御所町を歩く。
ほぼ昔と同じところに復元されたという高札場
高札とは「お触れ」を板に書いて掲げ、皆に知らせるためのもの。
元庄屋だった中井家には今もここに掲げられた3枚の高札が残っているそうだ。

1枚には「ととう(徒党)良からぬことを企んで寄り集まる」「こうそ(強訴)徒党を組んで訴える」「てうさん(逃散)不当な課税に耐えきれずに他の土地に逃れる」などを禁じ、そんな者がいたら役所に知らせるように。などと書かれていた。

鴨都波神社 ご神木 イチイガシ
葛城山麓にある御所は葛城氏や鴨氏が 本拠地としていたところ。
鴨都波神社境内を中心として鍵・唐古に匹敵する弥生時代の遺跡が出たそうだ。
御所・葛城の豪族は天皇をしのぐ力をもつようになったが、いつ発生してどのように発展してきたのかよくわかっていないが、鴨都波神社周辺にはその1端をうかがわせる遺跡が点在しているとのこと。
今日一番のお気に入りは、葛城川に斜めに架かった「端駆橋(はなかけばし)」


昭和3年に完成した鉄筋コンクリート製のモダンなアーチ橋
当時としては鉄筋コンクリート製は大変珍しく、橋の欄干には奈良の「奈」をデザインしたモチーフが並び、中央にはライオンの頭部が上流側・下流側に付いている。
豊年橋のそばのサイカチ古木

奈良県保護樹木になっているサイカチの大木。前に落ちた鞘を拾ったことがある。
豆の鞘は水の中で揉むと泡立ち石鹸のようになる。
薬事研究センター
春の公開期間中
薬草茶の試飲でセンブリ茶を試飲「苦っ」良薬口に苦し。
その後、甘いお茶(何だったか忘れた)もいただいたが苦みはしばらく口の中に残った。
薬草園を見学した。
奈良ゆかりの薬草が植えられたコーナーから見学。
ボタンやシャクヤクが花やつぼみを持っていた。
ボタンとシャクヤクの違いの説明の後「園芸用の牡丹は薬用にはなりません」といわれた。「大和当帰」は他の当帰の中でも1番品質がよいという。

アミガサユリ(バイモ) 鱗茎を乾燥したものが生薬となる。
右)掘りあげた鱗茎 初めて見た。
ヤブサンザシ・ミツガシワ・ニワウメなど開花中。アオキやトチュウやキハダ・・
その辺で見るようなものも植えてある。
野山の植物はみんな薬草になるんじゃないかと思うぐらいいろんな植物が植えてあるが、ムレスズメは「薬用にはならない」との説明版があった。
薬の料室で、聖武天皇が亡くなった後、光明皇后が天皇遺愛の品と共に東大寺廬舎那仏に献納したといわれる60種の生薬を記載した「種々薬帳」にある生薬を展示してあるのを見学。
動物性のもの。木の根や茎など植物性のもの。鉱物性のものまである。
どうやってそれらが体に良いことを見つけだしたのだろう。
毒性のものもあり、犠牲者も出たことだろう。用いる分量や組み合わせもむつかしそう。
その生薬の中に、
「紫鉱(シコウ)=ラックカイガラムシの出す樹液状物質」赤色の色素として使われるもの。「檳榔子(ビンロウジ)=ビンロウヤシの種子」噛みタバコの原料としても使われているもの。その他「コショウ」もあった。 何でも薬になるものだ。
古い街並みを通る。
御所町は葛城川から西側の西御所は城下町の町並み、東側の東御所は寺内町として発達した。
円照寺
浄土真宗本願寺派のお寺で、大和5か所御坊に数えられるお寺。
創建は天文15年といわれる。後年、寺名を円照寺と改称
町は円照寺を中心に寺内町が発達した。
江戸時代の改装され、2回目の平成の大修理の際、屋根に乗っていた大きい「獅子口」という瓦が降ろされて保存されていた。いくつかの瓦がつながれている。
右)今本堂の屋根に乗っている「獅子口」降ろされたものより大きいそうだ。
「獅子口」とは初めて聞いた。
「獅子口」とは、本来は檜皮造りや杮葺きの屋根の「軒重し」と「装飾」を兼ねて作られたもので、後に瓦屋根にも使われるようになり、棟の端の「雨仕舞い」と「装飾」を兼ねているという。
『原点は「鴟尾(しび)」で、それが発達して「鬼瓦」や「鯱(しゃちほこ)」になった。
京都御所の重要な建物では「鬼瓦」ではなく「獅子口」が使われるようになった』(ネット)
元々「重し」の目的があったものなので「大きい」。鬼瓦は1枚の瓦でできているのに対し、獅子口は「数枚の瓦が組み合わさってできている」ことが特徴らしい。

瓦には「常門住人 瓦氏新兵衛」「柏原 谷井久兵衛」などの銘が刻まれていた。

境内には甘柿のルーツの「御所柿(ごしょがき)」が植えられていた。

1614年当時のままという門は、年に3回?の祭礼の時だけしか開かないそうだ。
吉祥草寺

「役の行者の誕生所」と書かれていた。 右)ご神木 ムクノキ
役小角の創建と伝わる。本修験宗総本山 毎年1月14日に行われる「とんど」が有名。
御所町を回りながら今日はいっぱいお花見もした。


