昨日と重なる部分はあるが・・今日は健脚ぞろいの仲間入り?
裏道が多くて「列が長くなると道がわからなくなる」というので、ちょっと緊張。
同じ市内なので、どうにかなるか・・と心の中で思いつつ・・
行ったことのないところもいくつかあった。
牟佐坐神社の下にこんな歌碑があったとは知らなかった。
・・というのも、ここから南の方へ歩いたことがなかった。(いつも橿原方面へ歩く)
この歌は柿本人麿が妻を亡くした時の長歌だそうだ。
歌とはいえ、妻を思う人麿の気持ちが胸に沁みる。
「柿本人麿は火の神さんって知ってますか」え~知らない。
「火気の元 火止まる」え~っ。またまた冗談を。
「ほんまやで」あははは・・これだけ覚えたわ。
・・帰ってどこまでほんとなのか調べた(笑)
すると「火の用心」の札に、柿本人麿の絵、その横に「火気の元 火止まる」と書いた札を出しているところがあるじゃないか。へ~~。
ダジャレに乗せられたかと思ったが、そんなところもあるのか~。
しばらく行って、山への長い階段を登る。
中大兄皇子の三山の歌。こんな所にも三山の歌碑があったのか~。
「香久山は畝火ををしと耳成と・・」
額田王を巡って、中大兄皇子と大海人皇子 兄弟による妻争いの歌といわれるが、
これには他にも説があるという。
沼山古墳 ここも来たことがない。
石室を覗く。片袖式の石室。
玄室は正方形で、天井はドーム式の石積みになっているらしい。
副葬品も出土しており、渡来系氏族の墓?とのこと。
山を下って・・
また山への階段 そこから山道・・
益田岩船に到着 花崗岩の巨大石造物
この上部には大きい四角い孔が2つ開いている。
横口式石槨を作りかけて放棄したものとか、占星台、他、諸説あるが、誰が何のために造ったかわかっていない謎の巨石。
以前2回ほど、機会があって石の上に上ったことがあるが、今は「登らないでください」の立て札が・・
下部の切り込みは成形跡らしい。
山を越えて山あいの田んぼに降りた。ほっ。
紅梅が満開だ。
山裾から少し登ったところにあった「梵字阿弥陀如来碑」
新しそうな説明板によると、これは北越智村と西隣の村との境に、江戸時代以前からあったらしく、昔はここに1本松が生えていたそうな。
ここも知らなかった。
長法寺?山門
長法寺? 右手前の石灯籠は鎌倉時代後期のもので「重要美術品」とのこと。
境内はボタンが植えられて花の頃にはよさそう。
わからないのは、ここは「旧長法寺・今は浄国寺」なの??
境内には「天満山長法寺」の説明板がある。 どうなってるのか??
ここは以前来たことがあるが、長法寺としか思っていなかった。
お墓のところを登っていくと・・新沢千塚古墳群に出た。
昨日も来た新沢千塚古墳群
石室を復元したところもある。
ポコポコとこぶのような古墳が連なっている。
600基もあるそうだ。
弁当の後、少し登ってみたが、キリの木の葉痕と冬芽が見れたぐらい。
午後、帰り道、益田池堤跡を見る。
益田池堤跡の上。
平安時代に高取川をせき止めて造られた巨大な溜池は、埋め立てられて白橿ニュータウンが造成され、堤の一部が残っている。
植え込みの中にスズメバチの巣が見えた。
堤跡を出て橿原神宮駅へ。
今日は、知らないところがたくさんあった。
登り下りの多い道を18000歩(昨日は16000歩だった)上り下りが昨日とは段違い。
皆さん平気な顔で歩かれていたけど・・
私、健脚さんについてよく頑張りました。パチパチパチ・・(自分に拍手)