橿原神宮
橿原神宮 深田池 ほとんど ヒドリガモ 中に オオバン 混じる。
私たちを見つけてわ~っと集まってきたヒドリガモ。
向こうに餌をくれる人を見つけると、たちまち方向転換向。
池の西の方にはマガモが群れていた。
相変わらずのカワウの糞害
西の神門を出て、安寧天皇陵の近くを通り、高取川へ。
高取川沿い
桜並木の下にクコが実を付けていた。
畑に植えてあったロマネスコ
ブロッコリーやカリフラワーと同じアブラナ科の作物
店で売られていることもある。
向こうに新沢千塚古墳群が見えてきた。
600基ほどの古墳が集まっていてぼこぼことこぶのように見える。
古墳群の中の遊歩道を歩く。
ナナミノキ 果実が残る。
うっとおしいながら雨も降っていないので外で弁当
午後からは、室内で講義「橿原の遺跡からわかる自然環境」を聞く。
地球は約10万年周期で氷期・間氷期を繰り返している。
約1~1.2万年前に氷期から間氷期に入っている。
縄文時代早期~中期中頃までには、温暖化により、陸地に海が侵入「海進」。
中期後半には、寒冷化による海岸線が海側へ後退「海退」が起こった。
海進による河川の下方浸食「下刻」。氾濫による土砂の堆積「充填」の繰り返しにより、安定した平地や森林が形成されてゆく。
縄文時代初期、人々は、集落周辺の原生林で植物を採集したり、狩りをしたりの生活。
縄文時代後半になると、低地部に住むようになる。
次第に集落周辺に実を食べられる木を植えたり、手を入れて環境を変えてゆく。
橿原市の観音寺本馬遺跡
『橿原市観音寺から御所市本馬にかけて所在する縄文時代~中世にかけての複合遺跡』
この遺跡では「充填」「下刻」の作用による地形が確認できるそうだ。
そして、この遺跡は、通常は常緑広葉樹の植生帯である地域だが、落葉広葉樹が主体となっていて、食用となる多様な樹木(*)の種や実が出土。
そして、遺跡の中の埋没林からは人為的に形成されたとみられる「クリ林」も見つかったという。
*クリ・トチノキ・オニグルミ・カヤ・イチイガシ・アカガシ亜属・コナラ属・ムクノキ・クワ属・サルナシ・ブドウ属・ガマズミ属
自然に生えているのを「取りに行く」から、手近な場所に「植える」そして「栽培する」何とすごい思い付きだろう。
すごいな。ご先祖様は。
トチノキの実のアク抜きも徐々にできるようになったんだろうか?
毒のあるものもあったはず。
店で売っているものは何のためらいもなく食べている私たちに比べ、毎日スリル満点。命がけの試食もあったに違いない。
それらの積み重ねが今の生活につながっている。
ご先祖様に感謝。