奈良盆地の中央「国中(くんなか)」に位置する田原本。
賤ヶ岳7本槍の1人平野権兵衛長泰が領主となり、寺内町が発達、後に
陣屋町として栄えた町だ。
我が家にとっては関係の深い町だけど、あまり歩き回ったことはない。
お正月に多神社や鏡作り神社他ちょっとうろついて、田原本って面白そ
うと思ったけれど・・・
今日はそんな田原本の町中と弥生時代の唐古・鍵遺跡を歩いた。
津島神社
元、祇園社と言われた。神宮寺で明治2年に津島神社と改めた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/60/85aae259afdb31a3d290de3ee25d88f3.jpg)
子供が小さい頃、親戚と7月に「祇園さん」というお祭りに行った思い
出がある。 夜店が出て賑わっていた。
それ以来だが、社はきれいに建て替えられていた。
立派だが、新しい建物にはあまり興味がないわ、と思っていたら、昔の
図面どおりに復元されているという。
そして古い彫刻の部分なども利用されていた。
街中にあるお寺などを見、平野氏の陣屋跡という田原本町役場を通り、
寺川と渡り、唐古・鍵考古学ミュージアムへ
唐古・鍵 考古学ミュージアム
図書館・傷害学習センター・ホール・公民館などの機能が詰まった複合
施設。
立派な建物にまず驚く。ゆったりと明るい。
3班に分かれてボランティアさんの説明を受ける。
唐古・鍵遺跡関連の発掘された絵画土器や木器など本物が多数展示され
ているのがうれしい。
大型建物の柱の発掘状態も足元の床下のガラス越しに見れる。
中央には弥生の暮らしが模型を使って展示されていて、イメージがわき
やすくおもしろかった。
機織りや藁?を編むなど、現代にも通じる技術が既にあったようだ。
木製の鋤や鍬を石の斧で削ったりする様子も見られる。
木製品は水に漬けて加工しやすくしたらしい。水に漬かった半製品も出
土している。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/a8/92601b0b9e48d4171944aadc0a693589.jpg)
石細工の模型 木を削る
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/6d/52cd169b029024bb9c0de22379b6d4c3.jpg)
出土した柱 ヒスイの勾玉
銅鐸の復元の様子なども見られるらしいが、時間が不足だ。
またゆっくりと見に来たい。
午後は唐古・鍵遺跡へ
のどかな田んぼ道を歩く。
説明者は一番近くに住む?Sさん
唐古・鍵遺跡は長谷川と寺川に挟まれた地域で、弥生時代前期から後期
まで継続する大環濠集落だったそうだ。
村を囲む何本もの環濠は川の氾濫から村を守るものだったそうで、最大8
メートルもの幅ののもあったらしい。
環濠の中には竪穴式住居や井戸。約50畳もあるような大型建物があった
そうだ。
今は埋め戻されて、見えるのは田んぼばかりだが、左を見れば、国道の
向こうでは、大型建物跡や鶏頭形の土器の出土した場所が。
国道のこちら側にはヒスイの勾玉などが出土。
右横に見える小学校(田原本北小学校)からは、楼閣の描かれた絵画土
器の破片が出土、埴輪や環濠跡など、ここは弥生の村の真っただ中だ。
銅鐸を鋳造する場所は、公害を考えて村の中でも一番風下の南の方にあ
ったそうだ。
居住区の外側にはお墓や田んぼが広がっていたらしい。
少し歩いて木の茂ったところ、ここが唐古池。
ここに復元された楼閣がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/78/02a1151bad6ebf26c07346ab3482cd39.jpg)
絵画土器の破片を元に復元された楼閣。池の中に建てられているが、
もとあった場所は不明という。
高さ12メートルあまり、出来てだいぶたつので痛んでいるところもあ
るが、古びて自然っぽくなっている。
くるりと巻いた棟飾りはかわいい。
丸太を刻んだ刻み梯子、これを登るのはこわそう。
国道から見える楼閣はおもちゃみたいで、あまり興味がなかったが、ミ
ュージアムで遺跡のことを少し知り、ここまで歩いて、こんなシンボル
もいいかな?と思えてきた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/75/4f4143f7499494ad1cb2facacc0d3bea.jpg)
唐古池の周りは桜がいっぱい。まだ花がいっぱいのところもあり、花び
らの散り敷いたところもまた風流だった。
撮ってやろうと言われ、一人写真を撮ってもらったが、きれいな桜・花
びら道、これだけの方がよかったか? 写真を見るのが怖い。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/04/2b5dd8f0c80faf919679fe7ee4bcbac4.jpg)
アケビ満開 下に落ちていたヤドリギ
実の周りのネバネバは想像以上
この後は、また町中へ戻り、主人の実家のお墓のある本誓寺・隣の
浄照寺へ。
ここは2代目平野氏と支配問題で争いになった教行寺を他へ移し(追
い出し?)跡地を2分して本誓寺・浄照寺を建立させたとのこと。
いつもお墓参りしているお寺、古いとは聞いていたが、そんな由緒が
あったのか。
知っているようで全く知らなかった田原本。もっと知ったら面白そう。
賤ヶ岳7本槍の1人平野権兵衛長泰が領主となり、寺内町が発達、後に
陣屋町として栄えた町だ。
我が家にとっては関係の深い町だけど、あまり歩き回ったことはない。
お正月に多神社や鏡作り神社他ちょっとうろついて、田原本って面白そ
うと思ったけれど・・・
今日はそんな田原本の町中と弥生時代の唐古・鍵遺跡を歩いた。
津島神社
