緑には、東京しかない

千葉県の東京寄りに住んでいる私「緑」が大好きな東京の散策写真のブログを作ります!!!

新緑の丸の内:行幸通りを歩いて、東京駅丸の内駅前広場まで

2013年05月15日 11時25分25秒 | 東京駅周辺


日比谷通りと行幸通りが交差している「和田倉門交差点」前に到着しました。この交差点周辺から南側が「丸の内」、北側が「大手町」の地区に体感的に区分することが出来ます。とは言っても二つの地区はオフィスビル群が連続的に連なっていることから、ほぼ一体化されています。




東京駅丸の内駅前広場から、旧江戸城(現・皇居)の和田倉門跡地前までまっすぐ伸びている行幸通り、大通り内に植えられているイチョウ並木道は、見事な美しい新緑に光り輝いていました。




ズームで撮影してみました。交差点を渡って、早速行幸通りの中を歩いて丸の内駅前広場へ向かいます。




交差点前から振り返って和田倉門濠方向を振り返って撮影してみました。パレスホテル東京の高層ビルの脇で長い間更地になっていた「(仮称)日本生命大手町ビル」の建設現場では、ようやく2基のタワークレーンが組み立てられていました。




行幸通りをまっすぐ歩いていきます。行幸通りの正式名称は「東京都道404号皇居前東京停車場線」と言います。特例都道であり、天皇が行幸するために利用する道路として整備されました。




「行幸」とは天皇が外出することであり、皇居から「天皇の駅」として日本全国へ行幸するために建設された東京駅(当時は東京停車場、又は中央停車場)とを一直線で結ぶ道路として造られたのです。




行幸通りの構想が始まったのは大正時代です。帝都復興院の関東大震災後の震災復興再開発事業の一環として、皇居の和田倉門から東京駅に通じる幅員73メートルの東京市を代表する広規格道路道路として建設されました。




関東大震災当時は、東京市内の大通りの幅員が狭かったことから火災の延焼を食い止められなかった教訓からか、幅員の広い道路と不燃性の高いイチョウ並木道を整備する方針が立てられたのです。




関東大震災後の同時期に整備された高幅員の大通りとして明治通り、大正通り(現・靖国通り)、昭和通り等があります。この頃の東京は火災に強い「不燃都市」を目指す理念があったわけですね。




当初は道路中央から高速車線、イチョウ並木、緩速車線、歩道の配置だったのですが、その後、中央車線は天皇の行幸と信任状捧呈式に向かう外国大使の送迎の車馬が通行する時にのみ使用される専用道となり一般車の通行は禁止されました。




行幸通りの北側にそびえ立っているのは2007年4月に再開発工事によって竣工した「新丸の内ビル」です。以前の新丸ビルを模した低層等内には商業施設等が入っています。




近年になって中央車線は再整備され、2010年4月に歩道兼馬車道として交通開放されましたた。ただし、行幸や信任状捧呈の車馬が通行する時のみは専用道として一般歩行者の通行が制限されます。




行幸通りの丸の内側の東端部からは、丸の内駅舎や駅前広場全体を見回すことが出来ます。この日も、多くの人たちが撮影したりして楽しんでいました。




行幸通りの東端部に到着しました。今から1年前の今頃と言えば、その年の10月の丸の内駅舎の復原工事の完成へ向かって工事が最終段階へ入っていたことを覚えています。駅前広場に展開していた工事用資材置き場やプレハブ事務所の解体工事が始まっていました。




1年前(2012年)の5月頃は駅舎の工事自体はほぼ完成し、駅前広場の整備が始まってきた時期だったでしょうか。これで新緑の丸の内の散策は終わりです。



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