用事のついでにドライブ
先日見た「バショウがたくさん生えている」ところへ案内してくれた。
うわあ。なるほどバショウがいっぱい。
誰が?何のために?植えたのか。
放置されて薮状態。数十本?もっとありそう。
花茎の基部には果実(バナナ)が。咲き進んだ花茎の先端の苞の中に雄花が見える。
苞の中の雄花
開花すると、苞は1枚ずつ剝がれ落ちる。花軸の模様は苞の落ちた跡だ。
バショウはバナナの仲間の内では寒さには強い。
多年草だが、たいていは冬には幹は枯れる。
枯れて切られた幹。幹は「木」とは違い、葉鞘が重なってできている。
枯れた幹のそばに若い株。これが来年大きく育つ。
棒状に巻いている新葉と若い葉 側脈は主脈に対して直角に平行
地蔵堂と道標のある辻。
そばの公園の前に「なつめ堤」の説明板
曽我川と飛鳥川に挟まれた所に作られた「なつめ堤」の跡を通った。
受け堤とわかる雰囲気を残しているところが所々にあった。
道は自然な曲線を描く。
道は田原本町松本に続く。
田原本町松本あたり。
三宮神社 鳥居の扁額が降ろしてあった。
三宮神社
近くには「松本の石仏」「松本寺」「大慶寺」などが集まっている。
田原本町の説明板によると、
江戸時代、「松元村」 は綿作が盛んで、裏作には菜種を栽培していたという。
大和川の水運で飛鳥川の「松本浜」まで川船が遡上。
「松本浜」は春は大坂から 油粕・干鰯 塩 雑貨などが運ばれ、秋には大坂へ 米 木綿 農作物などが積みだされたという。
「松本浜」の名残はないそうだ。
田原本には「今里浜」という川港もあって栄えたそうだ。
(前に、このあたりかと川を見に行ったことがある)
3面張りの水路 田原本町西竹田
「前にここに来たことあるやろ」と言われても・・
あの素掘り水路がこんなになったんやと言われて、思い出すが・・面影なし。
2017年2月12日 春の小川は・・と歌いたくなるような小川だった。
どじょっこ も ふなっこ もいそうな・・
水路の横にはクヌギの木もあった。
ここが上のように変わってしまった。周りも開発されて商業施設や大きい建物も建っていた。
地蔵屋形 田原本町西竹田
立派な屋根は、古くは檜皮葺か杮葺きだったのだろうというネット記述あり。
集落を入った所に八坂神社 イチョウの黄葉が残る。
古い民家の軒下にあったのは 大八車か?
三宅町や田原本、見るところがまだまだありそう。
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