息子と午後から聖林寺から旧道をたどって倉橋のため池へ。
得意の旧道歩き、寄り道歩き、気まま歩き・・
元小学校の校舎をそのまま利用している工場
前に教えてもらって感動したが、何回見ても感動ものだ。
元倉橋小学校 明治の頃~昭和32年に初代多武峰小学校と統合し廃校になる。
校舎はそのまま工場として使われ、運動場の跡に工場の建物が建つ。
建物は繋ぎを入れてコの字型になっている。「棟の端」や「下がり棟」の端などにある瓦がすごい!
右)棟の端の瓦には「小學校」 下がり棟の端(手前)の瓦には「學校」の文字。
見えにくいが、右の隅の樋の飾りには鳳凰が浮き出している。
他にも「倉橋學校」 「學」の字の瓦
4種類見た瓦、1枚1枚デザインが違い、その装飾性がすごい!
それが昔から変わらずそのまま使われているのもすごい!
元粟原小学校の屋根にも似たような瓦を見たが(1枚だったと思う)、文化財などに指定されているんだろうか?
ぜひ、残してほしいと思う。
寺川 まるで渓谷のような岩盤 息子は川の向こう岸の石碑が気になると、藪をくぐって見に行く。
砂防関係の石碑らしかった。
崇峻天皇 倉梯岡陵 トガサワラ マツグミが寄生している。
福祉センターのあるあたりは先ほどの崇峻天皇の都があったという「倉梯 柴垣の宮」の伝承地
二上山が見えた。
右)周辺から集められたと思われる地蔵石仏などが並ぶ。この内3つが地蔵道標といわれるもの。
倉橋溜池へは旧道を通っていく。旧道入口には道標が2つ立っていた。こんなところから行けるの?
右)山すそ道を通って倉橋溜池の畔に降りる。
息子が言うには「明治の頃の地図にはまだ溜池はない」そうなので、もう少し後にできたのだろう。
ここへは来たことがあるが、右手の方を通ったので、通ったことのない左回りで1周することにした。地図では右から下側周り。
湖面は周りの山影を映して静か。時々ウォーキングの人が通るぐらい。
水鳥の姿もなく、花時でもないのでウォーキングに徹する。
溜池は山の地形から入江状に入り組んでいる所もある。
だいぶ歩いた頃、水鳥の姿が見えた。
最初コガモの群れかと思ったが・・私の大好きなヨシガモの群れだった。
雌雄のつがい 日が当たるときれい~男前!
ダムの堰堤の近くへ来た。
倉橋ダム堰堤から下を見る。 「古墳慰霊碑」「慰霊碑」などが建つ。
古墳慰霊碑って何だろう。近くには溜池に貢献した人の顕彰碑もたっていた。
倉橋溜池
『昭和10年ごろ、関係市町村の有志により干ばつ対策として溜池の造成が始まり、戦争あって。昭和32年に完成した。その後、防災ダムとして整備され、平成17年、倉橋ふれあい公園として整備された』
集落を通り、溜池を1周して元の場所へ。約1時間の周遊路歩きだった。
帰りも違う道を通って聖林寺の近くに戻る。
行きたいところを歩き、見たいところではゆっくりと・・気まま歩きは大好き。
午後からのスタートだったが、7キロ余り歩いた。