日本書記講座
いつもの通り、自分なりに整理してみる。(間違いごめん)
「吉備国」・「屯倉」について。
天武天皇11年7月の戊午(27日)、信濃国・吉備国が「霜降り、大風が吹いて五穀が実らない」ともうす。
「吉備国」とは?
・備前・備中・美作・・(岡山県) 備後(広島県の一部)
・日本書記に度々、古事記にも記述がある。
1巻、孝霊天皇の項に、妃 絙某弟(はえいろど)との間に生まれた 稚武彦
命は「吉備臣の祖なり」との記述。これが「吉備」の初見だそうだ。
・崇神天皇の項に、「吉備津彦命を西道に遣わす」
・雄略天皇の項にも「吉備 下道前津屋の乱」・・など
大和朝廷から遠い地域なのに「吉備」が重要視されたのはなぜか。
吉備は新羅との結びつきが強く、鉄の文化が発達・塩の生産・海上交通も盛んであったこと。
欽明天皇16年には、吉備の国の5つの郡に「白猪屯倉」を置く。
「屯倉」とは。
大和朝廷の直轄地。直営農地。
蘇我稲目や馬子を遣わして管理させたり・・。
仁徳天皇は、屯倉を作るために茨田堤(まむたのつつみ)を作らせた。
古事記にも、茨田に堤を作ったことや、池を造ったことが記されているそうだ。
日本書記とは関係しないが、橿原市の鉄道の変遷の話も面白かった。
明治5年(1872)「新橋-横浜」間に日本で初めて鉄道開通。
明治23年(1890)大阪鉄道「王寺ー奈良」間(現JR関西本線)
明治26年(1893)高田ー桜井間(現JR桜井線)橿原市に初めて鉄道が開通。
以後、鉄道会社の変遷。線路も延伸したり廃線になったり、駅の場所や駅名も変わったり・・旧国鉄では蒸気機関車から電化し・・
橿原神宮拡張時には、線路の付け変えも行われた。
廃線や付け替えの跡が残るところもある。
鉄道会社は近鉄とJR・駅も長らく変わっていないが・・
奈良医大の移転で、新駅ができると聞く。
また、かつては皇室の畝傍御陵参拝時に利用された貴賓室のあるJR畝傍駅も、駅舎や貴賓室の老朽化が問題になっており、どうなるのか・・まだ変遷は続く。