降水確率70~80%で予定していた観察会は流れてしまった。
たまたま今日行われると情報を得ていた埴採り神事を見学に行くことにした。
今にも雨が降りそうでカッパを着ていく。
時間がわからないのでずいぶん早くから待っていた。
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畝傍山口神社 右)拝殿
畝火山口神社で行われる「埴取り神事」はず~っと気になっていて、河俣神社と共に何回もブログに書いている。
そして、遠くから見るつもりだったのに、思いもかけず、神事に参加させていただくことになったのだ。
畝山口神社
創始は不明。806年の文献に初見。初めは大山祇命を祀る神社だったらしい。
1446年当時は畝傍山の西麓にあったが、豪族越智氏が貝吹山に築城した際、神社を見下ろすことを恐れ山頂に遷座したらしい。
昭和15年、皇紀2600年、橿原神宮神域拡張整備の時、橿原神宮や神武天皇を見下ろし神域を穢すということで、国から命じられて山頂から今の場所に遷座したという。
祭神は大山祇命から現在は気長足姫命(おきながたらしひめのみこと 神功皇后のこと)・豊受姫命・表筒男命(うわつつのおのみこと)に変わる。
社名もいろいろ変遷し、明治に「畝傍山口神社」と定められた。「畝傍大明神」の名が彫られた灯篭があった。
また俗に「お峯山」と呼ばれるのは山の頂上にあったからかな?
神功皇后が(応神天皇を)ご安産された伝承により、「安産の守り神」として信仰されている。
埴取り神事
大阪住吉大社が毎年祈年祭と新嘗祭に先立って、祭祀に用いる土器を作るための埴土を畝火山頂で採取するというもの。
その時、雲梯の河俣神社で装束を整えて来られるという。 (ここから見たかった)
大阪住吉大社の神官さんが車でご到着。神殿の準備をされるのを離れて見ていた。
途中で「どうぞ中でお待ちください」と社務所のお部屋へ通された。
黒のスーツの男性お2人とお茶をいただいて待っていると「準備ができましたのでどうぞ」と言われ外へ。
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神官さん(埴遣いといわれる使者)の木靴 社務所の前で、順番に桶から水をかけてもらい手を清める。
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そして、住吉大社の神官さんお2人とお付きの方? その後に山口神社の宮司さん。
その後に男性お2人に続いて私も神殿の方へ。
先ず、祓戸神社前で祭祀、続いて拝殿へ。
拝殿には椅子が向かい合って並べてあり、一方に住吉大社の神官さんお2人とお付きの方?
向かいあって、山口神社の宮司さんと男性二人。その横に私が座る。
そして、祭祀が始まる。
神殿での祝詞 (順番はどうだったか・・)お祓いを受け、玉串奉奠
私にも順番が回ってきた。作法は知らないがサカキを回して置き、2礼2拍手1礼
祭礼が終わり拝殿を出る。
休憩されてから山に登られるのかお尋ねすると「すぐに登ります」
ついて行ってもいいですかと聞くと、いいですよとのお返事。
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男性お2人は帰られ、草履に履き替えられた神官さん・お付きの方・山口神社の宮司さんに続いて畝傍山へ。
そして、山頂での埴土採り神事も見せていただくという貴重な経験ができた。
お礼を言ってここでお別れする。
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埴土を入れた「埴筥 (はにばこ) 」を持ってお山を下りられる。
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久しぶりに会う「ツガ」の大木。何か懐かしい木。球果を付けていた。 畝火山口神社社殿跡の碑
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三角点にもご挨拶をして山を下りる。
写真のお許しも得ていたので、目立たないように?撮った。
差支えなさそうなものだけ載せた。
秋の神事の日はまだ未定だそうだ。
思いがけない神事参加にドキドキしたひと時だった。
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畝傍山登山道にもカシナガ被害木らしい伐採された木があった。
穴がたくさんあけてあり、薬剤注入も効果がなかったのか?
