CubとSRと

ただの日記

今日は休み

2022年10月04日 | 日々の暮らし
 9月19日の続き

 今朝は散歩予定時刻の4時~5時だけ曇り、前後はずっと雨という予報。
 出るかやめるか決めなければならなかったが、まあ、雨もそんな奇特な止み方はしないだろう、とあらかじめ休むことに決めて置いた。

 前の晩に酒を飲んでいるし、で、無理はせぬ方が良い、と早めに寝たのだが、起きたのは7時前。随分長い間(途中に一二度起きたけど)寝ていたことになる。

 4日分、日記を書いてない。まとめて書こうとするが、これをやると本当に4日間何もしなかったような気になる。それぞれの日に何をやったかなど思い出せないからだ。勢い、カレンダーに書き込んだメモに五体投地で頼りきることになる。

 実際は何もしなかった筈はない。食事の用意一つ取ったってその折々に何か感じ、考え、気が付いてそれなりの工夫をし、結果、変化がある。大小は関係ない。そういうことの繰り返しで日常は成り立っている。
 そんなことをカレンダーのメモに書いている・・・わけはない。

 しかし食事の用意にしたって、そこには「繰り返し」とはいうものの全く同じという展開はない。
 これが「万物は生々流転する」ということで、常に変化し続けているのが日常、ということになる。
 「繰り返しで日常は成り立っている」けど、「常に変化し続けているのが日常」。何だよそれ、矛盾しているじゃないか、となりそうだけど。

 普段そんなことを考えないのは、「昨日何食べたかな?」「一昨日は何を考えていたんだろう」なんて思いもしないからだ。誰も「昨日はカレーを食べたから、今日は食べてはいけない。繰り返すのは『生々流転』に逆行することになるから」なんて、「常識」だとは思わない。好きなら続けて食べたっていいし、バリエーションを楽しんでいるんだから、と連日食べたって別に構わない。

 意識して毎日を過ごしているわけじゃないのに、毎日の変化を記録しようとする。それを二日三日分まとめて書こうとする。そんなだから、何も思い出せなくて「取り立てて記録すべきことがない」、と。
 で、「何もしてないから書くことがない」で終えてしまう。

 「書くことがないから」、と、言いながらこうやって書き始めて、何だか妙な方向に行ってしまって戻れなくなっても、書かないよりはいいよね。
 
 
コメント
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