今回は猫の話
年末に、これまでたくさんの猫を産んだふーちゃんが居なくなった。ふーちゃんはぶらりと我が家にやって来て、家族になった。なぜることも出来なかった気性は「根っからの野良猫」だったが、体が小さくやって来たときは妊娠していて、子供育てる場所として我が家にやって来たのだと思えた。私には拒否できなかった。数が増えることは目に見えていたが・・・・。
多くのメス猫がそうであるように、子育てで来るメス猫は生んだ当初は直ぐに子猫を連れてこない。隣に私が自力で建てた倉庫の人の入れない陰の安全な場所で生んで、2か月ばかりして連れてくる。我が家にいる他の猫にお披露目をするには十分な大きさで、大人の猫に交じって十分な度胸でカリカリを食べる。しかし母親からしつけられているのか、最初から私には警戒して近づかない。3か月ぐらいで乳離れするが、我が家でお披露目する頃はカリカリとミルクは同時にたべている。乳離れする頃は甘える子ほど遅くまで母親にくっついていて、性格が分かる。そういう子は人にも慣れやすいように思えるが・・・・いつもそうだとは言えない。
ふーちゃんが産んだ子は20匹をはるかに超えた。しかし今我が家に生存しているのは7匹ばかりだ。まず5~6匹ぐらいが相場で、乳首が8っつあっても、8匹生まれたことはない。そして生まれた5匹はいつの間にか3から4匹になっていて、我が家でお披露目してからも死んでしまう子がいる。突然母親が子猫を連れて何処かに雲隠れすることがあると、元の数に足りないことが多い。ひどい時には全員戻ってこないこともあって、「ふーちゃん、おまえは何をしたんだ? 子供たちは?」と問いかける。寂しそうにしているふーちゃんに何かあったに違いないが。あるときふーちゃんが母屋の物置で子供を産んだ。そこは画材や美術館時代の業務の記録や修復保存関係の書籍が置かれていて、ときたま利用するから入りたいが、生まれて間もない子猫を発見すると、戸をわずかに開いておいて、しばらく放置することにしたが、子猫たちの鳴き声もしなくなって、ちょいと覗くと子猫たちの死体が転がっていた。中には頭だけの死体もあって、愕然とさせられた。
猫は常にかわいい癒しの動物ではない。人の生活になじんでしまう性格と動物本来の本能には人がなじめない一面も持っている。それが受け入れられないと、彼らと一緒に暮らせない。そのふーちゃんんだが去年の暮れ辺り、家にいることが稀になった。どこかに良い滞在先があるようには感じられないが、ご飯を食べる量が減って、何かを欲しがるしぐさは見せなくなっていた。そしてあまり顔を見せなかったある日、ごみを焼いているところにちょこんと座っていて・・・「やあ、久しぶりだね、どこにいたの?」と声をかけたが・・・静かに座っているだけで、反応はなかった。そしてそれが最後になった。
あああれは「最期」のあいさつに来たんだ・・・と思った。ふーちゃんは我が家に4年ばかりいて、最後の仔はギガちゃんという名前で、おと年生まれた一人っ子だ。一番母親に甘えて育った息子。体の大きさは母親と同じくらいで小さくひ弱だった。乳があまり出なかったのか、なかなか大きくなれなかった。ひょっとしたらふーちゃんはこの時すでにかなり年を取っていたのかも知れない。
このギガちゃんは、皆と同じように、私が食事をしている間は、私が食べているものを欲しがって、平等な分け前をもらって食べていたが、去年の夏ごろから、来なくなり普通のカリカリも缶詰も食べるところをあまり見なくなったころからめっきり痩せてきて、周りの猫たちの中から外れて過ごすようになった。この時気が付けばよかったのだが、口の周りが汚れているようだった・・・・のは口の中が荒れていて、しっかりと食べられないようになっていたのだった。さわってみて背骨ががりがりになって、脂肪も筋肉も失われるほど痩せてきたとき、もう命の危険が迫っていた。医者に連れて行って、栄養剤の点滴、抗生剤などで命を繋いでいる状態だった。体から悪臭が立ち上り、ひょろひょろと歩くさまは、去年亡くなった父の最後の姿と重なる。
寝るときは私のベットに来るようになった。それまでこんなことはなかったが、この子が最も私に近づいて,最期をむかえようとしていた。口からよだれのような糸を引く物を出している・・・・それは歯槽膿漏からくる口の中が腐ったような状態で・・・何も食べれず迎えた最後の状態だった。そして最後の食事はウナギのかば焼きを柔らかく蒸して焼き直したご馳走だったが、まるで私に気を使って食べてくれたような気がした。
そしておとといに再び動物病院に連れて行って、二週間持続性の抗生剤の注射を打ってもらったが、今日の午後私のベットを抜け出して勝手口の猫ドアの前でたたずんでいたが、あっという間に消えてしまった。「とうとう最期の日が来てしまった」私は慌てて外に出たが見当たらない。無理に探し出してどうすることも出来ない。いや、むしろそっとしてい置いてやるべきだろう・・・・と思いつつも、体が弱って遠くに行けないはずのギガちゃんは近くにいるはずだと・・・・探して見つけた。私が家に入れない野良猫の為に作った箱の中にいた。そこがギガちゃんにとって静かに死ねる場所だったのだ。
ギガちゃんが最後の望みとして見つけた死に場所はやはり他の猫が来ない場所だろう。あれから何時間たっただろうか?
様子を見に行くのは明日にしよう・・・・。
追記:朝になってギガちゃんの様子を見に行った。
なんと彼は母屋と生垣の間に躯(むくろ)となって横たわっていた。手足を一杯伸ばして、目を見開いたまま。わざわざ外に出て何をしようとしたのか?悲しさは、彼が最後に何をしたかったのか分からないから大きい。直ぐそばに大きな穴を掘って、そこに埋めることにした。過去にぷんちゃんの墓が何度も掘り返されたことがあるから、要注意だ。穴を掘りながら涙が出て止まらない。まだこの先、何度もこんな悲しい目に合うのだろう。
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