たまたま今日行われると情報を得ていた埴採り神事を見学に行くことにした。
今にも雨が降りそうでカッパを着ていく。
時間がわからないのでずいぶん早くから待っていた。
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畝傍山口神社 右)拝殿
畝火山口神社で行われる「埴取り神事」はず~っと気になっていて、河俣神社と共に何回もブログに書いている。
そして、遠くから見るつもりだったのに、思いもかけず、神事に参加させていただくことになったのだ。
畝山口神社
創始は不明。806年の文献に初見。初めは大山祇命を祀る神社だったらしい。
1446年当時は畝傍山の西麓にあったが、豪族越智氏が貝吹山に築城した際、神社を見下ろすことを恐れ山頂に遷座したらしい。
昭和15年、皇紀2600年、橿原神宮神域拡張整備の時、橿原神宮や神武天皇を見下ろし神域を穢すということで、国から命じられて山頂から今の場所に遷座したという。
祭神は大山祇命から現在は気長足姫命(おきながたらしひめのみこと 神功皇后のこと)・豊受姫命・表筒男命(うわつつのおのみこと)に変わる。
社名もいろいろ変遷し、明治に「畝傍山口神社」と定められた。「畝傍大明神」の名が彫られた灯篭があった。
また俗に「お峯山」と呼ばれるのは山の頂上にあったからかな?
神功皇后が(応神天皇を)ご安産された伝承により、「安産の守り神」として信仰されている。
埴取り神事
大阪住吉大社が毎年祈年祭と新嘗祭に先立って、祭祀に用いる土器を作るための埴土を畝火山頂で採取するというもの。
その時、雲梯の河俣神社で装束を整えて来られるという。 (ここから見たかった)
大阪住吉大社の神官さんが車でご到着。神殿の準備をされるのを離れて見ていた。
途中で「どうぞ中でお待ちください」と社務所のお部屋へ通された。
黒のスーツの男性お2人とお茶をいただいて待っていると「準備ができましたのでどうぞ」と言われ外へ。
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神官さん(埴遣いといわれる使者)の木靴 社務所の前で、順番に桶から水をかけてもらい手を清める。
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そして、住吉大社の神官さんお2人とお付きの方? その後に山口神社の宮司さん。
その後に男性お2人に続いて私も神殿の方へ。
先ず、祓戸神社前で祭祀、続いて拝殿へ。
拝殿には椅子が向かい合って並べてあり、一方に住吉大社の神官さんお2人とお付きの方?
向かいあって、山口神社の宮司さんと男性二人。その横に私が座る。
そして、祭祀が始まる。
神殿での祝詞 (順番はどうだったか・・)お祓いを受け、玉串奉奠
私にも順番が回ってきた。作法は知らないがサカキを回して置き、2礼2拍手1礼
祭礼が終わり拝殿を出る。
休憩されてから山に登られるのかお尋ねすると「すぐに登ります」
ついて行ってもいいですかと聞くと、いいですよとのお返事。
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男性お2人は帰られ、草履に履き替えられた神官さん・お付きの方・山口神社の宮司さんに続いて畝傍山へ。
そして、山頂での埴土採り神事も見せていただくという貴重な経験ができた。
お礼を言ってここでお別れする。
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埴土を入れた「埴筥 (はにばこ) 」を持ってお山を下りられる。
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久しぶりに会う「ツガ」の大木。何か懐かしい木。球果を付けていた。 畝火山口神社社殿跡の碑
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三角点にもご挨拶をして山を下りる。
写真のお許しも得ていたので、目立たないように?撮った。
差支えなさそうなものだけ載せた。
秋の神事の日はまだ未定だそうだ。
思いがけない神事参加にドキドキしたひと時だった。
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畝傍山登山道にもカシナガ被害木らしい伐採された木があった。
穴がたくさんあけてあり、薬剤注入も効果がなかったのか?
絶対 普通ではできないような経験
そううえば
随分前に頂上から土を持って帰るんよ
そんな神事が行われてるって
あなたに教えて貰ったことをブログをみて思いました
見学する人 全くいないなんて
もったいない
皆 きっと知らないのかなあ~~~
遠目に見るつもりだったのですが、
ラッキーでした。