みどりの野原

野原の便り

11月14日 片岡家住宅 入野地蔵尊のイチョウ 吉野川川原 紅葉

2022年11月14日 | Weblog

先日訪れた入野の地蔵尊。
イチョウが黄葉したらどんなに素晴らしい景色になるか。
これを見に行くのが目的だった。

途中で、サプライズタイムがあって(個人的なもの)・・

目的地への途中、いつも道標などを探してあちこち歩き回っている息子が「この奥にすごい民家がある」というので、少し行き過ぎていたが、妹も私も興味があるので「行ったことがない。行きたい!」となって、引き返してもらった。

片岡家住宅
山手に、石垣から生えた大ケヤキが見えた。

向こうの下から登ってきた。 
ケヤキの古木に圧倒される。(写真が白飛びして・・残念)

本当は予約が必要だったが、突然の訪問を快く迎えてくださった。
協力金をお渡ししてお邪魔する。

片岡家住宅
田原村庄屋、続いて大庄屋を勤め、郡山藩領~徳川藩領(天領)となり、明治以降も戸長や村長を務められた家柄。
古文書がたくさん残っているのも特徴で、建物の建築年代などが明確で、屋内の改変も少なく、保存状態が良い。
主屋(1961年)・客室部(1961年)・長屋門(表門)(1980年)は、国指定 重要文化財となっている。
主屋・表門は解体修理もされた。

表門(長屋門)1832年(天保3)の建築。


主屋 片岡家住宅 1670年(寛文10年)建築の記録が残る。
この茅葺の分厚いこと。 


玄関を入るとすぐ右側に家畜小屋とわかる造り。
馬小屋だそうで、お殿様などの来訪時は馬を利用されたとか。
家族の暮らしのそばで、馬も家族の1員だ。


続いて、かまどのある「たなもと」台所。かまどは昔の形に復元。
土間はたたき。このしっとりした感じ、なつかしい。


左側にはリビングのような部屋や座敷。


座敷の玄関?は、客が庭に降りなくても籠から乗り降りできるように「式台」付き。


庭にある仕切りのような塀の向こうは「客室部」


奥座敷 1650年(寛永末)頃の建築 茅葺に瓦屋根が付く。
当時の領主であった郡山藩本多内記政勝の要請により建てられた。
狩猟に来る時の宿泊や休憩に用いられたそうだ。
屋根の「本」は本田氏を表しているらしい。

1782年(天明2)増設された6畳床付きの玄関が付く。


奥座敷 8畳床付き。
弓矢・槍などの備え。
廊下は「鴬張り」(復元がむつかしく今は鳴らない)
座敷の奥には、賊の侵入に備えてお供が控える「秘屋」と呼ばれる6畳半の部屋。
奥座敷には2重3重のセキュリティが施されている。


花狭間欄間 花模様の透かし彫り。

奥座敷は本田氏が江戸へ転勤になり払い下げられたとか。

片岡家には室町時代以降の膨大な文書(片岡家文書 13000点を超える)が残る。
先代当主は研究熱心な方で、独学で古文書を読み解き整理分類されたのだそう。


先代(20代)の研究の新聞記事


宇陀市教育委員会がまとめた「片岡家文書調査報告書」
持ち上げるのも重いほど分厚い。

文書も価値が高く、奈良県指定文化財(古文書)に指定。

お話の中で、先日も訪れた安堵町の「中家」とはご兄弟とのことで、びっくり。
大庄屋時代は9つの村を束ね、その範囲は津風呂湖のあたりまでだったとか。
茅葺屋根は「次の葺き替えの時はどうするか・・」
茅葺の維持は、どことも心悩ませておられるようだ。

思いがけず、素晴らしい住宅に出会えた。

片岡家を後に、入野地蔵尊へ。


地蔵堂。色づいたイチョウが輝いている。
でも下枝はまだ緑葉のところも残る。

さあ、お弁当はどこで食べようか。
吉野川周辺を走ってみる。
景色の良い所はあるが、川原へはなかなか降りる所がない。


ツタの紅葉


橋のそばのモミジの紅葉

やっと、小さな階段のついたところを見つけ、降りる。


傾いた岩脈


人っ子ひとりいない川原で山の紅葉を見ながら、遅い昼食を済ませ、家に帰路につく。

コメント
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