ガイドさんの案内で藤井寺周辺をウォーク
道明寺天満宮
道明寺天満宮 うそかえ祭に何度か来たことがある。
祭神は、菅原道真公・天穂日命(あめのほひのみこと 野見宿禰の遠祖)・覚寿尼公(道真公の叔母にあたる)をご神体とする立派な神社
見どころは多い。
牽引実験を行うために造られた「復元修羅」
修羅は、後でそばを通る三ツ塚古墳の、八島塚と中山塚の間の濠跡を発掘調査した際に大(全長約8.8m)小(約2.8m)の2基発見されたという。
本物は、保存処置を施した後、大は「近つ飛鳥博物館」小は「藤井寺市立図書館」
復元修羅は、西岡常一さんら宮大工によって、徳之島のオキナワウラジロガシで、オノ・チョウナなど古い工具を使って作られたものだそうだ。
本物は、大はアカガシ 小はクヌギまたはアベマキで作られていたらしい。
落ちない梅「常成梅」受験生の切なる願いを込めたおみくじがびっしり。
道明寺
横を東高野街道が通る。
元は、現在の道明寺天満宮の南側参道付近にあったとか。
その後、天満宮の境内地に移転。明治の神仏分離令によって現在地に移されたという。
本堂には、十一面観音菩薩(国宝)が安置されている。
「ほしいひ」(炊いた米を乾燥させた保存食)が名物として売られていた。
道明寺と言えば西宮神社のモクゲンジを思い出す。
もう一度見に行きたいと思いつついけないでいた。
ガイドさんに尋ねると、大阪府天然記念物にも指定されていた「西宮神社のモクゲンジ」は大分前に倒壊してなくなったという。
「ここにもありますよ」見ると、数本のモクゲンジがあった。
見ていると若い果実があった。お~ラッキー。
花が見たかったなあ。
次の場所へ移動中、ふと左を見上げると・・
モクゲンジの木があり、花が残っていた。お~2度目のラッキー。
近くの溝には・・モクゲンジの幼木だ。
少し遅れた集団に急いで追いつく。
三ツ塚古墳の横を通り、仲姫命古墳へ。
仲姫命(なかつひめのみこと)は応神天皇の皇后
「この辺は古市古墳群の中では最も標高が高い場所で濠には水がない」とのこと。
濠の堤にはカミヤツデ なぜこんな所にカミヤツデが?
澤田八幡神社に立ち寄る。
「境内に踏切のある神社」として有名だそうだ。知らなかった。
1922年(大正11年)大阪鉄道が仲姫陵の堤沿いに線路を敷設することになり・・数多い古墳を避けて・・神社を横切ることとなったようだ。
しばらくすると電車が通った。近鉄南大阪線
鳥居をくぐり、この踏切を渡って拝殿(写真手前側)へ参拝となる。
古市古墳群では2番目の規模という仲姫命陵の拝所を過ぎ・・
古室山古墳
前方後円墳 後円部の標高が前方部より高いのは古い古墳の特徴
登れる古墳だ。
後円部の墳頂 見晴らしがいい。
チョウトンボ 雌 なんでこんな墳頂にいるの?
赤面山古墳(せきめんやまこふん)
上を西名阪自動車道がとおる。
1辺15m、高さ2mの方墳 古市古墳群でも初期の古墳らしい。
元はもっと大きかったとか。
道路建設より以前に国史跡に登録されていたため、保存しながら道路を作ることになったらしい。
そのため、道路の橋脚は1本減らされている(強度は別策で)
下道も古墳に合わせてカーブしている。
応神天皇陵古墳 恵我藻伏崗陵
応神天皇陵古墳 恵我藻伏崗陵 拝所 古墳の前方部から見ている。
仁徳天皇陵(大山古墳)に次ぐ大きさの前方後円墳
古墳の右側には奈良時代の地震による崩れた所もあるそうだ。
途中で、
古室山古墳のウメの木でも気になっていたが・・
クビアカツヤカミキリの被害が多いのに驚く。
フロス(虫の出す木クズ)の出た木がたくさんあった。
防ぎきれない感じ。
実はクビアカツヤカミキリの姿を見たことがない。
ちょっと覗きこんだりしたが、ゆっくり見てはいられない。
太平洋戦争の末期、予備の滑走路として設定されたという府道も紹介された。
アイセルシュラホール(藤井寺市 生涯学習センター)
舟形埴輪と修羅をモチーフにした建物。インパクトがある。
涼しい室内でお弁当。
その後館内を見学した。
たくさんの展示の内で・・
石斧 こんな斧で木をくり抜いたりしてたんだなあ。
井真成(いのまなり) 蓋付き墓誌
阿倍仲麻呂や吉備真備や僧 玄昉 等と共に遣唐使として唐に渡り、現地でなくなったといわれる。
藤井寺あたりの人物だったらしい。
仲哀天皇陵
古墳時代中期の前方後円墳
室町時代には城として利用されたという。
幅広い濠が廻る。水が満々。濠はこうでなくちゃ。
・・と見ていたら、左手堤にトキワススキが見えた。
左手の白く見える部分。
トキワススキは家の近くで見られるが、そんなにあちこちでは見かけない。
濠の堤に沿ってあるいていると・・
あっ。スズサイコだ。どなたかが目印をつけてくださっている。
久しぶりに見た。
式内大社 辛国神社(からくにじんじゃ)
「茅の輪」をくぐって拝殿へ。
身についた厄災や穢れを落とし、心身清らかに、無病息災で過ごせますように。
葛井寺(ふじいでら)
7世紀代に葛井氏の氏寺として建立されたらしい。
西国5番の霊場
6番は南法華寺(壷阪寺)7番は龍蓋寺(岡寺)へと続く。
葛井寺 南大門(仁王門) 国の重文
西門(四脚門)
慶長6年(1601年)に豊臣秀頼により建立された旧南大門を天明5年(1785年)にここに移築したもの。
葛井寺で現存する最古の建物(国重文)
ここから藤井寺駅へ出て解散となる。