「スーパーカブ」、「大島サイクル営業中」、ときて、もう他には何かないか、と探した。
何でこんなに二輪に拘泥するんだろう。
面白い話ならいくらでもある。それがこのライトノベルというやつだ。
気軽に読めて、少しずつ読めて、とにかく話の展開が面白くて、考え込まなくていい。
眉間に皺寄せて、椅子にもたれかかり、片手に本、片手は顎のあたりに手を当てて、時にはコーヒーカップに手を伸ばし・・・、みたいな読み方ではない。
「スーパーカブ」の方は元々毛色が違うけれど、「大島サイクル営業中」の方は軽い読み物という雰囲気を十分に備えている。けれど、「スーパーカブ」と同じく拘る根っこがある。
小説って基本、ファンタジーだ。ありもしないことや、まさかの展開を見せて読者をひきつける。
いかにうまくその世界に引き込むか。
上手く引き込むけど読者は「小説の中の話」と納得して読む。現実世界に身を置きつつ、楽しんで読んでいる。
これが、「まさかそんなぁ~」と納得しない読者を、「納得しろ!」と脅しあげて強引に引き込み現実世界を否定し、読者を戻れなくするのが詐話。「言葉巧みに~」というやつは詐欺師の手法。
あの慰安婦問題というのが実は捏造されたものだ、といくら言っても、早くから詐話を真実として聞かされてきた人間にはその仮想世界から抜け出すのは大変だ。不可能に近いかもしれない。
何しろ周囲に存在する人も景色もそれで成り立っているのだから。「嘘も百回吐けば真実に」、だ。
あれ?妙な方向に脱線した。
何で二輪に拘泥するのか。
二輪に乗らなければ金輪際分からない「話の設定」、というものがあるからだ。
二輪に乗った時の風。
走る速さによる変化は言うまでもないが、車体と共に身体を傾けてカーブを走り抜ける時の風は、文字通りに千変万化する。
二輪に乗ると地上から150センチくらいまでの中を移動するわけだが、直線路は別にして、道の曲線に合わせてしょっちゅう身体を傾け、地面との距離を変える。
直線路だって、ヘルメットに当たる風とハンドルを握る腕に当たる風、ブーツに当たる風はみんな違う。
曲線路となれば猶更だ。車で、この細かな風の変化が分かるだろうか。
二輪が絡む小説はここから始まる。この感覚を話の「設定」に置いているから、二輪に乗る者は上手く引き込まれつつ、 「スーパーカブ」、「大島サイクル営業中」、ときて、もう他には何かないか、と探すことになる。
勿論、みんながみんなそうだとは限らないだろうけど。
(風の感触を思い出して読む者もあれば、風を切り裂く感触以外はバイクにあらず、なんて者もいるだろうし。)
で、見つけたのが「シングルスピード」という連載。
自転車の話なんだけど、変速機のないスポーツタイプ。なるほどママチャリでなくって女の子がこれに乗っているのは、想像するだけでもカッコいい。何でもスチームローラーとか言うんだそうで。
もう一つが「クッチョロ」。イタリア語で「子犬」という意味だという。
これもまた主人公の女の子と一緒にすると、とても魅力的な絵が浮かぶ。
ただ、残念ながらこれは完結してしまった。同じ作者。
「クッチョロ」は終わってしまったけれど、このドゥカティの原付、その振動やエンジン音、排気音、風の中の感触等々、もっと詳しく書かれているところを読みたかったなあ、と、思う。
遂に自分自身はドゥカティ乗りになれなかったから、せめて原付、いや、原付でこそドゥカティの息吹を感じたかった。
何でこんなに二輪に拘泥するんだろう。
面白い話ならいくらでもある。それがこのライトノベルというやつだ。
気軽に読めて、少しずつ読めて、とにかく話の展開が面白くて、考え込まなくていい。
眉間に皺寄せて、椅子にもたれかかり、片手に本、片手は顎のあたりに手を当てて、時にはコーヒーカップに手を伸ばし・・・、みたいな読み方ではない。
「スーパーカブ」の方は元々毛色が違うけれど、「大島サイクル営業中」の方は軽い読み物という雰囲気を十分に備えている。けれど、「スーパーカブ」と同じく拘る根っこがある。
小説って基本、ファンタジーだ。ありもしないことや、まさかの展開を見せて読者をひきつける。
いかにうまくその世界に引き込むか。
上手く引き込むけど読者は「小説の中の話」と納得して読む。現実世界に身を置きつつ、楽しんで読んでいる。
これが、「まさかそんなぁ~」と納得しない読者を、「納得しろ!」と脅しあげて強引に引き込み現実世界を否定し、読者を戻れなくするのが詐話。「言葉巧みに~」というやつは詐欺師の手法。
あの慰安婦問題というのが実は捏造されたものだ、といくら言っても、早くから詐話を真実として聞かされてきた人間にはその仮想世界から抜け出すのは大変だ。不可能に近いかもしれない。
何しろ周囲に存在する人も景色もそれで成り立っているのだから。「嘘も百回吐けば真実に」、だ。
あれ?妙な方向に脱線した。
何で二輪に拘泥するのか。
二輪に乗らなければ金輪際分からない「話の設定」、というものがあるからだ。
二輪に乗った時の風。
走る速さによる変化は言うまでもないが、車体と共に身体を傾けてカーブを走り抜ける時の風は、文字通りに千変万化する。
二輪に乗ると地上から150センチくらいまでの中を移動するわけだが、直線路は別にして、道の曲線に合わせてしょっちゅう身体を傾け、地面との距離を変える。
直線路だって、ヘルメットに当たる風とハンドルを握る腕に当たる風、ブーツに当たる風はみんな違う。
曲線路となれば猶更だ。車で、この細かな風の変化が分かるだろうか。
二輪が絡む小説はここから始まる。この感覚を話の「設定」に置いているから、二輪に乗る者は上手く引き込まれつつ、 「スーパーカブ」、「大島サイクル営業中」、ときて、もう他には何かないか、と探すことになる。
勿論、みんながみんなそうだとは限らないだろうけど。
(風の感触を思い出して読む者もあれば、風を切り裂く感触以外はバイクにあらず、なんて者もいるだろうし。)
で、見つけたのが「シングルスピード」という連載。
自転車の話なんだけど、変速機のないスポーツタイプ。なるほどママチャリでなくって女の子がこれに乗っているのは、想像するだけでもカッコいい。何でもスチームローラーとか言うんだそうで。
もう一つが「クッチョロ」。イタリア語で「子犬」という意味だという。
これもまた主人公の女の子と一緒にすると、とても魅力的な絵が浮かぶ。
ただ、残念ながらこれは完結してしまった。同じ作者。
「クッチョロ」は終わってしまったけれど、このドゥカティの原付、その振動やエンジン音、排気音、風の中の感触等々、もっと詳しく書かれているところを読みたかったなあ、と、思う。
遂に自分自身はドゥカティ乗りになれなかったから、せめて原付、いや、原付でこそドゥカティの息吹を感じたかった。