緑には、東京しかない

千葉県の東京寄りに住んでいる私「緑」が大好きな東京の散策写真のブログを作ります!!!

夏日の銀座:銀座四丁目交差点から銀座三丁目交差点へ

2012年08月13日 09時50分21秒 | 中央区全域・銀座


中央通り・国道15号線と晴海通りがクロスしている「銀座四丁目交差点(旧・尾張町交差点)」を横切って銀座四丁目を散策していきます。交通量が非常に多い銀座四丁目交差点を見下ろすように建っているのが旧・服部時計店、セイコーホールディングスの登記上の本店である「銀座和光」です。交差点付近をウロウロしている最中に正午になったのでウェストミンスターの鐘が鳴り響いていました。




日本初の腕時計、世界初のクオーツウオッチを製品化したセイコーの前身ですが、1881年(明治14年)12月に服部金太郎が輸入時計を販売する服部時計店を創業します。当初の服部時計店は京橋采女町に本社がありましたが、木挽町を経て銀座4丁目に本社を移し、初代時計塔を建設したのは1895(明治28)年のことです。翌年の1896年(明治29年)に同社初の懐中時計「タイムキーパー20型」を発売します。




1892年(明治25年)3月に時計工場である「精工舎」を設立し、国産クロックの製造を開始して精工舎で製造した国産クロックの販売を服部時計店で始めます。精工舎設立当時は、服部時計店は企画・マーケティング・保守サービスを担当し、精工舎は服部時計店からは独立した製造部門として、研究開発・設計・製造を行っていました。そのような「協業」によってSEIKOブランドの時計は技術水準を高め、世界的に高い評価を得るに至ります。




銀座四丁目交差点から晴海通りをJR有楽町駅方向をズームで撮影してみました。交通量が大変多い晴海通り沿道も高級ブランドショップや専門店が非常に多いです。JR有楽町駅まで歩いて約400メートルしかないので駅から歩いて銀座へやってくる人々が非常に多いです。また有楽町駅前から銀座四丁目交差点までは地下道も完備されています。




交差点を渡って三越百貨店銀座店前から振り返って新橋方向を撮影してみました。地上10階建て前後の商業ビルが大通りに沿って整然と立ち並んでいて、大阪・心斎橋の御堂筋や長堀橋に沿った高級ブランド街に匹敵するような街並みが続いています。緑が旅行する大阪の中で一番好きな街が心斎橋ですが、その心斎橋を超える勢いが銀座にはあると思います。




1930年(昭和5年)に銀座5丁目地区に編入された「旧京橋区の尾張町五丁目」の現在の様子です。それ以前の地名としての「銀座」は現在の銀座地区の北側半分、一~四丁目までしかなかったのですが、区画整理によって面積的に2倍の規模になりました。なお「尾張町」の名前は江戸時代に湿地帯であったこの界隈を埋め立て工事を行った大名が尾張(現愛知県)の人間であったことから名付けられたそうです。




1983年(昭和58年)8月には社名を「株式会社服部セイコー」に変更、さらに2007年(平成19年)7月に社名を「セイコーホールディングス株式会社」となりました。子会社としてセイコーウオッチ向け腕時計の一貫生産および材料・部品の製造を行っている「セイコーインスツル株式会社」や、長野県諏訪市のJR上諏訪駅周辺に工場群が広がっている「セイコーエプソン株式会社」などを従えています。




銀座四丁目交差点の内幸町側に建っている円状のビルは「三愛ドリームセンター」という商業ビルです。これまで銀座四丁目交差点にやって来ると銀座和光や三越百貨店しか注目していなかったのですが、このビルも少し興味を持ちました。ビルの頭頂部にはカメラメーカーとして有名な「リコー」の看板が掲げられています。通称「銀座三愛ビル」といいます。




「銀座三愛ビル」の立っている場所は戦前は「旧六十九銀行銀座支店」の建物が建っていました。戦後まもない1946年に銀行跡地にリコーグループの創業者である市村清が食料品店を開店します。その前年に市村清は後に婦人服販売を専門とする「三愛商事」を設立しています。銀座四丁目交差点前の一等地を取得するのには様々な苦労があったそうです。




ちなみに市村清は戦前の1929年、理化学研究所(理研)が開発した陽画感光紙の九州総代理店の権利を譲り受け、たちまち業績拡大に成功、朝鮮・満州の総代理店の権利も獲得しています。1933年には理研所長大河内正敏より理化学興業(株)感光紙部長に招聘されます。1936年に理研感光紙(株)専務取締役に就任、同社は2年後に「理研光学工業」に改称され、これが後のリコーとなります。デジタルカメラメーカーで有名な「リコー」の創業者でもあり、リコーの本社も同じ中央区の銀座八丁目にあります。




中央通りを銀座四丁目交差点から銀座三丁目交差点へ散策を続けていきます。100メートルも歩くとすぐに銀座三丁目交差点と松屋銀座本店の巨大な建物が見えてきます。




三越百貨店と松屋銀座店、晴海通りを挟んだ松坂屋銀座店、少し離れたJR有楽町駅前の有楽町マリオンなど、半径数百メートル以内に複数の百貨店が密集しています。日本全国を見てもここまで多くの百貨店が集まっている地域というのは珍しいのではないかと。銀座以外で思いつく場所といえば昨年に伊勢丹が開業し阪急が建替増床を行った「JR大阪駅・梅田」や、JR新宿駅周辺の一帯くらいではないでしょうか。




「銀座三丁目交差点」に到着しました。銀座三丁目交差点といえばなんといっても2003年11月30日に日本初の直営店として開店した「アップルストア銀座店」が有名です。今でも疑問に思いますが、なぜ家電とパソコンの町である秋葉原ではなく、繁華街である銀座三丁目のど真ん中に店を作ったのか今でも不明です。大阪でも「アップルストア心斎橋店」は家電の街として有名な日本橋ではなく、御堂筋沿いの西心斎橋に店舗を構えています。




2011年10月15日にアップル社を創業したスティーブ・ジョブス氏が死去した際は、ここ銀座店や大阪の西心斎橋店では店舗前に多くの献花の花束が一般の人々によって並べられていたそうです。それほどまでジョブス氏のカリスマ性というものは、多くの人々を惹きつけるものがあったのでしょう。




交差点を渡ってアップルストア前へ移動します。引き続き銀座一丁目へ向かって散策を続けます。




銀座四丁目交差点周辺はご覧のように百貨店やファッションビルが密集しています。

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