元、祇園社と言われた。神宮寺で明治2年に津島神社と改めた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/60/85aae259afdb31a3d290de3ee25d88f3.jpg)
子供が小さい頃、親戚と7月に「祇園さん」というお祭りに行った思い
出がある。 夜店が出て賑わっていた。
それ以来だが、社はきれいに建て替えられていた。
立派だが、新しい建物にはあまり興味がないわ、と思っていたら、昔の
図面どおりに復元されているという。
そして古い彫刻の部分なども利用されていた。
街中にあるお寺などを見、平野氏の陣屋跡という田原本町役場を通り、
寺川と渡り、唐古・鍵考古学ミュージアムへ
唐古・鍵 考古学ミュージアム
図書館・傷害学習センター・ホール・公民館などの機能が詰まった複合
施設。
立派な建物にまず驚く。ゆったりと明るい。
3班に分かれてボランティアさんの説明を受ける。
唐古・鍵遺跡関連の発掘された絵画土器や木器など本物が多数展示され
ているのがうれしい。
大型建物の柱の発掘状態も足元の床下のガラス越しに見れる。
中央には弥生の暮らしが模型を使って展示されていて、イメージがわき
やすくおもしろかった。
機織りや藁?を編むなど、現代にも通じる技術が既にあったようだ。
木製の鋤や鍬を石の斧で削ったりする様子も見られる。
木製品は水に漬けて加工しやすくしたらしい。水に漬かった半製品も出
土している。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/a3/7e58b6f977f92cbe0f97cf121ef69027.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/a8/92601b0b9e48d4171944aadc0a693589.jpg)
石細工の模型 木を削る
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/c9/4e702b853fb259aacfde118a7c58e568.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/6d/52cd169b029024bb9c0de22379b6d4c3.jpg)
出土した柱 ヒスイの勾玉
銅鐸の復元の様子なども見られるらしいが、時間が不足だ。
またゆっくりと見に来たい。
午後は唐古・鍵遺跡へ
のどかな田んぼ道を歩く。
説明者は一番近くに住む?Sさん
唐古・鍵遺跡は長谷川と寺川に挟まれた地域で、弥生時代前期から後期
まで継続する大環濠集落だったそうだ。
村を囲む何本もの環濠は川の氾濫から村を守るものだったそうで、最大8
メートルもの幅ののもあったらしい。
環濠の中には竪穴式住居や井戸。約50畳もあるような大型建物があった
そうだ。
今は埋め戻されて、見えるのは田んぼばかりだが、左を見れば、国道の
向こうでは、大型建物跡や鶏頭形の土器の出土した場所が。
国道のこちら側にはヒスイの勾玉などが出土。
右横に見える小学校(田原本北小学校)からは、楼閣の描かれた絵画土
器の破片が出土、埴輪や環濠跡など、ここは弥生の村の真っただ中だ。
銅鐸を鋳造する場所は、公害を考えて村の中でも一番風下の南の方にあ
ったそうだ。
居住区の外側にはお墓や田んぼが広がっていたらしい。
少し歩いて木の茂ったところ、ここが唐古池。
ここに復元された楼閣がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/78/02a1151bad6ebf26c07346ab3482cd39.jpg)
絵画土器の破片を元に復元された楼閣。池の中に建てられているが、
もとあった場所は不明という。
高さ12メートルあまり、出来てだいぶたつので痛んでいるところもあ
るが、古びて自然っぽくなっている。
くるりと巻いた棟飾りはかわいい。
丸太を刻んだ刻み梯子、これを登るのはこわそう。
国道から見える楼閣はおもちゃみたいで、あまり興味がなかったが、ミ
ュージアムで遺跡のことを少し知り、ここまで歩いて、こんなシンボル
もいいかな?と思えてきた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/52/1408ffd4c341b3032ce7c5ff52b1bf16.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/75/4f4143f7499494ad1cb2facacc0d3bea.jpg)
唐古池の周りは桜がいっぱい。まだ花がいっぱいのところもあり、花び
らの散り敷いたところもまた風流だった。
撮ってやろうと言われ、一人写真を撮ってもらったが、きれいな桜・花
びら道、これだけの方がよかったか? 写真を見るのが怖い。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/78/17e394046c42a79c3a5ec0a6093d48fa.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/04/2b5dd8f0c80faf919679fe7ee4bcbac4.jpg)
アケビ満開 下に落ちていたヤドリギ
実の周りのネバネバは想像以上
この後は、また町中へ戻り、主人の実家のお墓のある本誓寺・隣の
浄照寺へ。
ここは2代目平野氏と支配問題で争いになった教行寺を他へ移し(追
い出し?)跡地を2分して本誓寺・浄照寺を建立させたとのこと。
いつもお墓参りしているお寺、古いとは聞いていたが、そんな由緒が
あったのか。
知っているようで全く知らなかった田原本。もっと知ったら面白そう。
行って見たいところがまたできました。
桃太郎の故郷 楽しそう
笠縫の貴公子さんにご案内お願いしちゃいませんか?
みどりの野原さん。
その時はよろしくね
また行きたいです。
次行く時は案内お願いします。