丸の内地区の西側を通っている日比谷通りを北へ向かって歩き、行幸通り方向へ向かいます。目の前にある建物は「丸の内マイプラザ・明治生命館」です。この建物の西側は、皇居前広場の敷地となっています。
1959年からの三菱地所による「丸ノ内総合改造計画」により煉瓦街は急速に建て替えられ、1970年代前半には建物の高さ(100尺・約30メートル)の揃った近代的なビルが整然と立ち並ぶ街に生まれ変わりました。
鍛冶橋通りと日比谷通りが交差している「馬場先門交差点」前に到着しました。交差点から西側には、綺麗な新緑に覆われた皇居前広場の広大な敷地が広がっています。歩いていて、ものすごい開放感を味わうことが出来ます。
馬場先門交差点から、日比谷通りを大手町方向へ向かって歩き、最終ゴールである東京駅丸の内駅前広場を目指します。周辺には障害物が一切ないので、丸の内や大手町の高層ビル群を見渡すことが出来るのです。
1934年(昭和9年)に竣工した「明治生命館」の建物の全景です。太平洋戦争後は、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)に接収されました。アメリカ極東空軍司令部として使用され、対日理事会の第1回会議は明治生命館2階の会議室で行われました。1956年(昭和31年)にアメリカ軍から返還されたのです。
交差点の北側には「皇居前広場・馬場先濠」の広大な水面が広がっています。日比谷通りは馬場先濠の水面に沿って南北方向に伸びている大通りです。濠の周辺も新緑に覆われていて、すごく綺麗でした。
日比谷通りの地下には東京地下鉄千代田線と、東京都営地下鉄三田線の2路線のトンネルが並行して通っています。馬場先門のある場所には千代田線の二重橋駅が設置されています。都営三田線に乗るには、この北側にある大手町駅まで歩かなくてはいけません。
交差点前から振り返って南方向を撮影してみました。手前側から帝国劇場が入っている帝劇ビル、第一生命館の建物が並んでいます。その更に奥には内幸町地区の帝国ホテルの高層ビルも小さく見えます。
馬場先濠には、馬場先門と称された枡形のある濠に面した城門、江戸城三十六見附のひとつがあったのですが、明治39年(1906年)に枡形が撤去されました。
濠の水面の西側には江戸城時代の石垣が残されています。石垣の向こう側は、皇居前広場を見学に来る観光バスのための大型駐車場として整備されています。
日比谷通りの歩道はそんなに広くはないですが、人通りもほとんどないに等しいので、気楽に歩くことが出来ます。皇居周辺に多いランナーの人たちは、日比谷通りよりも更に内側を通っている内堀通りの歩道を走る傾向が強いです。
日比谷通りに沿って建ち、東京駅丸の内駅舎を思わせるような壁面のこの高層ビルは三菱地所所有の「岸本ビル」です。丸の内地区には丸ビルのような200メートルクラスの高層ビルだけでなく、このような中堅クラスのオフィスビルも多いのです。
皇居前広場周辺の大通りの歩道には柳の木と、イチョウの木が一緒に植えられている箇所が多いです。どちらも綺麗な新緑に覆われていました。
新緑の柳の木々を眺めながらしばらく歩いていると、前方に馬場先濠の終わりが見えてきました。
東京駅丸の内駅前広場から皇居前広場まで一直線に伸びている「行幸通り」前に到着しました。行幸通りのイチョウ並木も綺麗な新緑に覆われていました。次回の記事では行幸通りを歩いて丸の内駅前広場へ向かいます!!!