では、早速。「なぜ支那人と言ってはいけないのか」
張宇は「我が国を征服しながらまだ溶かし込んでない国が一つ残っている。それが日本だ」と言った。
そう言われてみるとあの第二次上海事変以降、欧米列強に植民地化されていた支那の大方を日本が解放している。日本軍の目が届いた北京・上海も治安は良くなり、李香蘭の舞台は昭和20年でも大入り満員だった。漢民族にとっては幸せな鼓腹撃壌の日々だった。
同じことは凶作に加えて蒋介石軍の略奪で苦しんだ河南省にも言えた。飢餓が頂点に達したとき、進出した日本軍が食料を与えて民は生き延びた。「我々は皇軍の道案内をした。喜んで漢奸となった。こんな国に売っていけないものなどあるのだろうか」(劉震雲『人間の条件1942』)
つまりあの辺りまでは日本軍は民の命を守った、統治したことになるのだろう。
そして教育を施し、いま漢民族が遣う言葉の75パーセントが日本製漢字になった。
「そう、そのときに日本人は我々を支那人と呼んだ。日本に征服統治された屈辱の証だ」というわけだ。
支那が超大国になっても征服された悲哀は晴れないまま残るし、言葉も日本製のまま。だから早く日本を溶かし込まねばならない。
それで習近平は国家主席就任早々に反日を旗上げし、オバマとプーチンを訪ねて尖閣を口実にした日本侵攻を黙認するよう頼んだ(矢板明夫『習近平の悲劇』)。
オバマは呆れ、プーチンは強い調子でたしなめた。
習近平の言う「偉大なる中国の復興」は頓挫し、一方で足許の国内経済はもはや破綻にひた走っている。
日本を征服王朝に仕立てたところで勝って溶かし込める可能性などない。そう力まず、支那のままでいいじゃないか。
(二〇一八年一月十八日号)
新潮文庫
「 変見自在 習近平は日本語で脅す」
高山正之著 より
「 変見自在 習近平は日本語で脅す」
高山正之著 より
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「巨大な支那の歴史の中で英雄はすべて支那人なのだ」
というタクシー運転手の言葉。
「我が国を侵した外来王朝を我々は溶かし込んできた。~モンゴルも~満州も~ウイグルも~チベットも溶かし込んだ」
割り込んできたガイド頭の漢民族、張宇の弁。
「溶かし込んだ」、つまり「外来人が作った王朝」というだけのことであって、全て漢民族が吸収したのだから、征服されたというのは当たらない、結局は中華の一部ではなく、中華に溶け込んだのだ、と。
ところが日本は外来人のくせに(征服王朝をつくったくせに)、中華に溶け込むどころか一部にさえなろうとせず、「日本」を貫いている。文化だって馴染もうという気がないから、「言葉」はいまだに日本製が増え続けるばかりだ。征服王朝だった時の姿勢のまま我々のことを「支那人」という。腹が立つ。
こういう理屈。道場破りにフルボッコにされて道場を乗っ取られて、全財産差し出して棲みついてもらって、でも何が何でも生き残る。「死んで花実が咲くものか」。
それなのに日本は、道場破りだけしておいて「後は自分たちで建て直せ」と資金まで置いていく。同化する気が全くない。
でも、出発点は、やっぱり蒋介石の言う
「日本人が『支那』と言うとき、そこには侮蔑の意味が込められている」
から、です。
そして、その「侮蔑」は「国」に対してではなく、支那の一般大衆、「支那人」の品性のなさに向けて、だった。
しかし、征服王朝にはなれなかった西欧諸国は、支那の一般大衆に目すら向けてなかった ということを見過ごしてはならないでしょう。