
引き続き行幸通りの東端部から丸の内オアゾ前を経由して丸の内中央改札口へ向かいます。戦前の東京と下関・関門海峡を経由して朝鮮半島・満州を結ぶ高速鉄道計画「弾丸列車」の正式な後継者である「東海道新幹線」が、1964年(昭和39年)10月1日に開業し、東京駅が始発駅となります。その後、東海道新幹線ホームは順次増設されていくことになります。

1966年(昭和41年)に営団地下鉄東西線大手町駅開業に伴い、徒歩連絡を開始します。ただし同駅は1956年から丸ノ内線の駅として開業しており、東西線の駅の開業までは当駅から大きく離れていました。JRの東京駅から丸ノ内線の大手町駅まで歩くとなると、15分くらいは余裕でかかると思います。

撤去工事中のプレハブ小屋の奥には丸ノ内駅舎の妻切部と背後のグラントウキョウノースタワーが目立ちます。

1972年(昭和47年)7月15日に総武本線地下ホームが開業します。現在の「東京地下駅」と呼ばれている地下5階に位置している2面4線ホームです。これによって通勤ラッシュが激化していたJR総武快速線と横須賀線が直通運転を行うようになりました。

自動車輸送へのモーダルシフトなどの鉄道の輸送環境の激変、国鉄の慢性的な赤字体質解消にむけて分割民営化が議論され始めた1980年代、そして1987年(昭和62年)4月1日に国鉄分割民営化に伴い、東海道新幹線の駅はJR東海が、その他の国鉄線の駅はJR東日本が運営を継承します。丸の内駅舎はJR東日本が保有することになります。

日生丸の内ビル前から撮影した「JPタワー」です。逆光によって丸の内駅前広場側に貼り付けられている高性能遮熱断熱ガラスが真っ青になっていました。

1991年(平成3年)6月20日、それまで上野駅発着であった東北・上越新幹線が東京駅まで延伸し、東京駅が東北方面の長距離列車の始発駅となります。前年の1990年には京葉線の東京駅延伸工事が完成するなど変化がありました。

1998年の長野オリンピックの開会に合わせ1997年(平成9年)の暮れまでに長野新幹線を開業させることが決定します。1995年(平成7年)に中央快速線専用高架ホームが完成、山の手・京浜東北・東海道線のホームを丸の内側へ一列づつ移動させ、空いたスペースに長野・上越新幹線ホームを建造しました。

丸の内オアゾ前に戻ってきました。このあと中央改札口へ向かいます。

東京ステーションホテルの正面玄関脇にある「丸の内中央改札口」です。工事用資材置き場のエリアを工事用の仕切り板で区切った歩行者用通路を歩いて入場することができます。

創建当時の装飾が見事に復元されてる北・南ドームと比較すると、内部は「普通」といった雰囲気ですね。

宇都宮線「湘南新宿ライン」において遅延が発生していたとのことでした。千葉方面は異常なし!でした。

東海道山陽・東北・上越の各新幹線の案内表示版もフルカラーLED方式で表示されています。

照明が幾分暗すぎやしませんでしょうか?

天下の東京駅の中央改札口!!! その自動改札機の数は何と3台!!! ・・・まぁ、こんなものなのかもしれませんね。通勤ラッシュの時間帯でもここの改札口を利用する人の数は本当に少ないそうです。駅から丸の内のオフィス街へ向かうビジネスマンの人たちは、北口や南口、地下の丸の内地下中央改札口を使う割合が多いそうです。
