緑には、東京しかない

千葉県の東京寄りに住んでいる私「緑」が大好きな東京の散策写真のブログを作ります!!!

9月下旬の北習志野駅周辺のベッドタウンを散策する PART1

2013年09月25日 10時48分10秒 | 船橋・習志野


9月下旬の平日、東葉高速鉄道の北習志野駅にやってきました。東京都心部までやく35分でアクセスすることが出来、標高30メートル前後の高台の丘陵地帯の中に造成されている北習志野のベッドタウンの中を散策していきます。




北習志野駅は以前は新京成電鉄の駅だけであり、東京方面へ出るには新京成線で津田沼まで出る必要があったのですが、1996年(平成8年)に東葉高速線が開業し、東京都心部までダイレクトにアクセスすることが出来るようになりました。




「北習志野」という駅名や地名ですが、ここは習志野市ではなく、船橋市の東部に広がっている広大な「習志野原」の丘陵地帯の中央に位置しています。平坦な高台地帯の中に良質な住宅地が整備されています。




新京成電鉄の北習志野駅は地上部に設置されていますが、東葉高速線の北習志野駅は地下のかなり深い場所に駅ホームが設置されています。東葉線が開業した1990年代の時点で駅周辺は開発がかなり進んでいたので、地下にトンネルを掘るしかなかったということです。




平日の午後の時間帯の北習志野駅の駅前広場を撮影してみました。朝や夕刻の通勤ラッシュの時間帯は多くの人たちで混雑していますが、昼間はこのように閑散としていて、典型的な東京のベッドタウンの風景となっています。




2012年8月に「エキタきたなら」と言う名前の商業ビルが完成し、駅のイメージが大きく変わりました、以前の北習志野駅は、古めかしい駅舎と歩道橋しかなかったのです。




商業ビル内にはレストランや居酒屋、銀行、駅前保育園などの施設が入居していて、駅周辺の住宅地から東京方面へ通勤している人たちに便利な施設が多く集まっています。




駅前広場の北側には2009年1月末に開業した「北習志野駅前ビル」が建っていて、この商業ビルの開業と同時期に、新しい北習志野駅舎も供用が開始されました。




駅前ロータリーの中などは以前からほとんど変わっていないようでしたが、駅前広場を取り囲むように、駅舎や商業ビル、商店街をつなぐようにペデストリアンデッキが整備されています。




北習志野駅と、駅前商店街を結んでいるペデストリアンデッキは昼間でも地元の人たちが多く歩いていて、地上部には人の流れはほとんどありませんでした。




平日の昼間であっても人通りが意外と多いペデストリアンデッキを散策していきます。北習志野駅前ビル内にはセブンイレブンやサイゼリア、携帯ショップ、マツモトキヨシ、マクドナルドなどの店舗が入居しています。




北習志野駅から東方向(習志野台方向)に向かって駅前商店街が伸びているので、少し散策してみたいと思います。




ペデストリアンデッキは北習志野駅前商店街の入り口まで設置されていて、駅前の道路を渡らなくてもいい構造になっています。




北習志野駅舎と「エキタきたなら」の全景を撮影しました。地上3階建て、敷地面積は5809平方メートル、延べ床面積は1889平方メートルであり、駐輪場45台分を備える商業施設であり、20店舗が入居しています。




駅前ロータリー周辺の建物や店舗などは以前とほとんど変わっていません。千葉銀行習志野台支店の店舗も以前のままです。




北習志野駅周辺は二つの大きな商店街があり、一つは東方向(習志野台方向)へ向かう「JuJuきたなら商店街」と、こちら北方向(高根木戸方向)へ向かう「北習志野エビス通り商店街」の二つです。




次回の記事では「JuJuきたなら商店街」を少し散策してみます。



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9月の神宮外苑:観音橋からJR千駄ヶ谷駅まで PART2

2013年09月24日 18時25分46秒 | 淀橋台・新宿


国立競技場と都立東京体育館を結んでいる歩道橋の上から、外苑西通りを見下ろして撮影しました。外苑西通りの東側(国立競技場側)には「明治公園」の緑地帯が広がっています。




新宿御苑の緑地帯を源流に流れる「隠田川(渋谷川)」の渓谷地形に沿って、外苑西通りは通っています。1964年10月に開催された東京オリンピックのために開設された経緯があります。




一度都立東京体育館の敷地の中を通り、JR千駄ヶ谷駅方向へ向かって散策を続けていきます。




歩道橋の上から振り返って新宿区・霞ヶ丘町の丘陵地帯を撮影してみました。高台の上には明治公園の緑地帯と、国立競技場の巨大な建物が広がっているのが見えました。




都立東京体育館の敷地の北側の道路に沿って歩いていきます。この場所に都営大江戸線の国立競技場駅の駅施設が道路の真下に埋まっています。




しばらく歩くと都立東京体育館の正面広場前にやってきました。1990年(平成2年)に老朽化に伴うリニューアル工事が行われたそうですが、そろそろ2回目の改修工事が必要な雰囲気になってきましたね。




