洋風石造建築物で、面積1380平方メートルのコの字型建物だったと言われています。
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現在はその跡地には芝生広場として整備されています。その奥には「汐留シオサイト」の高層ビルやタワーマンションが密集して建っています。
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首都高速都心環状線の「汐留JCT」の文字の南側に架かっているのが「大手門橋」です。地図の中心点は「延遼館跡地」に設定してあります。