緑には、東京しかない

千葉県の東京寄りに住んでいる私「緑」が大好きな東京の散策写真のブログを作ります!!!

新緑の丸の内:「丸の内パークビル・一号館広場」内を散策する

2013年05月13日 12時28分30秒 | 東京駅周辺


平日の正午の時間帯の丸の内仲通り、周辺に林立している高層オフィスビル街で働いているビジネスマンの人たちで賑やかな雰囲気に包まれていました。近年では仲通りにも飲食店などが数多く立地しています。




1990年代の丸の内仲通りといえば、土休日になると人通りが途絶えて「ゴーストタウン」等と揶揄されるくらいの味気ないオフィスビル街だったのですが、近年では路面に面した商業施設が多く出店し、休日でも人通りが絶えない華やかな雰囲気の通りに生まれ変わりました。




丸の内パークビルと共に2009年9月に開業した商業施設「丸の内ブリックスクエア」の中を散策してみたいと思います。お昼時の時間帯の散策なので、多くの人たちで賑わっているかもしれません。




丸の内パークビルと三菱一号館の建物に囲まれた「一号館広場」は、都心部において緑化がなされている広場であり、多くの人たちで賑わっていました。ビジネスマンの人たちよりも私服姿の人の方が目立っていました。




広場には十種類のバラをはじめ、さまざまな草木や噴水、オープンカフェで構成されています。緑地帯の中には多くのベンチが設置されているので、多くの人たちが座ってくつろいでいました。




東京都心部の中枢、丸の内地区とは思えないほど深い緑に覆われているのが印象的です。この日は雲一つない快晴の天気だったのですが、緑地帯の中にいると直射日光はほとんど降り注いではきません。




1894年に丸の内最初のオフィスビルである三菱一号館が竣工、これを皮切りにロンドンのロンバード街に倣った赤煉瓦街が建設され、一丁倫敦(いっちょうろんどん)といわれるようになります。三菱の手でオフィス街が築かれたこの地区は、現在に至るも三菱グループ各社の本社や三菱地所所有のオフィスビルが集中しているのです。




丸の内最初の洋風貸事務所建築としての「第1号館」である本建物は、三菱の建築顧問であったジョサイア・コンドルによりイギリス・クイーンアン様式(en)の外観を持つ煉瓦造の建築物として設計されました。




1894年に竣工当初においては、三菱合資会社本社、第百十九国立銀行(後の三菱合資会社銀行部、三菱銀行)本店、高田商会が設けられたほか、貸事務所として坪1円から1円50銭で貸し出されたとされています。このほか、郵便局「丸ノ内郵便電信局」が1902年(明治35年)より三菱合資会社の無償提供で本建物内一室に設けられていました。




建物名については三菱村の建物は当初、建てられた順に「第1号館」「第2号館」などと館名がつけられていました(日本で建物を第(数字)号館などと称したのはこれが嚆矢です)。




しかし、建物が増えるにつれ、これら館名と地番だけでは不便になったため、三菱合資会社では1918年(大正7年)より「地画制」を実施することとし、同社により丸の内東通りと命名された通りに面した本建物は「東9号館」と改称されました。




敷地内には総合デベロッパーの三菱地所が運営する企業博物館「三菱一号館美術館」が設置されています。同館の建物は丸の内最初の洋風貸事務所建築として明治時代に建てられた(旧)三菱一号館を同社がレプリカ再建したものです。




丸の内ブリックスクエア前から丸の内パークビルを見上げて撮影しました。三菱一号館の竣工と同じ1894年、高知藩屋敷跡地に東京府庁舎(のちの東京都庁舎)が完成しました。1914年に三河吉田藩・信濃松本藩の屋敷跡地が東京駅となり、以降1923年に丸ビルが完成するなど、ビジネス街として急速に発展することになります。




丸の内一号館の壁面をそばから撮影してみました。戦前の丸の内では、このような赤レンガ造りのオフィスビルが整然と立ち並ぶ欧米チックな街並みだったのだそうです。




丸の内パークビル前を離れて散策を続けていきます。次回の記事では皇居前広場の敷地に沿って新緑の丸の内のオフィスビル街を眺めながら歩いていきます!!!



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