歴史サークルの6月例会は、高松塚~キトラ古墳 周辺
今回は同期の11期の仲間が説明者として檜隈寺跡~キトラ古墳~栗原
寺跡~高松塚古墳~中尾山古墳~欽明天皇陵~吉備日姫王墓を案内。
私は一般参加者として応援団?に加わる。
檜隈寺跡(ひのくまでらあと)
檜隈寺跡(ひのくまでらあと)に建つ13重の塔
於美阿志神社(おみあしじんじゃ)
近くで見つかった塔の心礎の根石の掘りこみの中にあった埋蔵物の中
には青いガラスの容器が入っていたそうだ。
檜隈寺とキトラ古墳周辺一帯は今はひなびた田舎の風景が広がってい
るが、この地区約14ヘクタールを国営歴史公園キトラ古墳周辺地区と
して整備が行われることになり、それに伴う発掘調査で檜隈寺に関わ
る遺物が出土している。
「小金銅仏片」
谷筋の堆積物の中から見つかった「小金銅仏片」
今、飛鳥歴史公園館で展示されているので出発前に見た。
ガラスケースの中にレンズ付きで展示されたそれは、小さな小さな
仏さまの手。
写真で見てもっと大きなものかと思っていたが、その小ささに驚く。
土の中からよく見つけ出されたものだ。
長さ23ミリ・幅10ミリ・手の甲の厚さ5ミリの手をレンズを通して
眺めた。
金の色が鮮やかに残っていた。中国や韓国の古代の小金銅仏と似て
いるという。
作られた時期は、檜隈あたりに居住し政治外交などに貢献し渡来系
の技術や仏教伝来に深く関わった渡来系氏族「東漢氏(やまとのあ
やうじ)」の全盛期で、檜隈寺との関わりが鮮明になったとのこと。
栗原寺跡(くりはらでらあと)
栗原寺跡にある呉津孫神社(くれつひこじんじゃ)にはムクロジの
大木がある。
一面に落ちている実をクラフトに使うというので、弁当の後みんな
で拾い集めたが、まだまだ残っていた。
栗原寺の別称「竹林寺」の名が入った棟瓦
檜隈あたりには漢人が、このあたりには呉人が渡来し住み着いていた
という。
呉津孫神社はその呉人の祖神を祀ったらしい。
薄いピンクのアザミ
中国から経典をわが国に伝えた僧「道昭」が祀られた祠
栗原で火葬され、それから火葬の習わしが始まったといわれる。
その他、キトラ古墳・高松塚古墳・中尾山古墳・欽明陵・吉備姫王墓
を廻る。
高松塚近くの四神をかたどった花壇 中尾山のササユリ
吉備姫王墓にある猿石 (男・女・猿・法師)
欽明稜とされる古墳の近くの水田で見つかったもので、欽明稜に置か
れていたものを江戸時代にここに移された。
男・女・猿・法師の石像で裏面にも顔がある。
高取城の猿石・高取町の光永寺にある人頭石もここから分散したもの
では?と言われている。
同期生の歴史サークル員さん6人は、それぞれに資料を準備したり、
本で調べたりと準備を重ねて担当の場所を堂々と説明され感心した。
何回も説明も受けているけどちっとも頭に入らない私は敬服するばか
り。
同期の方の活躍はうれしい。
これを刺激にしてもうちょっと頑張らねばを思うが・・・
今回は同期の11期の仲間が説明者として檜隈寺跡~キトラ古墳~栗原
寺跡~高松塚古墳~中尾山古墳~欽明天皇陵~吉備日姫王墓を案内。
私は一般参加者として応援団?に加わる。
檜隈寺跡(ひのくまでらあと)
檜隈寺跡(ひのくまでらあと)に建つ13重の塔
於美阿志神社(おみあしじんじゃ)
近くで見つかった塔の心礎の根石の掘りこみの中にあった埋蔵物の中
には青いガラスの容器が入っていたそうだ。
檜隈寺とキトラ古墳周辺一帯は今はひなびた田舎の風景が広がってい
るが、この地区約14ヘクタールを国営歴史公園キトラ古墳周辺地区と
して整備が行われることになり、それに伴う発掘調査で檜隈寺に関わ
る遺物が出土している。
「小金銅仏片」
谷筋の堆積物の中から見つかった「小金銅仏片」
今、飛鳥歴史公園館で展示されているので出発前に見た。
ガラスケースの中にレンズ付きで展示されたそれは、小さな小さな
仏さまの手。
写真で見てもっと大きなものかと思っていたが、その小ささに驚く。
土の中からよく見つけ出されたものだ。
長さ23ミリ・幅10ミリ・手の甲の厚さ5ミリの手をレンズを通して
眺めた。
金の色が鮮やかに残っていた。中国や韓国の古代の小金銅仏と似て
いるという。
作られた時期は、檜隈あたりに居住し政治外交などに貢献し渡来系
の技術や仏教伝来に深く関わった渡来系氏族「東漢氏(やまとのあ
やうじ)」の全盛期で、檜隈寺との関わりが鮮明になったとのこと。
栗原寺跡(くりはらでらあと)
栗原寺跡にある呉津孫神社(くれつひこじんじゃ)にはムクロジの
大木がある。
一面に落ちている実をクラフトに使うというので、弁当の後みんな
で拾い集めたが、まだまだ残っていた。
栗原寺の別称「竹林寺」の名が入った棟瓦
檜隈あたりには漢人が、このあたりには呉人が渡来し住み着いていた
という。
呉津孫神社はその呉人の祖神を祀ったらしい。
薄いピンクのアザミ
中国から経典をわが国に伝えた僧「道昭」が祀られた祠
栗原で火葬され、それから火葬の習わしが始まったといわれる。
その他、キトラ古墳・高松塚古墳・中尾山古墳・欽明陵・吉備姫王墓
を廻る。
高松塚近くの四神をかたどった花壇 中尾山のササユリ
吉備姫王墓にある猿石 (男・女・猿・法師)
欽明稜とされる古墳の近くの水田で見つかったもので、欽明稜に置か
れていたものを江戸時代にここに移された。
男・女・猿・法師の石像で裏面にも顔がある。
高取城の猿石・高取町の光永寺にある人頭石もここから分散したもの
では?と言われている。
同期生の歴史サークル員さん6人は、それぞれに資料を準備したり、
本で調べたりと準備を重ねて担当の場所を堂々と説明され感心した。
何回も説明も受けているけどちっとも頭に入らない私は敬服するばか
り。
同期の方の活躍はうれしい。
これを刺激にしてもうちょっと頑張らねばを思うが・・・
マンゴージュース美味しかったで~す。
たくさん拾ってもらった むくろじ
皮をむき種を取り出す作業中・・
凄~い細かい泡がいっぱいでました
とっても汚れてたバケツが新品に
あんなに泡がでて綺麗になるなんて
むかしの人たちに
これからも応援しま~す。
ムクロジ実際に役に立つんですね。
昔の人の知恵すごいですね。