浅野詠子さんの案内で大和高田を半日めぐり
2015年にも高田の町の主に建物を案内していただいた。
今日は半日で、以前と重ならないようにと、初めての所を案内してくださった。
天神社 ここは来たことがある。
本殿に貞応元年(1222)当麻宗正の棟札があるという由緒のある神社。
神社は知ってはいたが、目的は・・
境内を進み少し右手を覗くと、奥に赤レンガが見えた。
これは明治21年建築の「旧高田区裁判所の塀」が残っているのだという。
へえ~(塀)知らなかった。
どこを歩いたか・・用水路の横を入ると・・
旧国鉄桜井線の赤煉瓦橋梁脚
大阪鉄道の高田-桜井間開業と同時にできた。明治26年(1893)
昔の煉瓦の構造物はかっこいいなあ。
「常光寺池」 ここも知らない。ここはどこなのか?
今は池だが、かつてあった高田城はこの辺りにあったのかもしれないという。
当麻(とうま)為貞が築城した平城で2重の濠で囲まれていたそうだ。
後、織田信長の都城破却令や筒井順慶の侵攻などにより、高田城は歴史を閉じた。
少し離れた場所に「高田城址」の碑と説明板が建つ。
ここは来たことがある。やっと自分のいる場所がわかった。
「常光寺」 踏切に接するように門がある。
寺の前に線路が敷設されたということかな?
ここには「八百屋お七」の墓があるそうだ。(入ってない)
(井原西鶴の「八百屋お七」のモデルとなった「志ち」の墓らしい)
丸ポストの残る町を歩く。
「明治天皇御小休処之跡」こんな碑もあった。
中央温泉
昔からの銭湯 通った時は時間外だったが、営業しておられる。
前回、案内していただいた「日本聖公会高田基督教会堂」
奈良県の文化財指定
「不動院」本堂は重文 どっしりとした屋根がすばらしい。
説明板によると「本堂は文明15年に高田城主であった当麻為長(とうまためなが)が、一族の菩提寺として建立した」建立年がわかる棟札が残るという。
サザンカホールで小休止
高田中央道路 元は高田川が流れていたところ。
川を付け替えて道路になった。
見えている歩道は元、橋が架かっていた。
「天神橋」の名残。
橋の名は商店街(天神橋商店街)にも残る。
路地のようなところを抜けると「専立寺」の前(本町通)に出た。
高田城を中心に発展してきた大和高田は、慶長5(1600年)専立寺が出来て、寺内町が形成された。
「大和5か所御坊」に数えられる。
専立寺のお向かいに建つ洋館は「旧高田産業銀行」の建物。
銀行名が次々変わったが、昭和47年までここで銀行業務が行われた。
今は(株)森川商店が所有
ずっと北へ移動。
有井にある「弘法の井戸」
何回か来たことがあるが、すごく立派になっていてびっくり。
ここ「有井」は環濠集落だったそうだが、面影はない。
もう1か所は省略してここで解散となる。
勤め先が高田で、少しは歩いていたが、知らない道がいっぱい。
知らないことがいっぱいだった。