紅梅が満開の万葉文化館(カメラ忘れ)
今日は聖武天皇の子「安積皇子(あさかのみこ)」が17歳で亡くなった時、大伴家持が詠んだ長歌2首と短歌4首
前半の長歌1・短歌2首は『三七日の仏式の斉会の何らかの儀礼的な場』で誦詠されたものらしい。
後半の長歌1首・短歌2首は斉会に伴わないものだとか。
葬送儀式も決まっていなくて、詠まれる状況も一定ではないという。
「宮廷挽歌」といわれるものに「人麻呂」を基準とした考え方があるということもわかった。
先行作品と似ていれば「模倣」といわれ、まったく新しい表現があると「宮廷挽歌らしくない」と評価されるらしい。
やっぱりそういうこともあるのかとちょっと納得。
「宮廷挽歌」ということから離れて考えることも必要・・というようなお話だったかな?
どういう場面でいつ詠まれたのか、どういう人間関係だったのか・・歌の背景にあることを読み解くにはいろんな資料の検証があってわかるんだなあ。
私は人名の読み方だけでも難しい。
今日は聖武天皇の子「安積皇子(あさかのみこ)」が17歳で亡くなった時、大伴家持が詠んだ長歌2首と短歌4首
前半の長歌1・短歌2首は『三七日の仏式の斉会の何らかの儀礼的な場』で誦詠されたものらしい。
後半の長歌1首・短歌2首は斉会に伴わないものだとか。
葬送儀式も決まっていなくて、詠まれる状況も一定ではないという。
「宮廷挽歌」といわれるものに「人麻呂」を基準とした考え方があるということもわかった。
先行作品と似ていれば「模倣」といわれ、まったく新しい表現があると「宮廷挽歌らしくない」と評価されるらしい。
やっぱりそういうこともあるのかとちょっと納得。
「宮廷挽歌」ということから離れて考えることも必要・・というようなお話だったかな?
どういう場面でいつ詠まれたのか、どういう人間関係だったのか・・歌の背景にあることを読み解くにはいろんな資料の検証があってわかるんだなあ。
私は人名の読み方だけでも難しい。
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