隣接している国立競技場が2020年の東京オリンピックに合わせて1300億円かけて改修工事が行われるそうなので、一緒にこちらも改修してしまえばいいのに…。




今回の神宮外苑散策の終点であるJR千駄ヶ谷駅に到着しました。東京都心部と新宿副都心の中間点にあるこの千駄ヶ谷駅ですが、そんなに大規模な造りの駅ではありません。




千駄ヶ谷駅に停車するのはJR中央緩行線だけで、中央快速線はそのまま通過していきます。お隣のJR信濃町駅と同様に、平日の昼間でもゆったりとした雰囲気に包まれています。




ちなみに千駄ヶ谷駅は新宿区にあるイメージが強いですが、実際には渋谷区内にあります。日本人で「将棋」に興味のある人ならば、結構有名な駅なのかもしれません。駅から少し離れた場所には「将棋会館」と言う建物があるそうです。




そんなに広くはない駅前広場から振り返って見ると、都立東京体育館の巨大な建物が見えました。東京体育館や国立競技場、神宮球場などの最寄り駅となっています。




千駄ヶ谷駅の構内には、1963年(昭和39年)10月の東京オリンピック開催時に設置された臨時ホーム(現在は不使用)があります。2020年の東京オリンピックでは、もしかして使用される機会が再びやってくるのでしょうか?




千駄ヶ谷駅舎や駅前広場の上には、首都高速4号新宿線の高架橋が通っています。世界一の巨大ターミナルである新宿駅から2駅しか離れていない場所にあるのですが、のどかな雰囲気に包まれていました。




先程まで散策して来た明治神宮外苑や、駅の北側に広がっている新宿御苑、少し離れた場所にある赤坂御用地など、東京都心部の中で最も緑に囲まれている場所にある駅です。




千駄ヶ谷駅から緩行線に乗車して、新宿駅方向へ向かいました。これで9月の神宮外苑の散策は終わりです。



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9月の神宮外苑:観音橋からJR千駄ヶ谷駅まで PART1

2013年09月23日 11時16分41秒 | 淀橋台・新宿


外苑西通り・観音橋交差点から、JR千駄ヶ谷駅へ向かって散策を続けていきます。交差点の周辺は丘陵地帯の地形となっていて、閑静な住宅街が何処までも広がっていました。




外苑西通りが通っているルートは、かつての「隠田川」(下流部で「渋谷川」と名称を変える)が流れていた河床部であり、この交差点の場所には「観音橋」と言う名前の橋が架橋されていました。




国立競技場の敷地の西側を通っている「外苑西通り」を北へ向かって歩いていきます。その名前の通り、明治神宮外苑の緑地帯の西側を通っている通りとなっています。




「東京体育館交差点」前に到着しました。国立競技場の敷地部分は新宿区のエリア内ですが、この界隈は渋谷区の千駄ヶ谷一丁目地区となっています。




外苑西通りの正式名称は「東京都道418号北品川四谷線」と言います。東京都品川区と新宿区を結ぶ特例都道で、外苑西通りに該当する区間は環状4号線に属しています。




東京体育館前交差点から千駄ヶ谷方向(西側)へ緩やかな坂道が伸びていました。坂上周辺は千駄ヶ谷地区の閑静な住宅密集地が広がっているようですね。




しばらく歩いていると、遠くに「東京体育館」の建物が見えてきました。




この東京体育館の敷地の裏側にJR千駄ヶ谷駅が設置されていますので、体育館の敷地を回り込むように散策を続けていきます。




しばらく歩くと国立競技場の「千駄ヶ谷門」前に到着しました。JR千駄ヶ谷駅や都営大江戸線・国立競技場駅にもほど近く、この門が国立競技場のメインエントランスの役割を果たしています。




大会時には選手や関係者の人達のメイン入場口となります。千駄ヶ谷門周辺には工事用のフェンスが設置されていて、これから工事が始まるのかもしれません。




「東京体育館」は国立競技場に隣接して建っている都立体育館であり、1954年4月に旧・葵会館の跡地に建設されました。1964年10月の東京オリンピックでは、メインアリーナが東京オリンピックの体操競技、プールが水球競技の会場として使用されました。




外苑西通りを跨ぐ歩道橋が架橋されていたので、階段を上って歩道橋の上から東京体育館の敷地を撮影してみました。




建物の延べ床面積は約3220平方メートル、建物の高さは約27メートル、収容人数は10000席(固定:6000席、仮設:4000席)の規模を誇っています。




歩道橋の上から外苑西通りを北方向(新宿御苑方向)を撮影してみました。外苑西通りの両側は9月らしく、鬱蒼とした濃い緑に覆われていました。




手前側には首都高速4号新宿線の高架橋と、JR中央快速・緩行線の線路が通っていて、その後ろ側には新宿御苑の広大な緑地帯が広がっているのが見えます。



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9月の神宮外苑:神宮球場、国立競技場周辺を散策する PART3

2013年09月22日 09時14分10秒 | 淀橋台・新宿


国立競技場の青山門から、代々木門方向へ向かって散策していきます。青山通り(国道246号線)から千駄ヶ谷駅方向への抜け道だからでしょうか、意外と交通量が多かったです。




