芸大を受験したころは何時だっただろう?1970年だから、もう半世紀前になるか。当時、絵画科受験は44倍で大難関だった。浪人は当たり前の時代。一番多く合格するのは1浪、次は2浪、3浪、4浪と続き、現役で合格するものは50人中一人であった。だから現役で合格するのは2000倍以上だったとも言える。
芸大の受験方法は学科より実技が重要視される。それは当然で実技の専門性が重大な用件で、才能というより、ある程度の嗜好で質が確保されているのを見抜く必要があったから仕方がないことだ。学科が出来ても絵が描けなければ専門性はないと言える。
一次試験は石膏デッサンの実技だ。これで2200人から200人に絞り込まれ、二次試験は油絵で、人物画や受験会場の風景などがテーマ、あるいは日本画の場合には水彩画電話でガラスの器に盛られた花やいろんな小物を描かされる実技が試験される。当時の受験で出されるテーマは「描写」を中心とした分かりやすいものだった。
しかし今日は様変わりしている。
最近は受験倍率は44倍なんてなくて、17倍とか18倍とからしい。しかし合格枠は50人のままだ。大学側としては現代状況に応じた学生の募集方法に改良を加えるのは当然だろう。美術系でも多くの私学や地方自治体の創立した中途半端な大学が乱立していて、、言葉巧みに重厚なパンフレットに虚飾に近い勧誘内容が書かれていて、現実離れさせている。
私の愛弟子のKちゃんに東京芸大受験募集要項を見せてもらった。「なんじゃこれ!!」の連発!!で現代アートの主題そのまんまで、「観念的理解」が求められていて、描写力は何時も必要だと思えるのだが、それを逡巡させる内容だ。一時の石膏デッサンは確かに石膏像はあるのだが、前回までの傾向ではデザイン専攻では「ブルータス像の頭にフラフープ」が載っているのを描くのが試験で出題。私だったらムカついて受験場で騒いだだろう・・・・尊敬するミケランジェロ作品「ブルータス」の頭に「ゴミ」が載っている!!・・・このジジイと言われるかも。二次試験では平面構成や立体構成などと普通だが。日本画専攻は一次が石膏デッサンで二次試験は普通に花や静物を描かせているらしいが、今までの試験より15時間と時間を与えて伝統的な描写を求めているといえるだろう。油彩画専攻では一次試験では「空中、地上、水中をイメージして、与えられた石とゴムシート」を5時間で描けと。なんと二次試験では「テントから出入りする人物がいる」のを18時間で描けというのがテーマだった。このテーマは観念アートであって、美術ではないものを受け入れるように強制しているように受け取れる。そのまま写生的に描くか、抽象的に描くか、観念的に捉えるかは自由だったらしいが、しかし観念アートまで視野に入れて受験させるのは間違いではないか!!要するに感覚的な才能より、理念的あるいは観念的と言える表現を求めている。いずれにせよ油彩画つまり絵画と呼べる枠からはみ出ており、「何を求めているのか」明確にするのが大学受験という「人生の選択」を強いる権力者の義務ではないか!!
