広瀬神社へ。
広瀬神社 一の鳥居 長い参道
2の鳥居 広瀬神社 拝殿
崇神天皇の頃の創建と伝わる広瀬神社 水の神を祀る。
今日は、境内で砂かけ祭りとして有名なお田植祭りが行われる。砂かけ祭りは初めてだ。
「砂がかかるで~」と来たことのある夫がいうので、フード付きのレインコートを着てきた。
今は舞台で河合町のマスコットキャラクター「すな丸君」も加わって余興をやっているようだ。
境内は四方に青竹を立てた四角い砂場が準備されている。
ここはたんぼに見立てられ、お田植祭りが行われる場所だ。
開始は午後2時から。まだだいぶ時間があるので、周辺を歩くことにした。
参道の途中から出ると不毛田川(ふけたがわ)にかかる太鼓橋(広瀬橋)がある。
あ、ここ来たことがある。「川の合流点」を見に来た時にこの辺も通っているのを思い出した。
(去年2月16日に来たのに、雰囲気が違うからか境内へ入ってもわからなかった・・)
橋を渡って集落の方へ。
水分社 社は小さいが持統天皇5年の創建らしい。
右)左に折れてすぐにあったこじんまりしたお寺 定林寺
聖徳太子創建の大伽藍であったとか。今日は仏像を公開していたらしい。残念ながら後で知った。
川合町道路元票 集落の中心部に作られたものだと前に教えてもらった。
右)少し遠くに大きな木がある小山は前来た時行った「大塚山古墳」だ。
向こうから登って、降り口のないこちら側へ降りたことも思い出した。
一回りして広瀬神社に戻ってきた。
いよいよ「庭上の儀」といわれる「砂かけ祭り」開始。。
すでに「田んぼ」の周りは人で埋め尽くされ、入り込む余地なし。
遠巻きにいるので中で何をやっているのかも見えない。
鋤などを持った田男と牛役が「苗代づくり」1たん退場して「籾播き」
その後「苗代づくり」などをするらしい。
その都度、太鼓の合図の後に鋤で砂をすくって参拝者に撒き散らす。
様子がわからないうちに、雨上がりで湿った砂を思いっきりかぶってしまった。
逃げる参拝者。負けじとこちらからも砂をかける人・・大混乱。後方で見ていても砂が飛んでくる。
この砂かけが盛んなほど、雨に恵まれ豊作になると言われている。
近くの子供たちは慣れたもので、雨カッパに水中眼鏡など装備もばっちり。
合間に後ろで砂団子を準備したりして楽しんでいる様子。
騒然として前の客がばらけ、やっと田男(左)や牛(右)を見ることができた。
そのうちに、それぞれの所作を田んぼの縁にそって行い、一巡した時に太鼓がなって、砂をかけるという段取りになっていることがわかり、逃げるタイミングもわかってきた。
「砂が頭上を飛び交い人が逃げまわる」そんな迫力ある写真を撮りたいものだが、砂が怖くてカメラは出せない。
テレビカメラのある高い場所にも遠慮なく砂が飛んできていた。
その後、砂が均された田んぼに2人の早乙女が登場して、稲の苗に見立てた松葉の束を砂の田んぼに置いて(植えて)いく。
これで田植えは終わり。と思ったら、見物客が我先にと田んぼに植えた松葉を取りに行く。
きょろきょろしている間に稲苗は売り切れ。
最後に櫓の上から御供播きが行われ、松葉の束(稲)と田餅(餅を小さい板状に切ったもの)が撒かれた。
何とか餅2枚拾った。松葉は拾った友達がおすそ分けにくれた。
田餅は無病息災 松葉は水田の水口に刺すと田の守りとなるそうだ。