みどりの野原

野原の便り

10月25日 日本書紀

2024年10月25日 | Weblog

日本書紀
天武天皇12年 天皇から連姓を賜った氏族の続き。

*白髪部造(しらかべのみやつこ)
補注によると、清寧天皇の名代(代理)を務めた白髪部を管掌する伴造。
白髪部は、後、光仁天皇の諱(忌み名・白髪)を避けて、真髪部と改称。・・。

4巻、孝徳天皇10月の項に「倭漢直県(やまとのあやのあたいあがた)・難波吉士胡坐(なにわのきしあぐら)を安芸の国に遣して、百済舶(くだらのつむ)2隻(ふたつ)造らしめたまふ」とあり、海の事や造船技術ももっていたようだ。

*忍海造(おしぬみのみやつこ)
天武天皇3年3月の項に「対馬国司守(つしまのくにのみこともちのかみ)忍海造大国(おしぬみのみやつこ)が、対馬の銀を貢上る」と記され、これによって小錦下(しょうきむげ)の位を授かっている。これにより銀が倭の国にあることが初めてわかった。

忍海造は雑工の品部の伴造で、蘇我馬子が発願した飛鳥寺(元興寺)の搭の露盤に「意奴弥首 辰星(おぬみのおびと=忍海造)」の名があり(資財帳に書かれているそうだ)飛鳥寺の造営にも関わっていたようだ。
忍海造の外にも「阿佐都麻首 末沙乃」の名もある。朝妻は御所の人物。

露盤はふだん見るには高い位置にある。
寺名や紋などが彫られているのは見たことがあるが、造営に関わった工人の記録もあることを知った。

*羽束造(はつかしのみやつこ)
羽とは箭羽(やばね=矢の上端につける鳥の羽.) 
束とは簳(やがら=竹で作られた矢の長い棒の部分
鳥の羽根のついた矢を作るためには鳥を捕まえる必要があった。

いろんな職能の部族が天皇を支えていたことがわかる。

話を聞いている時は面白いが、いざ書こうとすると何がどうしてどうなったと納得できてなく、ぜんぜんまとまりません。
間違えていたら教えてください。

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