ところで。
ここにブログを、となってからもう一ヶ月余り。
内容がこんなので、サクラになってやろうという知り合いもいないし、自分で読み直してみても
「う~ん、これは!面白い」
なんて絶対思わない日記。
勿論、面白いことを書こうと思ってるわけじゃない。ボケてきた頭だ、今のうちに思ったことを書き留めておきたい、同時にできることなら少しでもボケの進行に抗いたい、と。それだけを考えている。
(つ、強がってるんじゃないんだからねっ)
そんな日記なのに、この一ヶ月余り、アクセスが0、といった日は一度もなかった。
と言っても、最高でも6人、なんだけど。(10人以上になる日、なんて来るのかな??)
前のブログを
「5年以上続けて書いているからエライ!」
と御自身のブログで褒めて下さった方があった。
毎日ではなかったけれど、それなりに真剣に、一所懸命「ああでもない、こうでもない」と苦しんで書いた結果を、社交辞令でもそう言われたことは、何ともうれしかったという記憶がある。
まさに「豚も煽てりゃ木に登る」、だ(遂に木に登ることはなかったけど)。
それに比べ、この日記は大力量もないのに「風吹かば即ち倒る」で始めたものだから、これといった内容はなく、一体どれだけ続けられることか、と今頃になって思う。
倒れっ放しは楽だ。
しかし、楽を積み重ねていけば、遂にはそれ以上の楽は望めなくなる。楽という奴には相乗効果がない。
掛け合わせれば必ず、と言っていいほど苦を生む。
また、楽は楽を生まず、それどころか次の瞬間、反転して苦になったり、逃れる場所すらなくしたりする。
小学生の頃の、夏休みの終わりがじわじわと近づいてくる感じ。
ゴロゴロ寝っ転がっていて、これ以上の楽はない、と自分を甘やかした結果、寝転がっていることでさえ苦痛になってくる感じ。
この歳になって小学生の夏休みの終わりの追体験を、なんてまっぴらだ。
ということで、まずは5年、続けよう。
ホントなら十年、と言いたいところだけど、その時は七十五歳。
免許返納を迫られて嫌々ながら手放したら、ボケるからもう日記は書けなくなるだろう、と自信を持って言える。
ここにブログを、となってからもう一ヶ月余り。
内容がこんなので、サクラになってやろうという知り合いもいないし、自分で読み直してみても
「う~ん、これは!面白い」
なんて絶対思わない日記。
勿論、面白いことを書こうと思ってるわけじゃない。ボケてきた頭だ、今のうちに思ったことを書き留めておきたい、同時にできることなら少しでもボケの進行に抗いたい、と。それだけを考えている。
(つ、強がってるんじゃないんだからねっ)
そんな日記なのに、この一ヶ月余り、アクセスが0、といった日は一度もなかった。
と言っても、最高でも6人、なんだけど。(10人以上になる日、なんて来るのかな??)
前のブログを
「5年以上続けて書いているからエライ!」
と御自身のブログで褒めて下さった方があった。
毎日ではなかったけれど、それなりに真剣に、一所懸命「ああでもない、こうでもない」と苦しんで書いた結果を、社交辞令でもそう言われたことは、何ともうれしかったという記憶がある。
まさに「豚も煽てりゃ木に登る」、だ(遂に木に登ることはなかったけど)。
それに比べ、この日記は大力量もないのに「風吹かば即ち倒る」で始めたものだから、これといった内容はなく、一体どれだけ続けられることか、と今頃になって思う。
倒れっ放しは楽だ。
しかし、楽を積み重ねていけば、遂にはそれ以上の楽は望めなくなる。楽という奴には相乗効果がない。
掛け合わせれば必ず、と言っていいほど苦を生む。
また、楽は楽を生まず、それどころか次の瞬間、反転して苦になったり、逃れる場所すらなくしたりする。
小学生の頃の、夏休みの終わりがじわじわと近づいてくる感じ。
ゴロゴロ寝っ転がっていて、これ以上の楽はない、と自分を甘やかした結果、寝転がっていることでさえ苦痛になってくる感じ。
この歳になって小学生の夏休みの終わりの追体験を、なんてまっぴらだ。
ということで、まずは5年、続けよう。
ホントなら十年、と言いたいところだけど、その時は七十五歳。
免許返納を迫られて嫌々ながら手放したら、ボケるからもう日記は書けなくなるだろう、と自信を持って言える。