大学側としては「総合的表現力を鍛え、考える力、表現する力など、個々の資質や独創性を問う」というが、アイデアを先行させることしか対処方法がない。
観念アートが芸術的表現であることを完全に否定するものではないが、視覚のみならず、聴覚、嗅覚、味覚、触覚までコンセプトで捉えようとするのは、学科が先の東大や京大の哲学学科を受験する人たちに譲ったらどうだ。観念を学ぶのであれば芸大(学生のみならず教授芯を含む)程度の学力ではろくなアーティストは生まれない。現にそうではないか!!もし芸大が観念アートを学科の中に受け入れるなら「観念アート専攻」をもうけるべきだ。しかし美術学部の枠内ではない・・・試行表現分野としてなら許せるだろう。
そこで芸大などの予備校で有名な椎名町にあるすいどーばた美術学院では、対策として奇妙な出題の出し方を工夫している。一つに油彩画の出題に「台の上に白い布を敷き、薪を四本立てて、それぞれをひもで縛り、真ん中には水をビニール袋に入れておいてあるオブジェを描かした。正直なところ絵画科を専攻する者に対する出題とは思えない。このオブジェは美術ではない。観念アート作品が用いる手法で、何故これを描かねばならないのか理解に苦しむ。受験生も同じだろう。しかし描かねばならないので、屁理屈でもこう感じたとか言って「挑戦」するほかないのである。これらを出題する芸大の教授は何を学生に求めているのか?経験の浅い学生にこの現代に時流として、流行しているものに、強引に、素直に従わせようとしているようにも思える。
大学側として、様々な能力を持った個性的な学生を採用したのは分かるが、もっと受験生にが、親切で分かり易い出題方法はあるだろう。私が受験した時、東京造形大学を滑り止めとして受けた。実技は油彩でコスチュームの女性を短時間で描き、その横に「自由画題の作品提出、30号まで一点」があって、学科もほとんど一緒であった。そして最後がインタビュー(面接)であった。このやり方は50年前とは言え、いまでも通用する選考方法であろう。作品提出は個人自由な画題で、いま最も興味があるものが時間をかけて描けるのが良い。受験生の個人的資質を知るうえで最も合理的な方法だと思う。
ちなみに、作品提出で「自画像」を描いた者は、落選した。最も安易なテーマだということだろう。しかし「教会の前の木に自分が首をつっている自画像」を描いた女性は受かった。そこで受かった自分の提出作品は「母の肖像」であったが、面接で「ああ、お母様!!という感じがよく出ています」と言われて・・・・「こりゃいけんわ」と思ったが、どんな絵描きが好きかと聞かれて「ギュスターヴ・クリムトが好きです」と答えたのが良かったらしい。
どっちみち50人受かっても、卒業まで絵を描き続ける者は5人いれば良い方だ。それほど学生をコントロールできないのだ。つまり、「何が好きで、何がやりたい」と子供のころから周りから認めてもらえた者だけが残る気がする。芸大、美大が「芸術家」を育てる機関であると考えるのは「甘い」。
私の場合、「この子は誰の言うことも聞きません。やらせるしかありません」と交霊占いの女性が助言してくれたので・・・・。受験よ…ああ受験よ!!くたばれ!!
ごめん!!受験生諸君!! 滑り止めに私学を受けて、タイマイのお金を払った人たち。安心してはいけない!!もし国立を受けるなら、滑り止めが受かっていても、安心してはいけない。感性が鈍るだろう。もし風邪でも引いたら、まともにデッサンの形も取れないだろうから。私は造形大学が先に受かって、入学金まで払わされて・・・・友人にサウナとステーキで祝ってもらって、大風邪を引いて、鼻水をズルズルさせながら芸大の受験会場で・・・・馬鹿をした覚えがある。
今時、東京芸大に拘るのは、学費が安いからだ。それと3,4年生になると2名で一部屋を与えられる特典もある。だから風邪をひくな。体調管理は万全に!!
無題 725x515mm ケント紙にインクペンで点描 1972年
この作品は東京造形大学に入学後、最初の課題で「石膏像のぶつ切りでデッサンせよ」というもの。「受験が終わっても石膏デッサンか?」と嘆いたが、好きにして良いと言うので、当時流行ったウィーン幻想派の影響か、恩師山本文彦氏へのオマージュか、大学の外に生えていた植物の葉をモチーフに入れて描いた。只描きたくなかったので、点描というそれまでやったことのない技法で試した。これでも未完成で、半年以上いじり回しても先が見えなかったので、途中でやめた。
これを見ると最近の芸大の受験の主題の出し方に似ているように思う。造形大学は当時もっとも現代美術を取り込んだ大学としてされていたが、私には向かなかった。この作品に現れているように、私は「描写」によって表現を拡大しようとしていた。しかし何百万回打っても形が見えない点描は描写には向かない。
点描派とされるスーラは神経衰弱で死んだと聞いたが本当であろうか?インクの黒い点は0.003と0.005と0.01のインクペンで主に描き、たまに0.3の点を打った。呼吸を止めるのは、打ち間違いをしないためだが、癖になって、唇の色が紫になっていた。。
こうして見ると、21歳の私と今日と比較して、全く大きな変化がなかったことが分かる。それほど「才能」というのは限界があるということだろう!!
悲しい!!
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