葛城川の桜 満開 風に舞う桜吹雪が夢のようだった。
ほぼ昔と同じところに復元されたという高札場
高札とは「お触れ」を板に書いて掲げ、皆に知らせるためのもの。
元庄屋だった中井家には今もここに掲げられた3枚の高札が残っているそうだ。

1枚には「ととう(徒党)良からぬことを企んで寄り集まる」「こうそ(強訴)徒党を組んで訴える」「てうさん(逃散)不当な課税に耐えきれずに他の土地に逃れる」などを禁じ、そんな者がいたら役所に知らせるように。などと書かれていた。


鴨都波神社 ご神木 イチイガシ
葛城山麓にある御所は葛城氏や鴨氏が 本拠地としていたところ。
鴨都波神社境内を中心として鍵・唐古に匹敵する弥生時代の遺跡が出たそうだ。
御所・葛城の豪族は天皇をしのぐ力をもつようになったが、いつ発生してどのように発展してきたのかよくわかっていないが、鴨都波神社周辺にはその1端をうかがわせる遺跡が点在しているとのこと。
今日一番のお気に入りは、葛城川に斜めに架かった「端駆橋(はなかけばし)」



昭和3年に完成した鉄筋コンクリート製のモダンなアーチ橋
当時としては鉄筋コンクリート製は大変珍しく、橋の欄干には奈良の「奈」をデザインしたモチーフが並び、中央にはライオンの頭部が上流側・下流側に付いている。
豊年橋のそばのサイカチ古木

奈良県保護樹木になっているサイカチの大木。前に落ちた鞘を拾ったことがある。
豆の鞘は水の中で揉むと泡立ち石鹸のようになる。
薬事研究センター
春の公開期間中
薬草茶の試飲でセンブリ茶を試飲「苦っ」良薬口に苦し。
その後、甘いお茶(何だったか忘れた)もいただいたが苦みはしばらく口の中に残った。
薬草園を見学した。
奈良ゆかりの薬草が植えられたコーナーから見学。
ボタンやシャクヤクが花やつぼみを持っていた。
ボタンとシャクヤクの違いの説明の後「園芸用の牡丹は薬用にはなりません」といわれた。「大和当帰」は他の当帰の中でも1番品質がよいという。


アミガサユリ(バイモ) 鱗茎を乾燥したものが生薬となる。
右)掘りあげた鱗茎 初めて見た。
ヤブサンザシ・ミツガシワ・ニワウメなど開花中。アオキやトチュウやキハダ・・
その辺で見るようなものも植えてある。
野山の植物はみんな薬草になるんじゃないかと思うぐらいいろんな植物が植えてあるが、ムレスズメは「薬用にはならない」との説明版があった。
薬の料室で、聖武天皇が亡くなった後、光明皇后が天皇遺愛の品と共に東大寺廬舎那仏に献納したといわれる60種の生薬を記載した「種々薬帳」にある生薬を展示してあるのを見学。
動物性のもの。木の根や茎など植物性のもの。鉱物性のものまである。
どうやってそれらが体に良いことを見つけだしたのだろう。
毒性のものもあり、犠牲者も出たことだろう。用いる分量や組み合わせもむつかしそう。
その生薬の中に、
「紫鉱(シコウ)=ラックカイガラムシの出す樹液状物質」赤色の色素として使われるもの。「檳榔子(ビンロウジ)=ビンロウヤシの種子」噛みタバコの原料としても使われているもの。その他「コショウ」もあった。 何でも薬になるものだ。
古い街並みを通る。
御所町は葛城川から西側の西御所は城下町の町並み、東側の東御所は寺内町として発達した。
円照寺
浄土真宗本願寺派のお寺で、大和5か所御坊に数えられるお寺。
創建は天文15年といわれる。後年、寺名を円照寺と改称
町は円照寺を中心に寺内町が発達した。


江戸時代の改装され、2回目の平成の大修理の際、屋根に乗っていた大きい「獅子口」という瓦が降ろされて保存されていた。いくつかの瓦がつながれている。
右)今本堂の屋根に乗っている「獅子口」降ろされたものより大きいそうだ。
「獅子口」とは初めて聞いた。
「獅子口」とは、本来は檜皮造りや杮葺きの屋根の「軒重し」と「装飾」を兼ねて作られたもので、後に瓦屋根にも使われるようになり、棟の端の「雨仕舞い」と「装飾」を兼ねているという。
『原点は「鴟尾(しび)」で、それが発達して「鬼瓦」や「鯱(しゃちほこ)」になった。
京都御所の重要な建物では「鬼瓦」ではなく「獅子口」が使われるようになった』(ネット)
元々「重し」の目的があったものなので「大きい」。鬼瓦は1枚の瓦でできているのに対し、獅子口は「数枚の瓦が組み合わさってできている」ことが特徴らしい。

瓦には「常門住人 瓦氏新兵衛」「柏原 谷井久兵衛」などの銘が刻まれていた。

境内には甘柿のルーツの「御所柿(ごしょがき)」が植えられていた。

1614年当時のままという門は、年に3回?の祭礼の時だけしか開かないそうだ。
吉祥草寺


「役の行者の誕生所」と書かれていた。 右)ご神木 ムクノキ
役小角の創建と伝わる。本修験宗総本山 毎年1月14日に行われる「とんど」が有名。
御所町を回りながら今日はいっぱいお花見もした。




葛城川の桜 満開 風に舞う桜吹雪が夢のようだった。