ハイキングの会に直前申し込んで参加。
今日は一気に春が来たような陽気。さわやかな青空でした。
畝傍御陵前駅から香久山を目指す。
本薬師寺跡
持統天皇の病気平癒を祈願して天武天皇が建立に着手された。
完成を見ずに天皇が崩御され、持統天皇が意思を引き継いで完成。
平城遷都に伴って西ノ京へ移築され、ここは元薬師寺と言われる。
(そのまま移設されたのではないとの説もあるらしい)
今まで気が付かなかったが、今ある建物は「白鳳山 医王院」という額がかかっている。
「白鳳山 医王院」の境内に 本薬師寺の金堂の礎石が残る。
・・といえばいいのかな?
東塔跡 心礎 立派な塔だと分かる大きさ。
西塔跡も残っている。
上飛騨町? 岡の麓の鳥居 神社名は書いていない。
近くの道端にあった石。「イナイツカ神社」と読めたので、この神社名かと思ったが、調べても出てこず、地図にあった「八幡神社」がこの神社名なのか?
「イナイツカ神社」って何だろう?
紀寺跡
平城京の紀寺の前身なのか?
紀寺跡から見た香久山
香久山は多武峰、音羽山と続く龍門山塊の一部。
尾根の先端部だが、ここからは独立峰のようなきれいな円錐形に見えた。
法然寺近くのお家の庭先で
満開のソシンロウバイ 紅梅
天岩戸神社 天照大神を祀る。
拝殿のみで、神殿はなく、岩戸隠れの場所といわれる巨石の岩穴をご神体とする。
毎年7本ずつ生え変わるという「7本竹」の伝説もある。
香久山へ。
ここから登るのは初めて。
香久山頂上(152m)に建つ「国常立神社」と境内社 「高龗神社」(竜神)
途中にあった「下の御前 伊弉冊(イザナミ)神社」、そしてもう少し上にあるという「上の御前 伊弉諾(イザナギ)神社」は末社だそうだ。
香久山は「天から降ってきた」という伝承があり、「天」を付けて「天の香久山」と言われる。
万葉集で「天」の美称がつく山は 香久山 だけだそうだ。
下って、万葉の森へ。
梢に白い花?と見えたのはスダジイの葉裏だった。
右、ダイオウショウ 3葉の長い落ち葉があたり一面に散り敷いていた。
先日見ごろだったマンサクは咲ききっていた。
ユリノキやツガなどの木や、万葉歌碑などを見ながら、古池へ。
水が抜かれた 古池
山を抜け、ぐるりと回りこんで・・・
天香山神社(天香山坐櫛真命神社)
御祭神は櫛真命 占いの神
「 波波迦の木(ウワミズザクラ)」
古代より「太占」に使用され、平成・令和の大嘗祭にも、斎田を決める「亀卜」に、この木を献進されたという。
舒明天皇の「国見の歌碑」(やまとにはむらやまあれどとりよろふ・・)」を見て下る。
麓には昔、埴安の池という大きい池があったという。
畝尾都多本神社
哭沢の神社(もり)ともいう。
祭神、哭澤女神は、イザナミの命が火の神 迦具土神を産んで亡くなったのをイザナギの命が悲しんで泣いた涙から生まれた女神だという。
玉垣で囲んだ空井戸をご神体とする。
香久山のあたりはどっぷり神話の世界だ。
藤原宮跡へ。
木立のあたりが藤原宮大極殿跡 そばへ行ってみる。
玉垣があった。
右の石柱には「鴨公神社」、左の石柱は「大禮記念」と読めた。今日初めて気づいた。
「鴨公神社」って何だ? ネットで調べると、ちゃんと出てきた。
「かつて藤原宮の大極殿跡に鎮座したとされる社・・・高殿村にあり、今、大宮と称す。またの名を 鴨公森」との記述があった。へえ~~。
その後、醍醐池の横から耳成へ。
耳成 古池の歌碑を見て、1次解散となる。
ここで帰るつもりだったが、行こうよと誘われ、それじゃあ登ろうか~。
耳成山口神社の参道を登る。
いつも登る楽な道に比べれば距離が短い分、急だ。
耳成山口神社 高皇産霊大神 大山祇大神を祀る。
子連れ狛犬があった。
もうひと登りして・・
三等三角点だ。139,7m
耳成山は畝傍山・香久山と共に、大和三山の1つ。
畝傍山と耳成山は元死火山 浸食や陥没などを経て現在の形になった。どちらも独立峰。
「香久山は畝火ををしと耳成と相争ひき ・・・」の妻争いと言われる中大兄皇子の歌も残っている。
下って、耳成井へ降りてきた。
耳成井(大師井戸)平安時代に空海によって掘られたという。
手前の井戸の蓋を開けるときれいな水が湧いていた。
ここから歩いて八木駅で解散。24312歩 最近では一番歩いた。
ちょっときつかったが、いつもなぜか筋肉痛にはならない。
何度も行っているし、何度も書いているので、だいぶ端折って書いた。
何度も行っている、とはいえ、いくつかの発見もあったので良かった。