日本が戦争に負けた時、戦勝国である中華民国・蒋介石総統は日本に「我が国を『支那』と呼ぶのは今後控えてほしい」と要望した。日本人が「支那」と言うとき、そこには侮蔑の意味が込められているからだ、と。
それを受けて日本は「中華(中心・精華)の国だから中国」、と、言われるままに呼称を支那から中国にした。
おかげで日本の「中国地方」が後からできた呼称のようになってしまって、中国五県の出身者は同じ日本人から「何?『中国』?ニッポン人じゃないのかぁ?www」とからかわれたりする。もちろんそんなことを言うのは子供の頃の話なんだけど。
いずれにしても日本は古来「葦原の中つ国」と自称してきた。「中つ国」、つまり「中心にある国(謙虚だから自分から『華』だなんて言わないけど)」だ。
中国地方とは九州から新潟・岐阜・愛知・三重までの「日本」の、大体中央部にある一帯を指す。
ついでながら「葦原」は湿地で、「葦原の中つ国」は「水田を(多く)作ることのできる豊かな国」くらいの意味だったろう。分かり易い「理想郷」であって、「中華」のような深い理念はない。その分、「中華」などより古くからあった理念だと言えるかもしれない。
では、転載です。
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中国が「支那」と呼ばれるのを嫌がる理由
高山正之
旧臘、内蒙古省オルダスの裁判所で「成吉思汗(チンギスハーン)の写真を踏みつけ、その動画をアップした男に対し禁固1年の刑が宣告された」と宮崎正弘のメルマガにあった。
成吉思汗はモンゴルの英雄だ。ユーラシアを席巻し、その末裔は長らく支那人を奴隷支配した。
支那人には憎むべき征服王朝の祖だ。その写真を踏んでなぜ罪になるのか。
その辺を宮崎は「巨大な支那の歴史の中で英雄はすべて支那人なのだ」というタクシー運転手の言葉で説明している。
昔、中村粲(あきら)獨協大教授と熱河を旅したとき同じような言葉を聞いた。
熱河には満州族の清王朝が建てた承徳宮がある。清の歴代皇帝はここにモンゴルの王、チベット、ウイグルの指導者を招いて政治折衝していた。しかし漢民族(支那人)は入れなかった。
ということは「ここが清王朝の本当の都で、北京の紫禁城は漢民族を支配する奴隷監督所だった」と教授が語り、同行の中国学の権威が「漢民族は皇帝に奏上するのに家奴(奴隷)何某と名乗った」と注釈した。
別の歴史家が「清とか元とか外来王朝の時代に支那には文化が栄えた」「対して漢民族のつくった王朝はなぜか残忍非道の統治になり、文化は衰退する」「それは今の中共政権にも当てはまる。民は塗炭の苦しみだ」。
とか皆でがやがややっていたらガイド頭の漢民族、張宇が割り込んできた。
彼はまず「支那人と言うな」と言った。フランス人がシノと言うのもスペイン人がチノというのもいい。でも「日本人が支那と言うのは絶対許せない」と言う。
そしてこう続けた。「我が国を侵した外来王朝を我々は溶かし込んできた。元を建てたモンゴルも清を建てた満州も溶かし込んで今は我が領土になっている」
「漢を脅かしたウイグルも、唐を危うくしたチベットも溶かし込んだ」
かつて漢民族は満州服の長袍(チャンパオ)を着させられた。女もワンピース風のドレスに着替えさせられた。
その満州が溶かし込まれた今、満州服をチャイナドレスと言って何の憚ることもなくなった。
モンゴルも溶かし込まれたから成吉思汗も今は支那の偉大なる英雄になった。
だからそれを侮辱すれば支那の法廷で罰して当然ということになる。
他人のものは俺のものという漢民族の横柄さは分かったが、それがなぜ「支那人と言ってはいけない」ことに結びつくのか。
(続きは次回)
新潮文庫
「 変見自在 習近平は日本語で脅す」
高山正之著 より
「 変見自在 習近平は日本語で脅す」
高山正之著 より