住吉神社~天王寺方面へ
住吉大社
創立は1800年前 ご祭神は、古事記に出てくる海の中から現れた3神 底筒男命・中筒男命・表筒男命と息長足姫命(神功皇后)の4神
海の神として海上安全・禊祓を中心に産業・文化・外交・貿易あらゆる産業を守護するという。
一の鳥居から境内へ。
境内には献納された大小の燈籠が並ぶ。600基余りもあるらしい。
右)魚問屋 ざこば 大阪天満宮にも献納されていた。「ざこば」は昔あった魚市場
魚仲買 さかい 干鰯仲間 うつぼ
油屋中 魚仲買 材木大問屋 天道船持中・・業種は多岐に及ぶ。
時代も寛永 嘉永 享保 安政 明治や近代のものも。地域もさまざま。
住吉大社への信仰の篤さがわかる。
燈籠巡りも面白そう。
反橋(太鼓橋)は淀君の寄進だそうだ。反橋の思い出をつづった川端康成の碑もあった。
住吉鳥居という角柱の鳥居をくぐって境内へ。
正面に第3本宮の幣殿があった。その奥に渡り殿・本殿がある。
右に第3本宮と並んで建つ第4本宮が少し写っている。
第1・第2・第3本宮は縦に1列配置。第4本宮は第3本宮の横に並列に並ぶという特殊な配列。
その並び方は大海原を行く船団に例えられたり「八陣の法「戦の構え」と言われたりするらしい。
4つの本宮の本殿はすべて1810年に建造されたもので「住吉造り」という神社建築史上最古の特殊な様式をとり、国宝に指定されている。幣殿は重文。
本殿の柱・垂木・破風板は丹塗り。羽目板壁は白胡粉塗り。屋根は檜皮葺で反りのない切妻。妻入り式の出入り口。本殿の周囲には玉板垣。その外に荒玉垣を巡らす・・
本殿はすべて海に向かって西向きに建つ。古代はすぐそこまで海だった。
本殿の屋根には鰹木と千木が乗っている。
第4本殿は女神を祀るので千木の先は他の3殿(千木の先は垂直に切る)と違い、水平に切られている。(写真は千木が写ってなくて・・よくない)
初辰参りの旗がひらめく末社 楠珺社(なんくんしゃ) そばには「千年楠」
境内を出る。
境外末社の浅澤社 ちょうどカキツバタが満開だった。
住吉公園の近くには鉄筋コンクリートで復元された「高燈籠」がある。高さ21m。
元は西へ約200メーtルの所(海の近く)にあり、灯台の役目をしていたという。
今は海までどのぐらいあるのだろうか?
住宅地の中に取り残されたような帝塚山古墳(前方後円墳)を下から見る。
阪堺電車に乗って 安倍晴明神社へ。
阪堺電車に乗るのは2回目だ。あべのハルカスに向かって走る。
安倍晴明神社 安倍晴明の誕生地といわれ、産湯の井戸などがある。
前は熊野街道。熊野大社までの間にある九十九王子の1つ「阿部王子神社」もあった。
ここで終了。天王寺駅まで歩く。
住吉大社
創立は1800年前 ご祭神は、古事記に出てくる海の中から現れた3神 底筒男命・中筒男命・表筒男命と息長足姫命(神功皇后)の4神
海の神として海上安全・禊祓を中心に産業・文化・外交・貿易あらゆる産業を守護するという。
一の鳥居から境内へ。
境内には献納された大小の燈籠が並ぶ。600基余りもあるらしい。
右)魚問屋 ざこば 大阪天満宮にも献納されていた。「ざこば」は昔あった魚市場
魚仲買 さかい 干鰯仲間 うつぼ
油屋中 魚仲買 材木大問屋 天道船持中・・業種は多岐に及ぶ。
時代も寛永 嘉永 享保 安政 明治や近代のものも。地域もさまざま。
住吉大社への信仰の篤さがわかる。
燈籠巡りも面白そう。
反橋(太鼓橋)は淀君の寄進だそうだ。反橋の思い出をつづった川端康成の碑もあった。
住吉鳥居という角柱の鳥居をくぐって境内へ。
正面に第3本宮の幣殿があった。その奥に渡り殿・本殿がある。
右に第3本宮と並んで建つ第4本宮が少し写っている。
第1・第2・第3本宮は縦に1列配置。第4本宮は第3本宮の横に並列に並ぶという特殊な配列。
その並び方は大海原を行く船団に例えられたり「八陣の法「戦の構え」と言われたりするらしい。
4つの本宮の本殿はすべて1810年に建造されたもので「住吉造り」という神社建築史上最古の特殊な様式をとり、国宝に指定されている。幣殿は重文。
本殿の柱・垂木・破風板は丹塗り。羽目板壁は白胡粉塗り。屋根は檜皮葺で反りのない切妻。妻入り式の出入り口。本殿の周囲には玉板垣。その外に荒玉垣を巡らす・・
本殿はすべて海に向かって西向きに建つ。古代はすぐそこまで海だった。
本殿の屋根には鰹木と千木が乗っている。
第4本殿は女神を祀るので千木の先は他の3殿(千木の先は垂直に切る)と違い、水平に切られている。(写真は千木が写ってなくて・・よくない)
初辰参りの旗がひらめく末社 楠珺社(なんくんしゃ) そばには「千年楠」
境内を出る。
境外末社の浅澤社 ちょうどカキツバタが満開だった。
住吉公園の近くには鉄筋コンクリートで復元された「高燈籠」がある。高さ21m。
元は西へ約200メーtルの所(海の近く)にあり、灯台の役目をしていたという。
今は海までどのぐらいあるのだろうか?
住宅地の中に取り残されたような帝塚山古墳(前方後円墳)を下から見る。
阪堺電車に乗って 安倍晴明神社へ。
阪堺電車に乗るのは2回目だ。あべのハルカスに向かって走る。
安倍晴明神社 安倍晴明の誕生地といわれ、産湯の井戸などがある。
前は熊野街道。熊野大社までの間にある九十九王子の1つ「阿部王子神社」もあった。
ここで終了。天王寺駅まで歩く。