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江戸城・本丸御殿の建物跡地に広がっている高台広場の散策道をしばらく歩いていると、前方に天守の在座跡地が見えてきました。天守の跡地は展望台が整備されているので、行ってみましょう。
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江戸城の本丸御殿や天守と、当時の政治の中枢の中を散策していきます。江戸時代においては江城(こうじょう)という呼び名が一般的だったと言われていて、また千代田城(ちよだじょう)とも呼ばれていたそうです。
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先程通り抜けてきた「大手高麗門」の南東側に建っているパレスビル、パレスホテル東京の高層ビルをズームで撮影しました。この高台広場の標高は約15メートル前後です。
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江戸城の跡地に整備されている皇居東御苑の敷地内は非常に起伏のとんだ敷地が広がっていますが、これは自然にできた地形ではなく、江戸時代の初期の土木工事によって完成した地形なのです。
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徳川家康が関東に入る以前は「太田道灌」という地方豪族が築いた江戸城が存在しましたが、その旧江戸城は厚さ約30メートルの土砂の底に眠っていると言われています。
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現在の東京駅や日比谷公園、丸の内の高層ビル街を始めとして江戸時代初期は「日比谷入江」と呼ばれる湿地帯であり、その湿地帯の中に旧江戸城が構築されていました。
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天下を掌握した徳川家康は「天下普請(てんかふしん)」と呼ばれる大がかりな土木工事を全国の大名にやらせて地形そのものを改変することにしたのです。その結果、日比谷入江は埋め立てられて江戸城の敷地の一部となりました。
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太田道灌時代の江戸城は一体どこに埋まっているか?は長い間謎だったのですが、一説によると東京地下鉄東西線竹橋駅の地下約30メートルの地中に埋まっているのだとか…。
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東京地下鉄東西線大手町駅と直結している工事中の高層ビル「東京プライムステージ・大手町タワー」を真正面の位置から撮影しました。周囲の高層ビルと比較すると最も高い建物であることが解ります。
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現在の高層ビル群が広がっている丸の内・大手町は江戸城の敷地の一角であり、「大名小路」「大手前」という名前が付けられていました。江戸城が拡張された際には新たに外堀が作られ、外堀であったものが内堀となったため、御曲輪内(おくるわうち)と呼ばれるようになりました。
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親藩や譜代大名の藩邸が24あったため「大名小路」とも呼ばれた。敷地内には南北町奉行や勘定奉行の奉行所、評定所も置かれていました。
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「本丸天守台」前に到着しました。多くの観光客の人たちが展望台から周辺を眺めているようでした。
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本丸天守台前から振り返って高台広場全体を見渡してみました。この広場全体が本丸御殿の敷地が広がっていたのですが、天守と共に現在は残ってはいません。
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本丸天守台の展望台へあがる坂道の途中から振り返って本丸御殿の高台広場を撮影しました。標高約15メートル前後の高台が南北方向に伸びていて、木々に隠れてわかりにくいですがその後ろ側は断崖絶壁となっているのです。
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断崖絶壁の奥が標高5メートル前後の丸の内・大手町のビジネス街が広がっています。そもそも目の前に広がっている高層ビル群のある場所は、江戸時代以前は東京湾に旧・神田川が流れ込んでいる海辺だったのです。
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天守跡地の展望台を見渡した後は本丸跡地の広場の北東側から二の丸庭園へ降りることが出来る「汐見坂」を散策してみたいと思います。
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