CubとSRと

ただの日記

何となく潰れる

2023年01月10日 | 日々の暮らし
12月26日 (続き)

 今日は今年最後のゴミ当番。週二回だから本当の最後は29日だけれど。
 年末のゴミ回収は大変だろうと思っていた。当番が、じゃなくって回収車が、だ。不思議なくらいゴミが出る。
 普段から出しときゃどうってことはないんだろうけど普段なら「ま、今日はいいか」と繰り延べにしていた廃棄物を、大晦日、同じ一夜明けるだけのところを「何が何でも片付けなきゃ新しい年が来てくれない。歳が越せない」といった気分になる。

 10時過ぎは、まだ取りに来てなかった。10時半には山積みになっていたゴミの袋がきれいになくなっていた。「袋が破れて中の生活ゴミが~」というのは、前回に続いて今回もなかった。きれいなもんだ。
 ゴミ袋全体に掛けてあったネットをきれいに巻くだけで、後は何もすることがなかった。
 雪のちらつく中、かじかむ指に息を吹きかけながら、という光景を展開することなく、今年の年末のゴミ当番一度目は終わり。

 ところでゴミ当番の日は、いつ回収に来るか分からないのと、一分もかからないのではないかと思われる回収車の手際の良さに、気付かないままに数十分が経ってしまうことがある。
 そうすると、その間に虎視眈々と隙を狙っていた鴉がこぼれ落ちたごみを散々につつきまわしているということが何度もあった。
 今回のように全く汚れてないと、鴉も悪さのしようがない。

 脱線した。
 ゴミ当番の日、午前中の予定が立てられないのは、上記のようにいつ回収に来るか分からないからだ。で、結局何もせずに一日が過ぎる。
 「午前中は予定が立たない」だけなのに午後も何もしない、ってのは変だと思うのだが、何故そうなるんだろう。
 理由なんか考えたこともないんだが、急に「何故?」と思い始めた。

 「午前中は予定が立たない」だけなのに午後も何もしない、ってのはやっぱり変だ。その理由なんて考えたこともない。けど、急に気になりだした。
 当面の結論は「気分が乗るか乗らないか」だけなのではないか、と。

 気持ちよく朝が始まったら、つまり「気持ちよく目覚めたら」「気持ちよく散歩に出られたら」「気持ちよく朝食の箸を取れたら」等、まずは「初めが肝腎」なのではないか。初めとは起点。リズム。拍子の頭。うまくスタートすれば流れ(リズム)ができる。
 
 生ゴミが収集場に落ちているのを掃き取り、汚水を水で洗い流し、改めて箒を掛ける。これが気分の乗らない作業であることは言うまでもない。
 勿論、きれいにした後にそれなりの達成感はあるけれど、言ってみればマイナスからの行動。ゴミ回収の後、放り出してあるネットを巻き直すのだって決して楽しんでやっているわけではない。(逆に巻いてあるネットを出したごみ袋の上にきちんと掛ける、ってのは結構楽しいかもしれない)

 う~ん、もうしばらく考えてみるかな~。
 ゴミ当番のその日の片付けが終わった時の達成感はあるんだけどな~。
 何故か午後に繋がらない。

 
コメント
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