CubとSRと

ただの日記

随分間が空いた  (続き)

2022年10月18日 | 心の持ち様
 書き忘れていたけど、「随分間が空いた」というのは以前に
 「これから時々高山氏のエッセイを転載します」
 と言ったようなことを書いていたから。
 いつもの通りで、一時期は熱を出したみたいに熱心に取り組むんだけど、すぐ冷めてしまう、というよりエネルギーが切れてしまう。
 電池切れなら交換すればよいようなものだけど、生身の人間でポンコツな奴だから、なかなか電池交換ができず、気が付いたら電源まで戻って自力で充電することなんてとてもとても。サンバ、じゃない、ルンバはえらい。

 要らんことを書いていたらまた遅くなるので、転載後半です。
 半藤氏は生前、TBSの日曜朝の有名なワイドショーに何度か出ていたんじゃなかったでしょうか。秋霜烈日という言葉がありますが、ちょっとそれに近い雰囲気で物を見ているような、話し方・物言いだったような記憶があります。
 ただ、何だかその厳しさにあまり厚みがないような気がしてモヤモヤしたことも覚えています。対立的には見ても対比的に見ようとはしない、ジグソーパズルのように平面的な整合性は追究しても立体的・重層的に塊として掴もうとはしない。そんな風に感じたのでしょうか。

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  歴史の大家を気取る半藤の「罪」  (続き)

 半藤は文芸春秋に入って松本清張の資料集めやときにはゴーストライターも務めた。勉強家で渉猟した資料はまさに汗牛充棟だろう。でも気に食わないものは見ないふりをする癖があるやに見える。

 例えば『マッカーサーと日本占領』ではひたすらあの米国人を褒め称える。
「マッカーサーは米兵に日本人から食料を調達(略奪)するな」と言った。たったそれだけで「過去の征服軍に例がない」と感涙の賛辞を贈る。
 お言葉だけど日本軍は略奪どころか強姦も何もしなかった。「朝日版支那事変画報」には「農家で買った鶏を首に掛ける日本兵」の写真がある。対して米兵は占領下で強姦も強盗も勝手し放題だった。

 マッカーサーは着任するなり「戦犯39人を吊るせ」と言った。
 リンカーンはスー族を殲滅した後、白人に逆らった酋長38人を同時絞首刑にした。数字にはそういうあからさまな人種偏見がある。そういう史実には一切目をつぶってマッカーサーは正義と寛容の人と褒めそやす。
 「悪いのは日本人」に徹する半藤はだから一切、不都合を書かない。

 この朝日での語りも同じだ。半藤は「勇ましい安倍」を見て「昭和史にも似たようなことがあった」と続ける。「日中戦争が始まった後、ドイツが和平工作に入った」いわゆるトラウトマン工作には日本は応じなかったことを批判する。
 軍を進め南京を落として近衛首相は「蒋介石を相手にせず」と勇ましく言い放った。それで「蒋介石を怒らせ、戦争は泥沼化した」「勇ましい言葉で台無しにした」という風にもっていく。
 一見まともそうだが、「日中戦争が始まった」という言い方はヘンだろう。
 戦争は桜の開花とはわけが違う。誰かが仕掛けるから始まるのだ。

 あのときはドイツが蒋の軍に武器と訓練を施し、米ソも空軍作りを支援して支那と日本を戦わせた。背景には「黄色い日本と支那が手を携えたら白人支配が危なくなる」(ムッソリーニ)という危惧があった。
 日本に負けたドイツの根深い嫉妬もある、アジアに出遅れた米国の思惑もある。何より仕掛けに回ったドイツが蒋介石軍の負けを見て和平工作を持ち出すことをヘンと思わないのか。

 それをすべて無視して「近衛の傲慢な一言がいけなかった」にしてしまう。都合の悪いことは一切書かない朝日新聞と同じだ。
 半藤さんちの月刊「文芸春秋」が全然売れなくなったのも分かる気がする。


 (二〇一七年十一月三十日号)

  新潮文庫 
  「 変見自在 習近平は日本語で脅す」
        高山正之著 より 
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