みどりの野原

野原の便り

4月5日 桜井~大福遺跡

2008年04月05日 | Weblog

      粟原川の桜も満開。

戒重・春日神社
このあたりは敏達天皇の宮、又、織田藩の陣屋跡。織田城とも言われる。
いわゆる城のような建物はなく、川や竹藪など自然地形を利用した要塞
のようなものだったらしい。
吉野南朝に忠誠を誓い、最前線となって幕府軍と戦った。
幕府の大軍に対し半年以上も持ちこたえたが、ついに力尽きたといわれる。
ツバキの咲き乱れる境内は静かで、そんな激しい歴史があったとは偲ぶこ
ともできない。
このあたりに大津の皇子の邸宅があったと言われる。

              
               イタビカズラの大木
     (左イチイガシ・右の細い幹がツル性植物のイタビカズラ)
         太いところでは16センチもあるとか。
         こんな大木は珍しく貴重だそうだ。


勝山曲輪製作所
曲げわっぱと言えば秋田を想像するが、桜井にも曲げ輪制作会社が3軒
ぐらいあるそうだ。


曲げ輪の材料のヒノキの薄板。最高9ミリぐらいまで曲げられるという。
    
  
    曲げ輪製品             熱湯の窯・曲げる機械

秋田の曲げ輪の材料は杉で工芸品を作り、ここはヒノキの端材を利用し
て生活用品を作っているそうだ。
セイロやヒシャク・刺繍枠・ふるい。裏ごしなどに使われている。

中国産ばやりだが、ヒノキは中国にはなく差別化を図っているという。
そして、曲げた薄板を留めるのは桜の皮が一番耐久性があるそうだ。
年月が経っても艶が残っていた。

ヒノキの薄板を熱湯につけ、やわらかくしたところで何枚か一緒にロー
ラーにかけると薄板はぐるりと曲がり、それを丸い型に叩き込み型をつ
ける。
その棒は30年来使っているとのことで、使いやすそうだった。

曲げた輪は少々力をかけても折れない。
木を曲げて利用するなんて、昔の人はよく考えたものだ。

三十八柱神社(大福)
イザナギ・イザナミと36の神を祀る。
小懇田の宮跡の伝承地とのこと。
宮に関する土器等の出土があるという。

飛鳥にも墨書土器の出た小懇田の宮跡がある。

大門醤油醸造所 
昔、うちの近くにも「しょうゆ屋」があった。その時と同じような懐か
しい醤油の香りがした。
材料にこだわったしょうゆ作りをされている。


製品になるまで2年ぐらいかかるという。

濃い口醤油は小麦より大豆の方が多く、薄口は小麦の方が多い。
たまりは大豆がほとんど。白醤油は小麦がほとんど。
出来上がったしょうゆに麹を入れ再仕込みをした再仕込みしょうゆとい
うのもあるらしい。

古い木造の柱や天井に長年住み着いた「菌」がいて、おいしい醤油造り
に関係しているという。
今も木製の樽が使われていた。ステンレスよりも長持ちするらしい。
木の文化は素晴らしい。

大福遺跡
弥生時代の中心的なムラの一つ。
大福小学校の改築の際の発掘で土器など出土、銅鐸もでた。


近くには「方形周溝墓」の発掘現場があった。
上部は削られている。

藤原京は最初言われていたよりはずいぶん範囲が広いということで(大
藤原京)、このあたりは藤原京の出垣内的な場所だったらしい。

元耳成高校の近くでは、
竹取物語の舞台はこのあたりだったと説明があった。
ちょうど南に天の香具山があり、旧暦の8月15日には天の香具山から満月
が昇るという。
竹取物語に「竹田原の讃岐の翁あり・・・」とある。このあたりの地名
は「竹田」という。

広陵町の讃岐神社あたりも竹取物語の舞台と言われている。

野道にはツクシがいっぱい。

桜井大福あたりも春まっさかりだった。
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