「よう歩かんからお前行ってこい」というので、夫の代理で史跡巡りに参加。
案内では約14㎞になっている。
橿原神宮駅東口前は人でいっぱい。参加者は100人ぐらいはいたのでは?
参加者が多くて説明が聞けない。講師がどこにおられるのかもわからない。
ラジオのFM放送で話を聞くことになっているようだったが、よく聞こえましたか?との問いにあまり聞こえないと言ってた人もあった。
歴史音痴の私は聞きかじりと資料とでなんとか理解しようと思ったが、ちょっと無理。
いつものことながら、正確性は??の記事になっています。
「神名火」時によって甘南備 甘南備 神奈備などの表記もあり「かんなび」と言われるところはいくつもある。
今日は、諸説ある「飛鳥の神名火」候補地を中心に歩くらしい。
万葉集には「飛鳥の神名火」と特定できるものは13例あるそうだ(資料)
里に近い山である。飛鳥を展望できる。近くに川がある。人の利用や古墳などがない・・等々の条件を満たす所。
雷丘~飛鳥坐神社・飛鳥山口神社~酒船石遺跡~ミハ山~飛鳥稲渕宮殿跡~坂田寺址~都塚古墳~石舞台古墳へと歩く。
雷の丘に登る。大勢が1列で登るので時間がかかる。 香久山が見える。
「ちいさこべのすがる」の説話の残る「雷の丘」も神名火候補の1つ。
でも規模が小さすぎる。
飛鳥坐神社へ。 拝殿
飛鳥坐神社の境内にある飛鳥山口神社 元は飛鳥坐神社とは別だったらしい。
飛鳥坐神社は天長6年(829)に賀美郷甘南備山から鳥形山(飛鳥池遺跡の西にある丘陵「ミノヤブ」)に遷座し、元禄11年(1698)に現在地に遷された(資料)
そのことから、本来鎮座していた甘南備山が古代の「飛鳥の神名火」の可能性がありそう。でもそれがどこなのか?
飛鳥山口坐神社は元は飛鳥山裂谷(酒船石もある丘陵・天神山の南側に入り込む「酒谷」)から宝暦元年(1751)現地に鎮座。 しかし、酒船石遺跡は人工的に築かれた丘陵なので、古代神名火説の可能性は低いらしい。
鳥形山・ミノヤブ 裂谷 酒谷・・資料に図を付けてくれてあるが、頭の中はついていけなくなった・・
万葉文化館の丘陵の裾の水路。
「これも狂心渠だ」と写真を撮っている男性が言う。へえ~、そうなの?
万葉文化館前から山手へ登る。
酒船石 酒を造ったとか、祭祀用とか、庭園施設などともいわれる飛鳥の謎の石の一つ。
右)下ると、酒船石遺跡 H4年に発見された石垣の一部。
天理から運ばれた石を積み上げて「石の山」を作ったという(日本書紀)。
飛鳥宮址(伝飛鳥板蓋宮址) 皇極天皇が営んだ飛鳥板蓋宮 後の舒明天皇・天武天皇などの複数の宮跡が重なっている。
広い地の一角に復元された大井戸の遺跡がある。 右)建物跡も。
ここでお弁当。
ここからは周囲の山が見渡せる。
すぐそばに甘樫丘(神名火説あり) 東には岡寺山(ここも神名火説あり)
飛鳥を見下ろせた甘樫丘や形の整った岡寺山付近にも「神名火」の説があるそうだ。
・・が、甘樫丘には蘇我氏の邸宅?倉庫?の建物がある。
古墳や邸宅などの利用は神聖な神名火には当てはまらない?
岡寺山は姿も美しく、条件にはかなり当てはまるらしいが、飛鳥時代から岡寺などの土地利用がされ、古墳もあるところから、ここも神名火とは言えない?
岡寺山も行く予定になっていて、行ったことがないので楽しみにしていたが、時間が押してきて省略された。
でも、岡寺の手前までの予定だったらしく、それならいいや・・と。
もっと山の上まで行けるのかと思った。登る道はあるのかな?
石舞台の近くからミハ山へ。俗にふぐり山ともいわれる山。
標高216m ミハ山へ直登。急な階段を上り尾根道を進むと大岩がごろごろしたところ、磐座がある。
ミハ山は飛鳥の神名火の最も有力な候補らしい。
飛鳥を見渡せ、川が近くを流れ、古墳などもなく・・条件にかなうらしい。
一つ問題なのが「飛鳥の範囲」だというのだ。
香久山の南、大官大寺から南、島之庄から橘寺付近より北で飛鳥川右岸・・という狭い範囲が「飛鳥」だという説があり、そこには該当しないというのだ。
でも「飛鳥」をもっと広く考えることもでき、それならミハ山が「飛鳥の神名火」の条件に合うとのこと。
飛鳥の範囲に「狭い・広い」の考え方があるのは初めて知った。
この後、坂田寺跡、都塚なども見て石舞台古墳で一時解散となる。
甘樫丘を通って橿原神宮前駅まで歩く方たちと別れて、私は石舞台からバスで帰った。