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引き続き新緑のイチョウ並木道が続いている鍛冶橋通りの御通りに沿って散策を続けていきます。丸の内パークビルの低層商業棟でもある「三菱一号館」の建物を眺めながら歩きます。
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かつてこの場所に建っていて解体された丸ノ内八重洲ビルは、日本建築家協会が保存要望書を三菱地所に提出していた1928年(昭和3年)竣工の近代建築であるため、一部がファサード保存され丸の内パークビルディングの外壁として保存・活用されています。
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敷地内には、1894年(明治27年)に竣工した後、文化庁が重要文化財指定を検討する中、1968年(昭和43年)に三菱地所が抜き打ちに解体したジョサイア・コンドル設計の丸の内最初のオフィスビル「三菱一号館」をレプリカ再建しています。
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三菱一号館は免震装置を設置した上に230万個の煉瓦を使用し再現され、「三菱一号館美術館」として利用されています。また丸の内パークビルディングと三菱一号館美術館の間には「一号館広場」と名づけられた中庭が設けられ、オープンカフェや植え込みが配置されています。
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皇居と東京駅の間、内堀沿いを走る日比谷通りの1本東側に平行して走る通りが「丸の内仲通り」です。晴海通りから永代通りまで真っ直ぐ通じ、平日、休日を問わず賑わいを見せているのです。
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現在の仲通りは幅員21メートル、両サイドのビルは高さ31メートルで軒線が揃い、地面は落ち着いた色調の斑岩が歩道・車道ともにリズミカルな模様に敷き詰められているのです。今の時期ですと新緑の並木道がすごくきれいです。
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街路樹はケヤキをはじめカツラ、アメリカフウ、シナの木などの落葉樹が植えられ、道路と歩道の間に置かれたプランターやハンギングフラワー、ベンチがゆったりとした佇まいを見せます。1990年代の丸の内仲通りの荒涼とした雰囲気が、今となっては信じられないくらいです。
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丸の内仲通り前の交差点から丸の内の高層ビル群を撮影してみました。手前から丸の内パークビル、三菱東京UFJ銀行本店ビル、東京ビルです。
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横断歩道を渡り、丸の内パークビルの敷地内へ入って見たいと思います。正午を過ぎた時間帯なので、丸の内仲通り周辺は昼食へ繰り出すビジネスマンの人たちの姿であふれかえっていました。
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広々としていて、開放感が感じられる丸の内仲通りの歩道。歩道の両側に建ち並んでいるオフィスビル群の一階には高級ブランドショップなどが数多く入居していて、さながら表参道の並木道を歩いているようです。
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江戸時代の丸の内は「本丸の内」、江戸城の敷地内そのものであり親藩や譜代大名の藩邸が24あったため「大名小路」とも呼ばれていました。内堀と外濠に挟まれていた地域内には南北町奉行や勘定奉行の奉行所、評定所も置かれていました。
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明治維新後に武家屋敷は取り壊されて官有地となり、陸軍の兵舎・練兵場などになります。陸軍兵営が移転した後の1890年、三菱の2代目当主・岩崎弥之助に150万円で払い下げられました。当時の丸の内は草の生い茂る原野と化しており、「三菱ヶ原」と呼ばれていました。
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丸の内パークビル等の大通りに沿って整然と植えられている丸の内仲通りのケヤキ並木道。正午の時間帯、真上から太陽の光に照らされて、美しい新緑が光り輝いていました。
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丸の内仲通り前から見上げて丸の内パークビルの高層ビルを撮影してみました。
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丸の内パークビルディング地下1階から4階、低層棟(アネックス)、三菱一号館、一号館広場からなる商業ゾーンは総称として「丸の内ブリックスクエア」と名付けられています。次回の記事では三菱一号館内へ向かいます!!!
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