国立競技場の南側にある「霞岳町交差点」にやってきました。この交差点を右へ曲がって外苑西通り方向へ向かいます。片側2車線の道路の両側には広々とした歩道がしっかりと整備されています。




交差点脇には、ホテルやホールなどを備えた複合施設である「日本青年館」のオレンジ色の壁面のビルが建っています。




この交差点は坂上になっていて、ここから外苑西通り(新宿御苑から流れている隠田川)の渓谷へ向かって緩やかな下り坂がまっすぐ伸びています。




明治神宮外苑のこの一帯は、正式名称は「新宿区・霞ヶ丘町(かすみがおかまち)」といいます。国立競技場の正式名称も「国立霞ヶ丘陸上競技場」となっていますが、マイナーな地名ですね。




霞ヶ丘町は、新宿区の最南部に位置していて、明治神宮外苑が町域の大部分を占めます。町域北部はJR中央快速・緩行線の線路を挟んで新宿区大京町及び信濃町に接し、北東部は新宿区南元町に接しています。




「霞ヶ丘町」の地名の通り、この界隈は(隠田川・外苑西通りの低地から見て)山の手の高台の地形の上に広がっていて、神宮外苑の緑地帯も高台の地形に沿うように整備されています。




緩やかな坂道をしばらく歩いていると、道路の両側がタクシー乗り場の様相を呈してきました。そして道路の反対側を眺めてみると…。




国立競技場の「代々木門」前に到着しました。JR千駄ヶ谷駅や都営大江戸線の国立競技場駅前にある千駄ヶ谷門や、地下鉄銀座線の外苑前駅にほど近い青山門と比較すると、周辺に鉄道駅は無く、一番不便な場所にある門です。




何と門が開いていて、敷地内に入ることが出来るみたいです。少し敷地内に入って見ることにします。




国立競技場の壁面は高さは約50メートル程あり、実際に見上げてみるとものすごい大規模な施設であることが解りました。




国立競技場の敷地内を巡るツアー客の人たちらしき姿を見かけました。




敷地内に建っているインフォメーションセンターの建物周辺では、工事用のフェンスが組まれていました。早速東京オリンピックに向けての工事が始まりつつあるのでしょうか?




代々木門を出て外苑西通り「観音橋交差点」にやってきました。かつてこの低地には隠田川が流れていて、「観音橋」と言う名前の橋が架橋されていたことを示しています。




外苑西通りに沿って散策し、JR千駄ヶ谷駅へ向かいます。観音橋交差点から西方向へ向かっては「観音坂」と言う名前の坂がまっすぐ伸びています。



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9月の神宮外苑:神宮球場、国立競技場周辺を散策する PART2

2013年09月21日 09時58分12秒 | 淀橋台・新宿


2020年に開催される東京オリンピックのメイン会場として改修工事が実施される国立競技場を撮影しました。1964年の東京オリンピックのメイン会場にも使用されたことで有名ですが、普段はこのように閑散としています。




9月中旬の散策だったので、神宮外苑の緑地帯の中は、鬱蒼とした濃い緑に覆われていました。




国立競技場の敷地の外苑総合グラウンドやイチョウ並木道側に設置されている「青山門」の全景を撮影しました。国立競技場にはこのほかに「代々木門」「千駄ヶ谷門」の二つがあります。




建築面積33700平方メートルを誇る国立競技場、一枚の写真では入りきらないほど巨大な構造物となっています。




敷地面積は約71700平方メートル、スタンド面積は約25300平方メートル、収容人員は54224名となっています。




青山門前から聖徳記念絵画館や外苑総合グラウンド方向を撮影してみましたが、広大な緑地帯が広がっているようにも見えますね。




大会などのイベントが開催される時には多くの見物客で賑わうのだそうですが、何もない日にはゲートも固く閉ざされていて、閑散としていました。




2020年に開催される夏季オリンピックが東京で開催されることが決定し、国立競技場は約1300億円の予算をかけて宇宙船のようなデザインの新国立競技場に生まれ変わることになります。




ゲートの上部には「国立競技場 青山門」の文字が打ちこまれていました。これは戦前の時代から残っているのでしょうか?




「国立霞ヶ丘競技場」は陸上競技場をはじめとして、秩父宮ラグビー場、体育館、水泳場、トレーニングセンター、テニス場の設備群から成り立っています。




この場所にはかつて、1924年(大正13年)から1956年(昭和31年)まで存在していた「明治神宮外苑競技場」でした。日本初の総合競技大会である明治神宮競技大会の他、出陣学徒壮行会に使用されました。




戦後は、1958年のアジア競技大会開催が決定し、現在の国立霞ヶ丘陸上競技場に建て替えることが決まったことから、明治神宮外苑競技場は解体されました。




国立競技場の周囲を通っている道路を歩き、「代々木門」方向へ向かっていきます。




1964年の東京オリンピックでは陸上競技場がメインスタジアムとして陸上競技、サッカーの3位決定戦と決勝戦、および馬術競技の大賞典障害飛越が、ラグビー場ではサッカー競技が実施されました。




近いうちに改修工事が始まるかもしれないので、現在の姿を見ることが出来るのは今だけなのかもしれないですね。



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