今日もお花見
いつもの3人で行くハイキング仲間の1人が用事で来れなくなった。
2人でお花を見に行こうということになったが、他に2人が来ることになって4人で行く。
鹿華苑
先日(4月20日)つぼみだったクリンソウ 満開だ。
クマガイソウもちょうど見ごろだった。平家物語の熊谷直実と平敦盛に因む名で、
熊谷直実が矢を防ぐために背負っていた 母衣(ほろ)に見立てた名だという。
フジ・ツツジ・シャクナゲ・クリンソウ・・百花繚乱
ツツジが満開
モチツツジ 花車 という品種。ガクはべたついた。 オオデマリ
カザグルマは咲きかけ フジも満開
ゆっくりお花見して早めの弁当も食べ、音羽観音へ行くことになった。
音羽観音
車を停めることができたので「17丁の7」から歩き始め。
予定していなかった山登り。
ムロウテンナンショウ なぜか、どこでもたいてい向こう向き。
右)ガクウツギがひっそりと咲いていた。
チゴユリ
昔はたくさんあったヤマルリソウは1か所見かけただけで、ちょっと淋しい。
整備されたとはいえ急な上り坂はきつい。可愛いイラスト看板に励まされる。
麓からの参道には丁石がたくさんある。
今日初めて気付いた石碑(丁石ではない)
そこには「住職 磯田音察 会計 〇〇 発起人 〇〇 ・・・明治39年・・・ 大勢の名前・・」
裏にも「南音羽 〇〇 信徒代表 〇〇・・・」などたくさんの文字が刻まれていた。
私がなぜそれに興味を持ったのかというと・・
初めて音羽山観音寺を訪れたもう50年ほど前のこと。
参道ははまだ地道の細い山道で、第一印象は「胸突き八丁」だった。
やっとたどり着いた音羽観音寺には尼僧さんがおられ、その方が磯田さんとおっしゃった。
山道を登って参拝に来られる遠くからの方もおられたようで、名前や感想を書く大学ノートが何冊も置いてあった。
お茶をいただいて、縁側で話をして心癒されて帰り、何年か年賀状などやり取りもしていた。
石標に刻まれていたのは(明治の頃なので)その方のご先祖さんかもしれないと思い、久しぶりに磯田さんに出会った気がしたのだった。
再びここを訪れるのは子供も大きくなったからのことだ。磯田さん亡き後、寺は荒れていたらしい。
住職さん(尼僧さん)も変わっておられた。
まだ道は岩だらけの山道で、尼僧さんは用事で山を下りる時はキャタピラーに乗っておられたが、それでも心配になるような岩のあるカーブもあったものだ。
以後、だんだん山道も改修されて幅も広くなり、ほとんどがコンクリート舗装された。
ずいぶん登りやすくなったとはいえ、今も徒歩でしか参拝できず急登には変わりない。
右)やっと観音寺に到着。 住職さん・副住職さん・お手伝いの方3人をモデルにした可愛いお人形に迎えられる。
毎月、テレビで放送され(大和尼寺精進日記)超有名になった音羽山観音寺と尼僧さんたち。
今日も取材陣が来ておられた。
いつも花いっぱいのお庭 レンゲツツジがさいていた。
右)天然記念物、お葉付きイチョウも小さい実(雌花)を付けていた。
お寺の下に植えられていた花 何でしょうか?ネットの中にあり撮りにくい。 右)葉
しばらく休憩して、山を下りた。 麓にある「17丁の1」の丁石
途中にあった満開のハンカチノキを見て帰る。
白いハンカチが木の下にたくさん落ちていた。
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