丹波篠山 2日目
左)ホテルの庭は「庭師の名人 重森三玲の枯山水の庭」とのこと。
部屋から見下ろす。下りて見に行く時間がなかった。
右)宿泊した篠山観光ホテルは、元、篠山藩家老屋敷だったそうで、重厚な門が残る。
再度、篠山城跡へ。
今日は「東馬出跡」から入る。
説明板によると『「馬出」とは城の出入り口を凹字形の濠と塀で囲んで、城門への通路を複雑にしているもの』
篠山城へ。橋は濠の上にかかっている。濠の景色が美しく、お気に入り。
篠山小学校の前を通る。ここも城域内。
ここに書かれている「デカンショ」ってなに?
「デカンショ節」は聞いたことがある。
篠山節と言われる盆踊り歌で、囃子詞の「ドッコイショ」が訛ったものとの説。
灘方面に出かける酒造り杜氏たちの「出稼ぎしょ」からの説などあるようだ。
左)篠山城の石垣 こちら側もすばらしい。
右)北廊下門から進む。右手奥の桜は「桜開花基準木」のようだ。
左)中門跡(なかのもんあと)
右)城跡に建つ「大書院」入口
大書院は、慶長14年(1609年)の篠山城築城と同時に建てられ、天守のなかった篠山城の 中核をなす建物だった。
廃城令によって日本各地の城の多くが破却されるなか、大書院は 難を逃れたが、昭和19年(1944年)1月6日夜焼失。
今ある大書院は、篠山市民の熱い願いと尊い寄付によって平成12年(2000年)3月再建された。
残念ながら時間の都合で見学できず。
左)井戸跡 城内に3か所の井戸があったそうだ。
これは、大書院玄関西側にあったので「二の井戸」のようだ。
右)石垣と濠 青空に映えるなあ。
広場の向こうに見える小山は、三の丸の土塁
昨日今日と篠山城をたっぷり見た。美しい城だった。
再度、妻入り商家群
妻入り商家群 朝の景色 丹波の焼き栗 気前よく試食させてくれた。
皮の切り目からポロッと実が外れ、ホクホクとおいしく、お土産に買った。
朝食は昨日目星をつけておいた店へ。
店の名は何て読むの?「Oito」(オイト) トーストの朝食。
江戸末期、築約二百年の町屋をリノベーションした「喫茶・宿」
ここも見学されてもらった。
朝食は遅めで、他の客とは時間差あり。窓から中庭も望めた。
1Fにベッド2台の部屋、2Fにベッド2台の部屋。1日2組まで宿泊可。
家具や調度にもこだわり、ゆったり過ごせそう。
それにしても「Oito(オイト)」、昨日行った「une(ウネ)」 、見どころを巡回する「meGREEN バス」むつかしい名前が多いなあ。
妻入り商家群をずっと歩いて、端まで来た。
この辺まで来ると観光客の姿はない。
突き当りに大きいエノキが見えた。その向こうは篠山川らしい。
家の横に黒大豆を干している家があった。
少し戻って山の方に折れる。 熟したクコの実
王地山陶器所
3連の小規模な登り窯があった。
『江戸時代中ごろの文化文政期(1804~30)、当時の篠山藩主であった青山忠裕(あおやまただやす)がこの王地山の地に築いた藩窯』がルーツ。
『王地山陶器所は、廃窯から100年以上の時を経た昭和63年(1988)に、同じ王地山の麓に復興され、独特の緑色の青磁、染付、赤絵などの作品を当時の技法を使って製作されています』
紅葉の名所、王地山とはこのあたりのよう。 紅葉は見ごろだった。
王地山まけきらい稲荷社(平左衛門稲り神社)(王地山稲荷社)
左)「吒枳尼天王(だきにてんおう)」の扁額のかかる大鳥居を登る。
右)「王地山まけきらい稲荷社(平左衛門稲荷神社)」
まけきらい・・何のことやら・・
『元和五年(1619年)に、安房守信吉公が丹波篠山城主として転封のおり、吒枳尼天王の霊像を王地山に遷し鎮座したのが始まりと伝えられている。それ以来、王地山稲荷大明神といわれるようになった』
『青山忠裕公が丹波国篠山藩主で、江戸幕府の老中だったときのころのこと。
毎年、将軍様御上覧の大相撲があるのだが、いつも篠山藩の力士は負けてばかりいた。ある年のこと、王地山平左衛門ら8名の力士と行司、頭取ら10名が来て、いつも負けてばかりの篠山藩の力士が、全員全勝するという不思議なことがおこった。
負けきらいの殿様は喜び10名に褒美をやろうとしたが、どこにもいなかった。
全員が領内のお稲荷さんで、いずれも化神力士であった』
王地山のモミジ 堪能した。
午前中あんなにいい天気だったのに、天気予報通り雨が降ってきた。
準備万全。外回りはだいたい行った。
雨の時に行こうととっておいた「丹波古陶館」に入る。
「丹波古陶館」丹波焼の数々の展示を見る。西館・北館・東館
丹波焼は、平安時代末期に始まった。
丹波古陶館では、丹波焼の創成期から江戸時代末期に至る700年間に作られた代表的な品々が、年代・形・釉薬・装飾等に分類して展示されている。
遅めのランチを、昨日目星をつけておいた「カフェ KUROMAME 六夢叶(くろまめムムト)」で。 ここの名前もむつかしい。
娘は昨日のぼたん鍋がまだお腹に残っているよう。私の健啖ぶりにびっくりしていた。(私の得意は食べることと寝ること)
とはいえ、おいしい炊き込みご飯は全部食べられず、パックをもらって持ち帰った。
丹波杜氏酒造記念館 休館日だった。
『元禄年間の頃より、池田や伊丹に出稼ぎが行くことが盛んになった。
出稼ぎは丹波地方の人々の生活と経済に欠かすことのできないものだった。
ところが、宝暦・天明の頃に各地で天災が続き、凶作が続いた。
篠山藩は、農民が酒造出稼ぎに出るため田畑の管理が十分できないためだとして、厳しい「出稼ぎを制限する命令をだした。
この窮状を救うために、「市原清兵衛」は命を懸けて、江戸屋敷にいた篠山藩主に直訴し、「出稼ぎの制限」を緩和させたという』(説明板抜粋)
すごい人がいてよかった。
まだ雨は降っている。
ホテルに戻って帰り支度。近くのバス停から帰路につく。
城下町丹波篠山を2日間で回り、篠山城跡・武家屋敷群・妻入り商家群などみごたえがあった。おしゃれなカフェでの食事もおいしかったし、知らなかった世界を楽しめた。
楽しい旅に誘ってくれた娘に感謝。お留守番組にも感謝。
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